中沢新一さんと伊藤豊雄さんの対談が週刊ゲンダイに出た。なんと今回のコンクール参加者の伊藤さんが、「敗軍の将兵を語らず」ですが、と前置きして「国立は改修でいいと思う」とおっしゃっている。力強い。
それにしても建築家は絵描きと違う。反体制でも絵描きは絵を買ってくれるお客さえいればいいが、建築家は個人住宅以外の大きな公共建築をとろうとすれば、政府や行政に歯向かえない。またザハとか磯崎とか槇さんとか伊藤さんとか、著名建築家はひとつまみで、日本にも20万人一級建築士がいるという。あんなむずかしい試験を受かった人たちが、なかなか仕事はないらしい。またザハのデザインを形にするため、JVでしこしこ図面を書いている人たちがたくさんいるわけだ。夜、千駄木の新しい安い中華屋さんに行った。三人で九千円請求され、おかしいなあ、と思ってもう一度レジを打ってもらったら4300円。先日は茗荷谷の居酒屋でグラスビールを頼んだのに、ジョッキの値段がついていたり。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
2月16日
2014年4月10日 木曜日2月15日
2014年4月10日 木曜日葛西臨海公園の環境活動家や野鳥の会の方々は正攻法で、新しく都知事になった舛添さんに要望書を出すという。私たちも出そう。次の回に登壇してくださる後藤健生(たけお)さんの「国立競技場の100年」を購入し、よむ。1958年のアジア大会でのおもてなしぶりを見てIOCが1964年、オリンピックを日本でやれると考えたとか。オリンピック時も人気のない競技には近所の小学生中学生をただで動員したとか。後藤さんは1964年のオリンピックでサッカーの試合を見て、スポーツ評論家になった人だ。私と違って世界中のスタジアムを見ておられる。お話を聞くのが楽しみだ。
今回は鈴木知幸さんにこの前聞けなかったところをきく。そして構造の今川先生が改修案を出してくれるという。
2月14日
2014年4月10日 木曜日招致の時は「1964年のレガシーを活用して世界一エコで安上がりなオリンピック」とか行っておきながら、とれると成田や羽田のアクセスを整備、道路整備と言い出す。高速道路も4600億だかかけて補修だとか。谷根千のような木造密集地域も2020年までに不燃化計画。まえにサッカーワールドカップのさい、カード会社のVIPを谷根千に案内したことがあった。神社でお祓いをし、谷中銀座でコロッケを食べ、彫塑館でお茶をたて、最後は日本旅館で中華料理という不思議なコースは大人気だった。谷根千を残さないでおもてなしなんか出来るか。谷口吉生のホテルオークラも建て替えの話があると言う。椅子も壁も名品なのにな。
2月13日
2014年4月10日 木曜日改修コンペをやるというのは大変難しい情勢なので、どうにか改修案を建築エコノミスト森山高至さんにつづいて出してくれないものかと、改修に力のある建築家にあいに行った。のっけから「運動を始めるのが遅い」と言われてしまった。
「せめてコンクールをやることが決まった直後か、ザハに決まった直後に始めればまだしも」。
設計費はザハに13億、実施設計などのJVへの費用も含めると90億とか。「それは高すぎる。あの規模なら4パーセントくらいでしょ」。
やめた場合、違約金とか払うのでしょうか?「そのくらい建築家にとっては日常茶飯事だ。なんてことないでしょ」
本当に改修でいけますか?「もちろんいくらでも出来ます。それは磯崎さんでも安藤さんでも出来るでしょ」
