‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

7・22

2018年7月24日 火曜日

民主党枝野幸男代表の野党五党を代表しての「安倍晋三内閣不信任決議演説」を聞く。枝野さんの自衛隊や金融緩和についての政策には異見もあるが、彼は世襲政治家ではない。安倍や河野のよう贅沢になれていない。本当に世の中を良くしようと、政治家になりたくてなった。その中でほとんどペーパーを見ることもなく2時間45分語りきる言葉の強さには感銘を受ける。

特に気に入ったところ、下に引用します。これでも書き起こしの10分の一くらいなので、読みやすいと思います。お急ぎの方はどうぞ。じっくり読みたい方はこちらを。

https://note.mu/jun21101016/n/n2782bfee0c00

※青文字 引用箇所

1 保守の本質

そして、保守の本質は何か?

それは、人間とは不完全な存在であるという謙虚な人間観です。人間は、すべての人間が不完全なものであるから、どんな政治家がどんな良い政治をやろうとしても完璧な政治が行われることはありえない。常に政治は、社会は、未完成・不完全なものである。それが人間は不完全なものであるという謙虚な姿勢にもとづく保守の一丁目一番地です。

保守反動という日本語がありますが、そもそも反動では保守はありません。今も不完全な社会です。しかし、過去においても理想的な時代はありえなかった。未来においても理想は実現できない。でも、今あるものをちょっとずつでも良くしていく。これが保守ですから、保守と反動は相対立する概念であります。

一方で穏健保守という概念もありえません。なぜならば、保守とはもともと穏健なものであります。反対意見を封殺し、自分が正しい道を信じて邁進する。まさに保守思想が否定をしたフランス革命の急進的な思想であります。

従って、保守とはそもそも穏健なものであり、穏健でない保守が保守を名乗るのは自己矛盾であります。

もちろん、人権意識。そのことによる男女平等を始めとして、あるいは先ほど申し上げました労働法制もそうかもしれません。様々なものが欧米から流入したことによって進化をしたものもたくさんあります。それを元に戻せと言うのではありません。しかし、それまで積み重ねてきた我が国の社会のあり方の良い部分をこうした人権問題に対する意識が大きく前進をした中で、それを取り入れて、それを活かして、いま我々先進国が共通して直面している壁にどう立ち向かっていくのか。わたくしは本来の保守のとるべき道はそういう道であるというふうに思っています。

森コメント)私も今の自民党が保守とは思ってません。歴史も文化も保ち、守っていません。日本の良いものを全て壊そうとする規制緩和、乱開発にいつも賛成するのは自民・公明の与党でした。フランス革命の時のジャコバン派の際限なきテロル、断頭台送りを見るに見かね、保守という概念は出て来たのでしょう。

私自身、初期は アカとか、過激派とか、色々言われたものですが、古民家を、記録を、コミュニティを、池を、森を守って来たので、保守と言っていいでしょう。しかし、地域の中で私たちと一緒に頑張ってくれたのは、共産党や社会党、無所属のリベラルな人々でした。

戊辰戦争において、幕閣は新しい時代に対応できない低脳だ、幕軍に加わったのはバカだ、という薩長史観には組みしません。しかし、日本が近代になったのは悪いことではなく、その流れの中で男女平等や婦人参政権も出て来たのです。人権意識を大事にしながら、近代の弊害を是正するというのが、現代の我々のすべきことでしょう。

2 カジノ問題

我が国には、世界の国々の多くの皆さんから見れば、そうした皆さんとは違った歴史、風土、文化、あるいは生活様式、そして自然。我が国には様々な観光資源として魅力あるものがあります。まだまだそうしたものが世界の皆さんに十分に伝えられていない部分も山ほどあります。あるいは受入の体制が十分ではないために魅力ある観光資源を持ちながら外国人観光客がなかなか来て頂けていないところも少なからずあります。まさにやるべきは、そうした観光資源を魅力的なものとして世界に売り出し、そして、日本の本来の良さを見て頂くために日本に来て頂く。それこそ日本の伝統と歴史を大事にする立場の人たちの意見ではないかと私は思うんですけども。

森コメント)枝野さんが、持統天皇のすごろく禁止令を持ち出しすとは思いませんでしたが、カジノは我が国の歴史的伝統にはない。大規模災害時に不要不急のカジノ法案を与党がゴリ押しして通したことに対する意見です。インバウンドと言って外国人集客に躍起になっているが、その目玉はカジノなの?日本にはもっと素晴らしい観光資源、文化資源はたくさんあるんだよ、と。例えば、私の住む谷根千にはたくさんの外国人が来ています。彼らにとって何が魅力なの?と聞くと「Neighborhood」

と答えます。近所があること、みんなの関係があること、小さなお店、パン屋、酒屋、焼き鳥屋、豆腐屋、お米屋、イベント、お祭り、・・・それが魅力なんです。身ぐるみ剥がれるカジノ、いらないです。

3 アベノミクスの限界、内需は拡大しない、格差の拡大、若者は不安定、労働者は低賃金のまま

本当にやらなければならないのは、実はバブルの前と後で大きく変わったのは、個人消費が大きく落ち込み、落ち込んだままであるということであります。個人消費が増えない限り、日本の経済の安定的な成長が実現できないのは自明の理であるとわたくしは考えます。

