朝、早く宿を出て、雄勝に向かう。硯会館のところで雄勝天然スレートの木村満社長が待っていてくれる。ジーンズのジャケットを着て若々しく元気なのでほっとする。
「東京駅にうちのスレートが載ってほっとしました。いろいろお世話になりました。震災前に掘り出しておいたスレートもあります。ただ硯組合の職人も少なくなり、いまはスレートの皿やコースターと言った小さな実用的なものがよく売れて、その生産に追われて硯やスレート屋根まではまだまだ。でも若い職人を指導していますし、そのうち工場も建てたいと思っています」
雄勝支所に木村さんといくと、かつて東京駅保存の署名をたくさん集めてくださった千葉茂さんが次長の重責にあった。「雄勝では中心市街地がすべてやられ、支所、硯会館などの中心施設は使えず、病院で患者さんが40人なくなられ、医師や看護師も20人以上なくなりました。住民も4000人以上いたのが今1300人と4分の一です。この流出をとめることができません。ご覧の通りでここは仮庁舎、そっちの集会室では成人式が終わり、高台移転の説明会をやったりしていて。私は観光、産業も担当なのですが、いまのところ、住民の生活再建、高台移転地形に追われていて、文化財やスレート屋根まではなかなか手が回りません。雄勝の基幹産業は水産業、でも看板産業は硯やスレートなどの石です」スレート屋根の民家が流され、どんどん壊されて固有の景観がなくなっているような。「そうですね。桑浜小学校はNPOの方が買って活用の動きもあるようです。あれくらいしか残っていないのではないか。これからは交流人口が大事だと思うので、震災と津波のことを忘れずに東京からもどんどんきていただきたい」
そこから登米に行き、ウナギを食べ、みんなと別れた。私は運転してくれた豊沢さんと北上に戻り、2時に一度も行ったことのない上品の湯に落としてもらった。みんな仕事で忙しいので邪魔をしたくなく、一人にもなりたかった。
ここは『ふたごの湯』レストラン、直売場、などからなり、温泉に500円でつかる。鉄分と塩分を含む赤錆色の湯で、建物が木づくりで、照明もほの暗くとても落ち着く。
まるで山の中の温泉に来ているみたい。マッサージもしてもらって、休憩所でお茶を飲みながらぼんやりと大相撲を見ていた。6時ころ、携帯が鳴り、熊谷さんたちと『居心地』というその名の通りいごこちのいい居酒屋へ行く。このほのぐらさ、蛍光灯でなく、オレンジ色の光りと、三和土がいい。寒ブリ、ドンコ、ツブ貝のさしみ、柳カレイの焼きもの、おでん、串カツなどで熱燗。この日は復興住宅最上段で一人泊めてもらう。二枚ガラスなのでそう冷えもせず、ぐっすり眠った。