2010年12月 のアーカイブ

10月29日

2010年12月7日 火曜日

みすずの『怒濤のすもう不案内日記』、医学書院の『保険師ジャーナル』にはじめた連載を書く。新しい連載はあと1つ『小説スバル』に『こぼれ落ちる記憶』、うーん、我ながらいいタイトル。筑摩の金井さんから『明るい原田病日記』について「闘病記なのに前向きな姿勢に心打たれました」とメール、感想をくれる編集者はうれしい。夕方、蓄音機のお店をもつ梅田英喜さん美由紀さんと神田のアンチヘブリンガンで。このご夫妻は私の健康管理委員会をつとめてくださっている。電気製品を買うとエコポイントがついてくるとかいう話に英喜さんが「蓄音機を買ったひとにもつけてくれないかな。究極のエコなのに」という言葉に拍手した。手頃な蓄音機は12万円くらいで手に入るそうで、これはスゴイ。手回しなので電気は食わない。しかも自分の隣りでクライスラーが弾き、シャリアピンがうたっているように感じられる。うちの息子もはまってしまい、今度のボーナスで買うつもりらしいが、興味のある人は神田の梅屋へどうぞ。ついでにハイブリッド車を買った人より、自転車を買った人にインセンティブを付けるべきではなかろうか。

10月27日

2010年12月7日 火曜日

東京堂で『明るい原田病日記』の刊行記念で津田篤太郎先生と対談。医学書院の方々やポプラ社、大和書房の編集者なども来てくれて打ち上げは盛り上がった。それにしても何らかのステロイド体験を持つ人が多くて驚く。

10月26日

2010年12月7日 火曜日

遠いけどいかなくちゃ。埼玉芸術劇場、はずれがないものな。シェークスピアを当時のようにみんな男で演ずる「オールメール」の『じゃじゃ馬ならし』。市川亀治郎のキャサリン、最高。ときどき急にドスの利いた声になったりして。長過ぎず短すぎずいい時間。帰りに十条で降りて昨日取材しそこねたところを。けっきょく魚屋でどっさり買って帰る。すごくいい魚屋が何軒もある不思議な町。

10月25日

2010年12月7日 火曜日

『東京人』の取材で半日十条の居酒屋めぐり。このところ森鷗外の作品を子ども向きに訳している。講談社の編集者稲葉さんより「舞姫と高瀬舟が同じひとの作品とは信じられません」との意見、賛成。高瀬舟は安楽死問題を描いているというが、むしろ「生きる意味」を問う作品だと思う、という私の意見にも反応してくれた。反応してくれる編集者だと仕事のしがいがある。それより山椒大夫の離ればなれになったお母さん、いくつだと思う?子供のときの絵本や紙芝居には盲目で白髪の老婆が出ていたがこれはなんと32、3歳。だって12歳の厨子王と別れた時、30を出たばかり、厨子王は安寿の犠牲で逃れ、13歳で佐渡の国士になるのだから、そう時はたっていないのだ。びっくり。

10月23日

2010年12月7日 火曜日

世界同時多発テロ、じゃなかった世界同時ホームムービーデー。こっちの方がヘイワで連帯できるぞ。『やねせん子育て日記』と称する私秘蔵の8ミリも。サトコが赤ん坊の頃なので恥ずかしがって本人は来なかった。

10月22日

2010年12月7日 火曜日

昨日、映像の会にも来てくれたサントリー文化財団の小島多恵子さんと根津から上野桜木まで芸工展を見てあるく。サントリー地域文化賞をいただいて以来、20年近いお付き合いである。カヤバで初めてランチを食べた。おいしかった。
国技館で相撲のガバナンス会議。相撲教習所のバージョンアップについて。
きょう、2年も前に話した講演を記録にするので校正をするようにとの話、某所よりくる。びっくり。この日、夜7時より、白山のジャズ喫茶映画館にて荒井良平監督『悪太郎売出す』の上映会へ行く。1955年の大映作品。勝新太郎のデビュー作だ。チンピラやくざの勝と浪人ものが他の組と戦う。「それでもどこかに立派な親分がきっといる」と戦いながら勝がいうと、浪人が「そんなら日本中探してみろ」とこれも戦いながらつぶやく。会社の方針でやくざ映画を撮りながらこれは監督が入れた精一杯の抵抗かも。立派なやくざなんていると思うのは幻想だ。監督の息子さんの荒井良雄さんがいらしていて、その回想も興味深かったが、息子さんはシェークスピアの研究者だそうだ。

10月21日

2010年12月7日 火曜日

今日から芸工展参加企画、恒例のD坂シネマ始まる。永山則夫に関する映像と資料アーカイブについて。立教大学の永山資料に取り組んでいる平野泉さんとトーク。埼玉大学が持っていた住民運動関係資料も立教大学に移っているようだ。どういう経緯だろう?

10月19日

2010年12月7日 火曜日

『舞姫』の口語訳をおくったら編集者の稲葉さんより「思わず、涙がでてしまいました。本当になんてひどい男なのでしょう」との返事あり。同感。自分とエリスの関係は最初は先生と生徒の関係であった、なんていう上から目線。そして妊娠させて、気も狂わせて、あとは生まれた子どもにとなにがしかの金をおいて、それすら善行のように言い訳して、さっさと立身出世のために帰国してしまう。『舞姫』が高校の教科書に載っていたから、あれで女はみんな森鷗外をきらいになる。でもいまだフィィピンあたりでは日本人男性は同じようなことをやっている。フィリピンに行ったとき、そんな女性に東京の男と連絡をとってほしいと頼まれ、何度も電話したり手紙書いたけれど、なしのつぶてだった。こんな優秀な美人の女の子がいるのになあ、と思ったが。

10月14から19日まで

2010年12月7日 火曜日

蔵で矢作多聞展。私の大事な装幀家の矢萩さんはインドで長年暮らし、細密画を描く。芸工展参加企画で大変賑わった。ほとんどの作品は持ち主が決まった。版画家のお父さんも保土ヶ谷でアジアの雑貨の店をやっているお母さんも来てくださったが、なるほど矢萩さんはこういうご両親に育てられたのか、と納得。14日にはオープニングでインド料理のケータリングがあった。キングフィシャービールも懐かしいが、インドさん赤ワインがおいしいのには驚き。

10月17日

2010年12月7日 火曜日

今年こそ、と芸工展を観に行く。いろんな手芸やアートがあるが、もううちに飾るスペースもなく、ソラハナのアロママッサージに引っかかってしまった。こういうのがいちばんいいな。そのあと、蔵でインド映画を見、東大の土本君と北大を卒業したばかりの青年とヤマサキの主催する屋敷森のおこん浄瑠璃を見て、焼き肉を食べて遊んだ。