*人手不足なのに低賃金というのは、マーケットがどこかで歪んでいるからです。その歪みを正すのは政治の役割です。低賃金であるならば賃金が上がる。そのことによって「賃金が高いから重労働かもしれないけど、頑張ってやろう」とそういう方が増えて、市場が機能して、人員が確保させることに残念ながら例えば、今回の長時間労働を是正する働かせ方改悪法案の数少ない改善部分である長時間労働の規制も低賃金、重労働、長時間労働であるトラックドライバーなどの皆さんについては先送りをされてしまいました。
繋がるんですよ。

森コメント)これもその通りだと思います。日本の最低賃金は848円で、スイスの三分の一、イギリスやワシントン、シアトル、ルクセンブルグのほぼ半分です、ドイツは1479円です。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=861077380759832&set=a.105408879660023.1073741829.100005727332110&type=3

森コメント)私の息子は今、フランスで大工をしていますが、月給は安いけど、金曜の午前中で仕事は終わり、金・土・日は好きなことができます。すでに六月に2週間バカンスをとって、サルディニアに行ってきました。十月にはまた休みを取って、私のためにイタリアに行こうと行っています。もう帰ってこないでしょう。「人生は楽しむためにある」のですから。

*高齢者問題

それは元気なうちは良いけども、病気やあるいは介護が必要な状況になった時に「せめてわずかな預貯金でも残しておかないと心配だ」という意識に多くの高齢者の皆さんが陥ってしまっているからであります。その結果、1500兆を超えるとも言われている金融資産。そのうちの多くを占めている高齢者の皆さんの貯蓄が消費に回っていません

一石二鳥です。それができないのは介護のサービスが不足をしていること、年金や医療を含めて老後の不安が大きいから。老後の安心を高めることこそが経済政策です。景気対策です。

森コメント)高度成長を乗り切っていいご身分だねえ、と言われる我が母たちの世代も貯金は持っているが、使いません。いざとなって入院したらどのくらいお金がかかるか、老人ホームにどれだけお金がかかるか知っているからです。

*若い世代の暮らしにくさ

産む、産まないの選択を迫るのではなくて、産みたいと希望しながら、それをできていない人たちをどうやったら希望を叶えて頂けるのか。そのことこそが、政治のやっていくべき役割だと思います。

なぜ、なぜ産み育てたいと希望している人たちが産むことを実現できないのか。まさに、子育てと教育と雇用のこの3つの大きな問題があるからに他なりません。1つは保育所の不足に代表される子育て支援の不足である。そして、教育の問題。教育、かつてわたくしの時代も「奨学金をもらって頑張っているんだね。あの人は」という同級生もいましたが、非常に数が限られていました。しかし、今や奨学金をもらわないと進学できないという人たちの比率は圧倒的に高まっています。わたくしは国立大学の出身ですが、「某私立大学に行きたい」と言ったら、「学費は最低限出せるけども、なかなか色んなこと含めて全体の大学に関わる金は出せないね」と言われて国立大学を選択しました。その当時と比べると国立大学の学費はべらぼうに上がってしまっていて、「国立なら行かせられるけども」とそうした状況ではなくなってしまっています。

森コメント)この通りです。今の若い人は、奨学金の返済に苦しみ、生食にはなかなか着けず、どうして家庭を持って、子供を産む条件があるでしょうか。国立大は私の頃1973年、1万2千円、私立が12万円でした。
今は国立が数十万、私立だと100万以上します。卵やバナナと比べたって、授業料ほど上がったものはありません。

*介護職員や保育士の賃金の底上げという政策は、そこに集中的に財源を投入するのかということが、まさにどこに向けて景気対策を進めていくのかという象徴的な姿であり、少なくともカジノを進めるよりは100万歩経済に効果のある政策だとわたくしは確信を致しております。

*農業者のあんしん

どんな年でも最低限、翌年の再生産が可能な安定的な一次産業の経営を担っていただく。そのためにいわゆる所得補償制度をとることは先進国の農業政策においては今や常識となっている。私たちは、これはまさに農業を守る、食の安全を守る、緑を守る、と同時に特に過疎地域などにおける経済を回していく最低限の前提条件として必要なことだと思っていますが、安倍政権はこれに逆行する政策を今までとっているわけであります。

森コメント)安保といってもアメリカ軍の押し付ける戦闘機などにお金を湯水のように使いながら、食料安保は全くできていない。食べるものがなかったらこの国は終わりです。世界中が食料に苦しんだら、日本に輸出してくれる国などありません。

4もりかけ問題

国有地が8億円もダンピングされたというのは、その分の税金が食い物にされたのと意味は同じです。
全貌解明に協力をしない。そうした与党の姿勢こそが、まさに税金の無駄遣いを生み出す、膿(うみ)そのものではありませんか?
第二に申し上げなければならないのは、安倍総理の昭恵夫人が夫人付きの公務員である谷査恵子氏を通じて行政に問い合わせるという関与をしていました。

