2月8日

建築家協会のホールで第三回の勉強会。きょうの着地点は、
1、球技か、陸上に特化して、8万人のイベント会場を作るのはやめる。
2、商業施設やホテル、映画館なども組み合わせていつもにぎわう施設にする。
3、初期投資をケチってみせても劣化や維持費がかさむだけ、
4、オリンピックやワールドカップだけを目的に騒ぐのでなく、あとでなんにどう使うかをよく考える。
5、70メートルのところに屋根があっても急な雨が振れば吹き込んで屋根の役を成さない。あの局面をどうやって掃除するのか。このところみたいな大雪が降れば重さでたわまないのか。真夏は暑くて冷房費がかさむだろう。あの屋根の形状では芝生は育たない。しかもイベントやアメフト、ラグビーをすると芝が荒れる。もう虻蜂取らずというか、負のスパイラルなのだ。
改修するにせよ、改築するにせよ。
本当にオリンピックのあと、解体されたスタジアム、使われていないスタジアム、多いのだなあ。反対に上手に地域のサッカーチームのホームスタにしてにぎわって使われているところもある。
今川先生と学生さんの 、現競技場を8万人に増築した後、それを減築して東北で避難しそこで避難生活もおくれる津波タワーをあちこちに建てるというプラン、すばらしいと思った。
私の目のアレルギーは一進一退。薬をつけると少し良くなり、お酒を飲むとまたカサカサして。禁酒。
1日15時間もパソコンの前にすわっているような生活はよくない。
たまに六義園や小石川植物園などを散歩するが、いまは寒いしなあ。
保坂正康さんの『昭和史の大河を行く』の解説を書かせていただいた。現場主義の著者ならではの面白い本だが、いくつも個人的な思い出と重なるところがあった。鈴木貫太郎のお孫さんが小石川丸山町でケア付き老人ホームを始めたこと。
2・26のとき鈴木侍従長は官邸にいたのか、小石川の私邸にいたのか、資料はまちまち。総理大臣を辞めてからは関宿にひっこんだはず。
斎藤実の身代わりになった松尾伝蔵大佐の孫にあたる松尾文夫さんは共同通信の記者で私は大学出たての頃、アメリカ大使マンスフィールドの本を訳していただいたことがあった。いまどうしておられるのかなあ、検索してみたら共同通信常務までなさり、屈指のアメリカ通として講演をしておられた。私が大学を出て初めて作った『燃えるパレスチナ』の著者酒井定雄さんは龍谷大学の教授になられていた。