では先生に改修案を出していただけないでしょうか?「一度官僚がやると決めたものをやめる時はよほど大義がないと。僕がやる大義がない。あるのは槇さんでしょう。槇さんが弟子たちを使ってするのが一番いいんです」
たしかになア。槇先生が出してくださればなあ。どれももっともな言葉であり、返せなかった。
しかしなあ、気がついたのがたしかに9月なのだからしょうがない。市民には食うために仕事がある。大規模プロジェクトを通すために人海戦術でやっている官僚やゼネコン軍団に勝てるはずはない。でもその知恵比べが保存運動の一番おもしろいところだけど。
2月12日
2014年4月10日 木曜日この間ずっとこまっていたトイレの水漏れ、あちこちの業者にきてもらい見積もりを取ってもらったがいまいち納得できず。マンションの管理人さんが、メーカーをよんだ方がいいよ、とメモをくれそこに電話するとたちどころに直ってしまった。同じ番号が便器のふたにも張ってあった。なんというドジ。
2月11日
2014年4月10日 木曜日鴎外記念館で「雁」の映画会。森鴎外の名作。明治13年のことと覚えている、とはじまる。映画では飴細工やの老人の娘お玉が高利貸しの末蔵に囲われる。お玉が高峰秀子、イメージよりは相当豊満、はかなげではなく、すらりとはしているが肉感的。鼻も高いし、目も大きい。高利貸しは東野英治郎、肌の汚い、小柄な男で、ハンチング帽をかぶって鳶を来ている。囲うのは無縁坂のセット、しかしこんな目に立つ人通りの多いところによくぞ。その上入り口も素通しで窓からなかも丸見え。
手に職もなく、男にすがって生きるしかない娘の悲しさ、学歴などなくてももっと商売するとか、やりようがあるはずなのに。女中はがさつで怠け者、お隣の仕立物のお師匠さん三宅菊子はそれ者上りのような妖艶美、浦辺久美子のおかみさんはやつれて、芥川宏志と宇野重吉の学生はとうが建っている。雁を石で撃つ原作のシーンはない。とはいえ、なかなか見応えがありました。
2月10日
2014年4月10日 木曜日田部さんというジャーナリストが新しい市民メディアを作るので、新国立競技場とオリンピックなどについて撮影をしに見える。夜は田端の守本さん宅で新年会。仲のよい石井・中村組。中村さんは台湾の有名女優だったお母様金馬奨さんのお供で台湾の映画祭でレッドカーペットを踏み、トニー・レオンとかとあったそうな。うらやま・・。
2月9日
2014年4月10日 木曜日清水さんがあげてくれた資料から、JSCの計画はIOCのアジェンダ21に抵触していることが明らかだ。これは1980年代のリオの環境サミットを受けて1999年に同じリオで採択されたもの。なんとIOCは「出来るだけ既存のスタジアムを使え」といっているではないか?「どうしても既存の改修では出来ない場合に限り新築を認める」といっているが、その「出来ない理由」がトラックが8レーンしかないこと、これは陸上を国立でやらなければいいだけの話。ザハ案だってどうせサブトラックないんだからさ。しかも陸上はオリンピックのもっとも基本になる由緒ある競技だが、通常8万なんて集められない競技で、4000万円もの賃料を払って国立を使うことはできない。それと130平米、都の道路に飛び出している既存不適格。でも1964年以来、都に賃料を払って何も問題は起きていない。上野の松坂屋だって、公共道路の上に連絡通路をかけて誰も文句をいっていないではないか?