森コメント)その通りです。谷さんはイタリア大使館にご栄転ですが、何か、イタリア語でもできるんですかね。ただ逃したってだけでしょう。

モリカケ問題に関連しては3つ目、加計学園問題であります。
愛媛県の一連の記録と照らし合わせれば、明らかにこの加計理事長の説明は矛盾をしており、この理事長の「雰囲気で作り話をした」という釈明こそが虚偽であるのは明らかであります。
この真相解明を妨害するような、そうしたプロセスの中で出てきた公文書の改ざん問題であります。・・・国会から求められている資料提供や報告を求められている案件について公文書を改ざんしたということはどういうことか。国会を騙したということであり、国会を通じて国民を騙したということに他なりません。・・・ま、そもそも昨年のモリカケ問題発覚以来、怪文書と最初称していた文書が実は本物だったことの繰り返しではないですか。
一連の森友問題、加計学園問題はいわゆるスキャンダルではありません。行政の公平性、連結性を損ねる。放置をすればモラルハザードを招く。社会と国家の危機であります。

森コメント)加計正文って先祖、東大英文科で夏目漱石の門下だった俊英ですが、かなり子孫は劣化したようです。

5不誠実答弁、民主主義のはきちがい

全部ずらした、ごまかした答弁をしているということで加藤厚生労働大臣、そして安倍総理。「ご飯論法」と世の中から嘲笑われる結果となっている。聞かれたことに正面から答えないだけにはとどまらず、聞かれてもいないことをダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラ、ダラダラしゃべり続ける安倍総理の姿勢。それにとどまらず、平然とウソをつき、開き直る姿勢がますます顕著になっています。
小野寺防衛大臣、「飲みながら指示してたのか」と指摘を受けたので、慌てて撤回をしました。
河村予算委員長。総理との会食直後に「総理が集中審議は勘弁してほしい旨、発言していた」と明言をされている。ま、翌日撤回をされている。
そもそもが民主主義は多数決ではないんです。民主主義というのは主権者である国民みんなでものを決めて国を動かそうというのが民主主義なんです。少数意見を納得させようという意思のない多数決は、多数決の濫用です。

多数決が少数の人たちを納得させる手段として正当性を持つためには、多数決を前提として正しい情報が開示されなければなりません。
その手続きをこの国会で全く踏んでいない上に、安倍政権は立憲主義そのものも破壊工作を進めています。歴代自民党政権が積み重ねてきた憲法の解釈を一方的に変える。憲法というどんな数を持っていても、そういう理不尽なことをやってはいけませんよということを決めているルールを憲法改正の手続きもとらずに勝手に無視して集団的自衛権の一部行使容認を進めた。まさに立憲主義も立憲民主主義もわきまえない姿勢である。自分たちに都合の悪い法案はいくら日程がスカスカであっても審議に応じないことをしておきながら、国会運営に抗議をして出席できない状況をサボっているだなんてデマを吐くことはやめて頂きたいと思います。

森コメント)立憲というのはかつては輝かしい言葉でした。日本が憲法を持つまでにどのくらい苦労したか。1882年の立憲改進党(大隈重信)、1900年の立憲政友会(伊藤博文)、1913年の立憲同志会(加藤高明)→立憲民政党(浜口雄幸)、など与党側もみんな立件を名乗っています。枝野氏が尊敬する名演説家、反軍演説の斎藤隆夫も立憲民生党に所属していました。この憲法に基づく政治を行う、という立憲主義が今こそ大事な時代はありません。

6、行き詰まる外交、混乱する安全保障政策

繰り返しますが、安倍政権が発足して5年半です。
どうもロシアだけは日露関係の進展によって色々いいことがあるようですが、我が国にとって重要な北方領土問題の進展は全く見られず、行き詰まっていると指摘をせざるを得ません。
朝鮮半島をめぐる問題はさらに深刻です。安倍総理や河野外務大臣は「最大限の圧力」のみを唱え続けている。「北朝鮮との国交断絶」を他国に求める発言まで河野外務大臣はなさいました。
これは圧倒的にアメリカ優位の契約内容になっていると言われている。防衛装備の調達について、我が国の安全保障上の必要性よりもアメリカが売りたいものを「言い値」で買っている。

森コメント)もうこれは解説の必要も無い事実でしょう。それで沖縄の人々を苦しめてもいます。

7、官僚システムの崩壊

公文書を組織的とも言える形で改ざんした佐川 前理財局長は停職3ヶ月。その3倍の停職9ヶ月。よっぽど酷いセクハラをしたんでしょうね。セクハラじゃないなら、よっぽど酷い信用を損なう行為について、一定の説明があって然るべきではないですか?その中で官僚の皆さんが入省時に思ったであろう「国家・国民のために働きたい」という本来の思いを実現できるような官僚システムを実現するために一刻も早く安倍内閣には退陣して頂きたいと思っています。

森コメント)本当に、高級官僚と言われる人の中にも尊敬できる人もいますし、国民のために、恵まれない人のために、頑張っている人も少数ですがいると思います。私はすでに何人もの幹部官僚から、「新国立競技場問題は森さんが正しかった」「あれが進んでいたら大変なことになっていた」とお礼を言われました。
おそらく、ザハ案がそのまま進んでいたら、日本は神宮外苑に巨大な温室を作ることになり、費用はうなぎのぼりになっていたでしょう。それは物を考える公務員にはわかるはずです。「面従服背」ではなく、思い切って直言する、信念を披瀝する、そういうことができないとインパール作戦になります。そういう風土を作るためには、国家公務員の幹部や専門職の中途採用とか人事交流も大切でしょう。

ルアンパパンまで船で下る旅
2月4日 バンコク〜チェンコーン〜ワイサイ

2017年4月26日 水曜日

朝早い便のため、泊まった空港のホテルはフロントの感じも悪かったし、蚊もいたし、設備も良くない。外は飛行機の発着でうるさく、朝の5時に目覚まして、5時45分にサンドさん、志保子さん、Duangさんと集合して6時のバスで空港へ向かった。7時半の便でチェンライに飛ぶ。そこからバスに乗って1時間半で国境の町チェンコーンまで行って、そこでラオスの国境を超えた。麻薬を持っていて捕まった女性の写真が大々的に貼ってある。やるなよ、ってことか。

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ラオスの色は紫と黄色とブルーとグリーン。通貨単位はキープで、一万円を替えると80万キープとかある。そこからまたバスに乗った。紹介されたプーキーさんに会う。精悍な顔の美男子だ。NGOの仕事をしていてお父さんは地方公務員で、家でお米を作っている。軽トラに荷物を乗せ、5人乗りでワイサイの彼の家まで行く。Duangさんが荷台に乗る。気持ち良さそう。家の裏の林の中にピクニックランチが用意されていた。これは今まで食べた中でも五本の指に入る気持ちの良い食事である。そこらへんを走りまわっている鶏の焼いたのと魚の焼いたの、それからラタンを茹でて、皮をむいたものが出た。このラタンは苦味があって、歯ごたえも良く、お醤油みたいなタレにつけて食べると大変美味しいし、体にも良さそう。

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最後に菜の花のたくさん入った鶏がらのスープが出た。これは滋養があって安心なので野菜とともども、胃を壊したサンドさもたくさん食べた。ラオスのビールはさっぱりしてて東南アジアで1番おいしいと言われている。お父さんが53でお母さんは40代の終わり、プーキーさんは30くらいだろう。中国人が入り込んできて大規模なビジネスを展開し、カジノまで作ろうとしてると眉をしかめた。プーキーの家ではお米、それも焼き畑で陸稲を作って売っている。お金がないとき、お母さんがラタンを売りに行って12ドルもうけたことがあった。食用ラタンはよい値で売れるそうである。2番目の弟に子供は何人かいて、今日もたくさんの人たちが寄ってきてご飯を食べていた。

おばあちゃんが赤ん坊を抱いている。男の孫同士が喧嘩したらおばあちゃんがしかった。近所の助け合いが生きてるようで、今日はこの畑をやったら次は隣人の畑を手伝う、というような協力関係ができている。そこで3時間も休んだ。鶏スープの鶏は土佐ジローぐらい美味しい。黒い鳥と言って1キロで12ドルする。噛みごたえのあるものでした。お別れを言ってまたトラックに乗る。いい季節で土曜日だし、結婚式をやっていたが、全くの西洋スタイルだった。それからサンドさんが必要な帽子とライターを2つ買って、メコン川の切符を買う。一人2500バーツくらいだった。そして今日泊まるホテルに行って休んだ。

その後町のリバーサイドレストランで夜の食事をした。トムヤンクン、卵焼き、パッタイなどを食べる。ホテルで休んだのだけど、夜中に大火事が起こり、三軒先まで燃えて、これはこっちにも日が来るかもしれないと、荷物をまとめ、逃げ出す用意をしてずっと見ていた。消防がなかなか来なくて、でも死人が出なくてよかった。

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2月5日 メコン川下〜パクペン

2017年4月26日 水曜日

翌日プーキーさんが来て一緒に麺を食べた。とってもおいしかったけど、とても高かった。水も付いて1人100バーツくらい。この国境の町ではキープもバーツも使える。その店には一族が来て朝からお酒を飲んで歌を歌っている。美空ひばりにそっくりな髪の毛アップにして、眉毛を切り替えた女の人がマイクを持って離さない。眉毛を引いて、目張りを入れ、真っ赤な口紅を塗り、髪の毛をアップにして花の飾りをつけたりしているのでひばりそっくりに見える。

11時に出発すると言う船が全然出なくて、どんどんどんどん観光客を乗せる。後から後からリュックを背負った若者が来る。まるで船が重荷で沈んでいくようなのが怖かった。儲けるだけ儲けようと言うつもりらしい。結局たくさんのグループ、英語を話す若い兄ちゃん姉ちゃん達を乗せて出発したのが12時。ところがこの若者たちのマナーの悪いことったら大変なもので、ビールを飲みまくり、そのたんびに手洗いに行き、お手洗いは300人の乗客に1つしかなく、いつ行っても5人くらいは並んでいて大騒ぎ。「何人なの?」とサンドさんに聞くと、若者相手の国際ツアーじゃないのかな」と言う。