「新設の場合でもその土地の制限に従わなければならず、文化、環境、景観などを壊してはならない」という条項にも背馳。15メートルの風致地区で70メートルオーケーのコンクールをやって、あとで都の都市計画審議会で何の論議もなく追認させたんだから。IOCにお仕置きをしてもらわなくっちゃ。
都知事選当日。いつもは早く不在者投票をすますのだが、今回はぎりぎりまで見極め、もし脱原発の候補が勝つようならば、そっちに入れようかとおもっていたが、保守政権の推す候補の有利は変わらず、結局、二人の候補のサイトと政策をきちんとよみ直し、人柄と政策でいれた。8時ちょっと過ぎに「世界一の都市」をめざすという候補でもう当確がでてしまう。この人のポスターには「都民一人一人が輝くオリンピックを」と書いてあったが、なんという空疎なスローガンだろう。美濃部さん以来、私は都知事選で勝ったことがない。早く政策も作って立候補した人に降りろと行った人々、元首相二人掛かりなら勝てるかもと思った人々、(私も一瞬そうぶれたことを恥じる)いろんな人の動きが面白くも恥ずかしくもあった。政治はそんなものだ、という人もいるが。田母神候補60万票をどう見るかも・・・。
2月8日
2014年4月10日 木曜日建築家協会のホールで第三回の勉強会。きょうの着地点は、
1、球技か、陸上に特化して、8万人のイベント会場を作るのはやめる。
2、商業施設やホテル、映画館なども組み合わせていつもにぎわう施設にする。
3、初期投資をケチってみせても劣化や維持費がかさむだけ、
4、オリンピックやワールドカップだけを目的に騒ぐのでなく、あとでなんにどう使うかをよく考える。
5、70メートルのところに屋根があっても急な雨が振れば吹き込んで屋根の役を成さない。あの局面をどうやって掃除するのか。このところみたいな大雪が降れば重さでたわまないのか。真夏は暑くて冷房費がかさむだろう。あの屋根の形状では芝生は育たない。しかもイベントやアメフト、ラグビーをすると芝が荒れる。もう虻蜂取らずというか、負のスパイラルなのだ。
改修するにせよ、改築するにせよ。
本当にオリンピックのあと、解体されたスタジアム、使われていないスタジアム、多いのだなあ。反対に上手に地域のサッカーチームのホームスタにしてにぎわって使われているところもある。
今川先生と学生さんの 、現競技場を8万人に増築した後、それを減築して東北で避難しそこで避難生活もおくれる津波タワーをあちこちに建てるというプラン、すばらしいと思った。
私の目のアレルギーは一進一退。薬をつけると少し良くなり、お酒を飲むとまたカサカサして。禁酒。
1日15時間もパソコンの前にすわっているような生活はよくない。
たまに六義園や小石川植物園などを散歩するが、いまは寒いしなあ。
保坂正康さんの『昭和史の大河を行く』の解説を書かせていただいた。現場主義の著者ならではの面白い本だが、いくつも個人的な思い出と重なるところがあった。鈴木貫太郎のお孫さんが小石川丸山町でケア付き老人ホームを始めたこと。
2・26のとき鈴木侍従長は官邸にいたのか、小石川の私邸にいたのか、資料はまちまち。総理大臣を辞めてからは関宿にひっこんだはず。
斎藤実の身代わりになった松尾伝蔵大佐の孫にあたる松尾文夫さんは共同通信の記者で私は大学出たての頃、アメリカ大使マンスフィールドの本を訳していただいたことがあった。いまどうしておられるのかなあ、検索してみたら共同通信常務までなさり、屈指のアメリカ通として講演をしておられた。私が大学を出て初めて作った『燃えるパレスチナ』の著者酒井定雄さんは龍谷大学の教授になられていた。
2月7日
2014年4月10日 木曜日槇さんが4日の記者クラブでの会見で 「悲しいことにPoint of return をすぎてしまった」「こういうことには勝者はいない」と首を振られていたのは鈴木先生の逝去を知っていたからなのかなあ、と今思う。
オリンピックのために8万人のスタジアムを作るんじゃなく、オリンピックの時、絵画館前を解放してパブリックビューイングをすればいいと言う説に賛成。ただマナーの悪い人たちが大量に入ってくることは困るので、廻りに屋台を出すとしてもで3000円くらい入場料を取ればそう変な人は来ないでしょう。
私は湘南の海の家でレゲエなど聞きながら潮風に吹かれて飲むのが好き。
とってもおしゃれな仮設のバーとか、ジャズ、アフロ、なんでもあって、昔ながらのさざえのつぼ焼きもいいけど、こういうところのつまみもいい。
今日は日経新聞の井上記者がインタビュー、青鞜と平塚らいてうについて。彼は明治神宮についての本も書いており、「1964年のオリンピックの工事が間に合わなくて、ハンセン病の療養所まで労働者に使われたと聞く。今日はしんしん冷える。