私たちの席は1番前で良かったんだけど、後から乗ってきた人にどんどん占拠されてきた。川沿いの景色は、豚がいたり鹿がいたり、バファローがいたり、のんびりして代わり映えがしない。緑の中を走り、途中から両岸ともラオスになった。住民で、大きな家具やベッドを下ろして、迎えに来た人達とゆっくり運んでいくのが見えた。パクペンと言う中継地についた。ほんとにひなびた岸辺の小さな村で、泊まったホテルも悪くはない。坂に沿って一本の道しかなく、レストランは船の人たちでいっぱい。味はなんとなくお味噌っぽいというか、トマトケチャップ入れたような濃い味付けだった。

サンドさんはまだ胃の調子がいまいちなので生野菜は気をつけて、あげた春巻きとかスープとかそんなものを食べた。

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2月6日 パクペン〜ルアンパパン

2017年4月26日 水曜日

ゆっくり寝て次の日朝8時半に起きて麺を食べに行く。1番に市場で鳥の焼いたの、豚の焼いたのなどを船の中の昼食のために買い込んだ。ネズミとかカエルとかを焼いて売っていた。おばあさんたちは近くの村から頭に紐でかけて荷物を運んできた。ほんとに素朴な村だった。近代は市場の前にATMの機械が2つあるのだけ。山の上のほうに住んでる家は高床式で草ぶきだった。その日は予定どおり朝9時に出発。昨日の乗客が2手に分かれ、うるさい若者たちはもう一つの船に行ったので、やれやれ。でも船の持ち主なのか、ローカルピープルの女の子達がすごく威張っていて、我が物顔だった。ご飯は最後尾の景色の良い所に行って川を見ながら食べた。朝のうちはかなり寒くてイタリア人で子供三人の家族は寒い寒いと言っていた。前の1等席に座ったけどその分、風が強く寒いらしかった。

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私の席は景色がそんなに見えないけど、寒くはなかった。私もヒートテックの下を履いて、あったかいマフラーも出した。思ったより早く、ルアンパパンに夕方4時ぐらいについて、それでシーロー(トゥクトゥク)に乗る交渉がまた大変、1人25,000キープで4人で100,000キープとか言うからすごく高く感じる。訳がわかんなくて、でも計算すると1人4ドル位。8人載せないと発車しない。そして確かに20キロもないけど、町までは歩いてはいけないくらい遠かった。

私たちが泊まるホテルはリバーサイドの良いところにあるコロニアルの建物だ。中国風のちょうちんがついているのはあまりいただけないけど、部屋も緑の壁で古風な扇風機が付いていてなかなかいい。アメニティグッズや石鹸も今までのところよりずっといい。いつもタオルが白鳥の形にたたんであるのがおかしい。

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夜はナイトマーケットに行って、フンパンさんと言う若いビデオジャーナリストと会っていろんな話をした。彼はLooking Forと言うおじさんと自分の家族のことを作ったショートフィルムを作ったばかり。おじいさんは植民地時代の人なので、フランス語ができてフランス語を学校で教えたそうだ。ルアンパパンは前に来た時よりはるかにいいホテルなので、なんだか印象が良い。夜リバーサイドホテルのレストランでご飯を食べて、春巻きもラオス風のソーセージも、袋茸の炒め物もおいしかった。

2月7日

2017年4月26日 水曜日

朝食はホテルで。トーストと目玉焼きとコーヒーとフルーツなど。川の見えるバルコニーで。

街を歩き回る。世界遺産になって二十年、この町は前に来たときよりも良い方に変わっているように思える。一番、植民地時代の建物が多い高台の通り、ほとんど綺麗にリノベして高級ホテルやレストランになっている。町歩きを楽しみ、お寺もずいぶん見た。お寺の壁画は戦争についてのものが多い。ヘリテージセンターに行くと、世界遺産の範囲はもっとずっと広く、沼や水辺もある。伝統的な家を教えてくれて行ってみたが閉まっていた。ミュージアムも見る。昼は20,000キープであまり美味しくない麺を食べた。カオソーイだと言ったが、タイのイサーンで食べるカオソーイとは全く違う。夕方、フンパンさんの家に招かれ、ビールを飲みながら彼の作ったヴィデオを見た。ちょっとドキュメンタリーとは思えない、ノスタルジックな劇場映画のようだった。

彼は広い庭の居心地の良さそうな家に二人の子供と住んでいた。祖父の死に際し、一時お坊さんになったという。

夜は、フランス料理とラオス料理のフュージョンの店に行った。かなり洗練されて、見栄えも良かったが、素朴さはない。しかしここはラオスの若者を飲食店で働く人に育てるという使命を持っている。Tシャツの背中にはティーチャーとかスチューデントとかアルファベットで書いてある。若者の教育と自立を促すレストランで面白かった。

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2月8日

2017年4月26日 水曜日

ホテルの朝ごはんを食べないで、高台の美味しい麺やさんに行く。ぴったり8時に店の人が現れ、湯を沸かし、お皿を積み重ね、野菜を切り、肉を湯がき、麺を茹でる。その手順の儀式のようなすばらしさに見とれる。とても美味しかった。午前中はクッキングスクールに参加。ジョルダンは料理が好き。英語をよくしゃべる、冗談ばかり言うインストラクターが、まず市場に連れて行ってくれる。買い物をして、緑あふれる蓮池のほとりのスクールで、5種類もの難しい料理を作った。バッファローのサラダとか、レモングラスの中に鳥のひき肉を詰めて蒸したものとか、魚を葉っぱで巻いて蒸したものとか、お米はカオニャウという私の大好きなもち米。参加者はドイツ、スイス、ブラジル、オーストラリアなどの白人ばかりで、弁護士や医者がいた。スイスの人は私のつけている病人ヘルプマークが赤十字とハートマークなのだが、「スイス大好きってことでしょ?ありがとう!」などと話しかけてきた。確かに。これで席を譲ってもらったことは二度しかないけどね。

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午前中かけて調理。そのあとビールで試食、欲張ったけど食べきれない。
腹ごなしに山に登る。そこからの景色は素晴らしい。夜、空いているレストランがなくて、またリバーサイドの中国料理で、前に食べなかったものを頼んだ。ナイトマーケットはどこも同じようなものばかり売っている。イサムノグチみたいな竹ヒゴのランターンとか、切り紙残ったのとか。ただし、裸電球で目が眩しく先に帰る。

2月9日

2017年4月26日 水曜日

朝のバスで陸路、タイのロエイという町まで乗る。7時間かかる。

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バスはオンボロで、休憩のランチも化学調味料で閉口したが、ドライバーが実に頼りになりそうないい顔をしていて、これなら事故も起こさないだろうと思えた。あっという間に7時間が経ち、ロエイのバス停に初めて会う佐伯馨さんが待っていた。佐伯さんはいろんな仕事をしたのち、かなり前にルアンパバンの語学学校で日本語を教えていたことがある。Duanngさんとも長い友達で、ロエイまで迎えに来てくれたのである。この町にも佐伯さんの友達がいて、その一家で今日は晩ご飯をご馳走になる。とっても美味しかったが、何を食べたかまでは記録しなかった。それより、家族の楽しそうな暮らしに驚いた。お父さんやお兄ちゃんが、庭の隅でドラムを叩いてギターを弾いて、歌を歌って、ビールを飲んだ。こんな生活ができるなら最高!

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ヤンゴンに行けなかったの巻

2017年3月2日 木曜日

1月29日から旧友ジョルダン・サンドさんに誘われ、ミャンマーの首都ヤンゴンの下町の調査に行くことにしていた。とにかく出るだけで精一杯で、本の校正を一週間ですませ、28日の夜にはトランクに荷物を詰めて、と。朝になって、急に、ミャンマーってヴィザはいらないのかな、と疑問になる。やっぱりいるらしい。

前に陸路でタイから入ったときには現地で申請できたので、今回ヴィザを取らなきゃいけないことをすっかり忘れていた。でも当たって砕けろで、羽田に向かう。タイ国際航空でバンコク経由だ。カウンターで早速、「ミャンマー入国のヴィザはありますか」と聞かれて、「ないです、現地で申請する予定です」と言うと、「とんでもない、外交招待状のある人以外は無理です。こないだ来た人も家に帰っていただきました」と言われた。

「今から電子申請したら6時間以内にバンコクに着く頃は出てるんではないか」とか色々言ってみるが、「それも無理です。今日は日曜ですし」という。「じゃぁバンコクまで行ってウロウロしてます。そのあとの調査の予定もありますし」というと、順番に使う格安チケットなので、1でバンコクまで行ったところで2、3のヤンゴン往復が使ってないと4のバンコクから羽田には乗れないと言い出した。片道で買うとどうなるのって聞いたら100,000円はしますと言われたので、もうすごすご家に帰ろうかと思う。それでサンドさんに今回はリタイヤしますとメールしたところ、また戻ってみるとカウンターの女性が、電報打ちます、99%、帰りは乗れると思いますがそれなら行きますかと言われた。「いつもオタク使ってんだから頼むよ」と言ってそのままバンコクまで来てしまった。

羽田空港で河合桃ちゃんにバンコクの知ってる人を1人紹介してもらい、タイに詳しい槇さんに宿を取ってもらった。今までは誰かと一緒だったけど、初めて1人でスワンナプーム空港から空港シティーラインに乗ってペチャブリで降りてそれからMRTと云う地下鉄に乗り換えて北に上がったところのフェイクワンと言う駅に着く。そこからまた遠いので、スーツケースを引いて歩くわけにもいかず、シクロを雇って50 バーツが高いのかどうかわからないけどもKTゲストハウスに着いた。

まだ明るかった。緑に囲まれたとても静かで良いホテルで、広々していて、欧米人ばかり。家族連れもいる。NGOのメンバーも多いという。ただ欧米人がタイ人の彼女を連れているのもいる。のんびりするにはいいホテル。私は205号室で隣がプールだった。早速ドボンと1つ浴びて、これから後5日間、何もやることないんだ。と言っても、来る直前まで仕事ばかりで、風邪もひいていたし、胃腸の調子も良くなかった。これは神様のくれた休暇と思うしかない。

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街に何か食べに行った。かなり遠くの市場まで歩いたけど、あまりこれという店がなくて戻りがけにあった小さな街の食堂に入ったら、まぁ皆さん親切。空芯菜いためてくれと言ったら、これも入れるかといって豚肉を指差して、これがまたコリコリカリカリで美味しくて、ついでにふくろだけも入れてもらって、その炒め物でビールを飲んだ。ビールは大瓶だから全部は飲みきれなかった。それから卵焼きも作ってくれた。食堂の人がみんなまかない食みたいなのを食べてる。一人メインシェフみたいなおばさんがいて、あとは若い女の子たちがTシャツに七分丈のズボンで実によく働く。他にも体動かして働いてる人が多いので町中、非常に健全な気がする。直しやさんとか木工屋さん、自動車の修理やさんとかいろんなもの。家電線がものすごい数、張り巡らされているけど危なくないんだろうか。木の間も通ってるがあまり気にしてないらしい。素晴らしい夕焼けが見えた。あ、りすだ、電線の上張ってて危ないなぁ。

こっちに来て気がついたこと。地下鉄のつり革は真ん中にしかないので立ってる乗客が座ってる乗客の上に威圧的に覆い被さったしないのはいいと思う。みんなきちっと並んで乗るのもいいと思う。年上の人がいる時は若い人が席を譲るのもいいと思う。地下鉄の切符は機械より、窓口で買ったほうがいい。でもスクンビットもペップリーもフェイクアンもなかなか伝わらない。しかし地下鉄とBTSという高架鉄道が同じ券で乗れないのは面倒だ。

駅にはバイクの黄色いジャケットを着たお兄ちゃんがいて、どこまででも乗せてってくれる。にいちゃんはヘルメットをかぶっているが客はかぶってない。こっちは20 バーツ。1日10回人を乗せて200バーツ、百回で2000バーツ。バイクは恋人どうして乗ってるのもいい。

またソイという横丁沿いに運んでくれる乗り合いのトクトクのようなものがある。少し余分に出すと荷物を家までお届けてくれたりする。これも便利な交通手段。

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部屋は650 バーツ、エアコンを使うと690 。あー、12時間も眠って膀胱炎になりかかっていたのも治って風邪も少し良くなった。

1月30日

2017年3月2日 木曜日

9時になったらもういいかなと思って、前にお世話になったNさんの友達のKさんと言う方に連絡した。Nさんは旦那さんがこちらで広告会社を経営していて、息子さんはチュラロンコーン大学生のものすごい美男子だった。チュラ大というのは、バンコクにある東大みたいなものだ。イタリアンでランチして、3時間もエステをして、ジム・トンプソンのアウトレットに連れて行ってもらったりして、バッグパッカーの私はバンコクにこんな優雅な生活があるとはと驚愕したのだった。そのNさんもすでに東京へ帰られたという。

そのまたご友人のKさんと、MRTに4つ乗ってBTSに乗り換えて1つのファランボーン駅で待ち合わせした。とても要領の良い教え方なのでいけると思う。

伺った話では、Kさんは関西出身で、旦那さんは建設会社のオーナー。彼はバンコクで生まれたそうだ。戦後にご両親がこっちに来て仕事を始めたそうだ。

旦那さんは日本で勉強したのでその時知り合って、こっちに来てもう30年以上いるという。娘さんと息子さんが高校も大学も東京、ご自分の親も東京で行ったり来たり。でも旦那さんのお母さんにしてみれば、もう60年以上住んでいるので、バンコクを離れる気はないらしい。

私が650 バーツの宿にいるって聞いたらのけぞっていた。朝は35バーツ出街角の麺屋で食べたと聞いても驚いていた。その屋台もすごくきれいなお姉さんとおばあちゃんと2人でやっていてすごく親切でおいしかった。

「私はそういうところには行ったことがないからほんとにバンコクの狭い社会での中で生きてるだけなのよ」とKさんは言った。「特にボランティアとか何か社会的文化的な仕事してるわけじゃないし」。

チェンマイの奥地のラフ族の話をしたら、「ほんとにそういう話を聞いてびっくりするわ」という。正直な方だ。それでこれからお友達と一緒にご飯を食べましょうよと言うので、エンポリアムの下のホテルで待ち合わせした。この辺は駐在員や日本人在住者の多いところ。その中の1人はこのホテルの最上階にお住いだとか。3回目の駐在というSさんはマッサージも好きだし、ジムトンプソンの家でボランティアガイドをしていていろんな情報を教えてもらった。それからもう1人は小柄で綺麗な人で猫が病気になったので心配をしていた。もう1人は艶やかで、大柄で優しかった。

皆の服はカジュアルだけど、どっかに光物のベルトとか指輪とか銀色の靴とか履いていて、おしゃれでバックはみんなプラダとかヴュトンとかブランド品を持っていた。せっかく日本人が来たんだからと言って、ちょっとおしゃれな郊外の1軒家のタイ料理に連れてってもらった。割ったら300 バーツだからそんな高くはなかった。1000円位。適当にいろんなもの頼んでもらったけど全ておいしかった。特に憧れの茄子のたたきが食べられた。私はスイカジュースを飲んだ。そこに来ているタイ人は裕福そうで、みんな尊敬されていた国王の死を悼んで黒い服を着ていた。

バンコクは暑いが、クーラーが寒いのでみんな席につくとさっさとカーディガンとか羽織るものを取り出す。さすがに長いだけのことはある。私だけ寒かった。観光客は何色を着てもいいそうだ。または黒い喪章をつける。王妃も体調が悪い。来月行われる葬式には退位したがってる、高齢な天皇皇后の見えるという。確かにタイと日本の皇室には長い友好の歴史があった。次の王様のことについては皆あまり話さない。

みなさん、しっかりした甲斐性のある夫を持ち、異国でこういう風に日常を生きていく人達もいるんだなぁと感慨深かった。皆さん親切で韓国エステの店を予約してくれて、3時まで時間があり、ショッピングも興味ないし、別の足裏マッサージの家に時間つぶしに入ったけど、ここは300もとった割にほんとやる気のない女性が何かいやいやもんでる感じで良くなかった。

その後行ったところは1000バーツでものすごくいろんなことをしてくれた。顔に様々なクリームを塗ってほっとく間に足を揉んだり、腰を揉んだり背中を揉んだりするんでもう1時間半でくたくたになった。お茶も出してくれて韓国人のマダムもとても感じがよく、英語も上手でまた来たくなるような店だった。

帰りにダブルダブルツリーのホテルを抜けると、今度はヒルトンに繋がってて、ヒルトンを抜けたらもうエンポリアムがあって、そこから駅に直結してた。でもこんなビル街はあまり興味がない。国王の喪に服してる割には、中国の春節なので真っ赤な飾りがいっぱい付いている。駅はすごく簡素な作りで、暑いから風が吹き抜けて日本みたいに閉鎖的じゃない。BTSは窓口は両替だけであとは機械でコインで買えという。間違って15ですむところを31も払って16 バーツ損してしまった。

駅からまたバイクに乗ってゲストハウスまで帰ったけど、夕方でものすごく渋滞しているところをすり抜けすり抜けていくので、私は何度も隣の車に足を擦りそうになった。少し休んで、近くのイサーン料理の小さな店に行く。表に素焼きのポットが並んでいる。すき焼きと言われたけど、これはどう見てもしゃぶしゃぶ。とてもおいしい。家でもやってみたいが、このみかんの葉っぱとレモングラスと生姜のような香草がないとこんな味は出ない。白菜、空芯菜、春雨、鶏肉も豚肉も牛肉も、さらにイカとエビも入っていても盛りだくさん。東京のコカレストランなら3000円コース。全部卵で絡めてあるので、それを入れると卵がぶくぶくと固まってなかなかおいしい。スープも飲みほしたらお腹いっぱいになった。これとビールで210 バーツ、700円くらい。

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1月31日

2017年3月2日 木曜日

ホテルに帰って、浅田次郎の文庫本を読みながら9時には寝てしまった。夜中に起きてまた2章ぐらい読んで、起きたら8時だった。それで昨日のKさんにお礼の電話をしたところよかったら今日も来ませんかと言うことになり、11時ぐらいに家を訪ねることになった。習字の自習教室をやっているらしい。11時ごろに豪華な名前のマンションに行きました。

古いけどおちつけて広い部屋。夫婦2人で住んでいて8階にはお母様。もうひとりのTさんの旦那さんは台湾の方のようで台湾生まれで、今お父さんが90でバンコクにいるので、動けないし置いても帰れないのでずっといるという。もう1人来ていたAさんの旦那さんも会社のオーナーで、郊外に1戸建ての家にたくさんの骨董品があるので、ミニミュージアムみたいになってる。建設や食品や部品や化学関係で、日本人がいろんな会社を経営しているようなのだ。

皆さん1番心配なのは医療で、「日本人はあんなに安く医療が受けられることを当たり前に思ってるけどそんな国は世界中にない」「ゆりかごから墓場までのイギリスでもがんがわかってもお金がなければ診察は1年先になるので、やっぱりお金を払っていい病院に行く」「タイでも30 バーツ診療とかいうのタクシンがやったけども重病で30 バーツで済む話はない。だから日本から来る時は傷害保険に入ってきた方が良い」などと口々に話していた。

今日は日本人が多いホテルで昼ごはんをしようというので、どんなに高い店かなとちょっと心配になったが、298バーツでめちゃくちゃ何でも食べれるビュッフェで結構おいしかった。

それからもう暇なんだしと、近くのワットポーの出店に行ったけど、足裏のマッサージが250バーツ、タイマッサージが300バーツ、合わせて2時間のところ1時間40分しかやってくれない。観光化と流れ作業化が進んでいる。だからチップあげなかった。

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それからまた例の街の食堂に行って、ビールを飲みながら若い女の子が一生懸命切ったり炒めたり煮たりしてるの見てたら、涙が出そうになる。ちょうどバス停の前なのでバスから降りた人も何か買って行く。オートバイの兄ちゃんも買いに来る。みんなビールなんか飲まない。定食のカオパット、炒めご飯を食べている人や、パッタイ、台風の幅広麺の焼きそばを食べている人も、テレビを見上げながら食べて出て行く。