‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

8月7日 方丈記

2018年8月30日 木曜日

若い人に読書の楽しみを知ってもらうための「日本文芸家協会」のプロモーションで、まず行くことのない六本木ヒルズのスタジオに行く。ここはグーグルが上の方の階をごっそり借りているそうで、どんだけ儲かっているのかなあ、などといじましい事を考える。

話したのは「方丈記」について。縮小社会を主張するのもいいけど、方丈という狭さを選択する自由な生き方について話す。また「ゆく川の流れは絶えずして・・・」という冒頭より、その当時の京都がいかに、飢饉、地震、大火、洪水、疫病などに襲われまくっていたのか、現代との類似にも驚く。

夜、千駄木のKlass で谷根千の歴史について話す。若い人たちがたくさんきてくれて、帰りに大好きなにしきやでみんなで飲んでまた話す。

8月8日 谷中墓地再取材

2018年8月30日 木曜日

紀伊国屋書店「スクリプタ」に「30年後の谷根千」の連載記事。今回は7号の谷中墓地特集に関連して、特に門前のお茶屋さん5軒と花重さんに再度インタビュー。なんと藤村屋前の明治のガス灯が撤去されていた。谷中の第1級の文化財なのに。

8月9日 スカッと見える白いパンツ

2018年8月30日 木曜日

今日は長崎で平和記念式典があり、国連の事務総長のアントニオ・グテーレスさんが核兵器廃絶に関する素晴らしいスピーチをしていた。

谷中の酒井美和子さんが「森さん、服は上がダークだったら夏は白いズボンにしたら」という。もっともなことだ。「作ってあげる」と言ってくれ、遊びに行く。そしたら「シマムラに行ったら安くて品物もいいのがあって、作るの馬鹿らしくなっちゃった。似合いそうなのを買ってきた」という。下着やお古もいただき、その上美味しいお昼も、さらに、前にお願いした留め金が壊れたり、バラバラになったネックレスを直してくれていた。なんとありがたい友達。

「ハマっちゃって、1日やってた」ということで、ベネチアのムラーノ島のガラスも、母が成人の際にくれた水晶もきれいに直っていたのだが、中に手持ちのビーズや玉も挟まってかなり派手な「首飾り」になっていた。これ、ちょっとつけるの恥ずかしいかも。

夜は最近気に入っている神保町の「笑酒」でジャーナリストとなった大学時代の友人と会う。どんなに体型が変わろうと、昔の友達は昔の面影を重ねてくれる。早慶戦を見に行く約束する。

8月10日 長年のコンビ

2018年8月30日 木曜日

朝、山崎さん、家に来る。彼女は還暦を迎えて転職。大正大学が発行する「地域人」という雑誌の編集者になって、私の連載を担当してくれている。

まちづくりや地域の実践を30年してきて、情報を持っている彼女に本当にぴったりの仕事なのだ。

本人は中身のグレードに比して、大学なのでどうしても営業が足りないというので、編集より営業をしたいらしい。なんだか毎月阿吽の呼吸という感じで、文章を直してもらったり、リードや小見出しもぴったりつけてもらい嬉しい。

8月11日 本郷屋上パーティ

2018年8月30日 木曜日

本郷の香川ヒサさんのうちに前に昼ご飯をご馳走になった時、屋上からの絶景に、「ここでビアホールしたいなあ」と言ったら、香川さんが実現してくれた。香川の親分、と私たちが呼んでいるが、夫の遺した会社を女だてらに?切り盛りし、リタイア後は文京区のあらゆる市民運動の先頭に立っている凄い女性である。なかなか楽しい仲間で、持ち寄りパーティだったが、私は食べただけ。

明日からタイに行くが、現地の子供たちのために服を集めた。協力してくれた香川さんは,長年東大の留学生の子育てなども支援して古着をあつめたそうだ。だけど最近は子供を育てる留学生が減ってきたのだという。それがどっさりあるので、私がちゃっかりもらって、何度かに分けて運ぶ。

8月12日 サマータイム

2018年8月30日 木曜日

夜の便でバンコク経由チェンマイ行きなのに、仕事が全然終わらない。今はジョージタウン大学の出版物のため、霞ヶ丘アパートの住民のインタビューをまとめているところだ。忙しいところへユタカからメール。

「ヨーロッパは夏日が長くて、冬短い。

だから夏の日の長さをみんなでなるべく楽しもうとしてサマータイムを導入している。

つまり、1時間時計を早めて、仕事はいつも通り終わって、明るい時間を長く楽しむためにサマータイムがある。

けして仕事やオリンピックのためではない。

みんなが夕方から長く遊ぶためにある。

日本では朝の涼しい時間に仕事しましょうとか言ってるけど、もしサマータイムを導入したら、夕方、まだ明るいんだから仕事しろとか言って残業が増えるだけ」

確かに

タイで避暑の8月 8月13日、ここからタイ旅行

2018年8月23日 木曜日

初めて夜の便に乗ってみた。13日の0時40分のに乗るためには12日の夜10時位には行かなければいけない。時々間違える人がいるそうだ。羽田はとても使いやすい。JALの3席の真ん中で席は変えてもらえなかった。でも対応が非常に良かった。バンコクの空港は広くてすごい歩かされて、どっちに行けばいいのかわかんなくなる。降りていったら前のチェンマイ便に乗れそうだったけど、乗れなくて3時間ロビーで寝ていて、チェンマイに着いた。

私は国際線のほうの荷物取りにいかなければいけないのに、係員の誘導間違いで、ずっと国内線の方で待っており、手荷物は一向に出てこない。私の胸に貼ったブルーシートはそういう意味だったらしいのだ。でも150バーツの市内までのタクシーはスムーズに乗れ、150バーツでぴったりホテルに付く。ホテルは昔美人だったろうと思う中国系のおばちゃんの経営で、安くて落ち着いて、小さくてでもとても広いキングサイズのベッドが1個ある。仕事机もあるしお風呂もシャワーもあるので満足。小日向素子さんに会った。二人で川沿いでビールを飲んだ。熱帯のタイのほうが東京よりずっと涼しい。今は雨季で夜にざっと一雨くるが、果物は最高。

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8月14日

2018年8月23日 木曜日

朝から牧場に行き、馬と遊ぶ。日本医大の学生や、障害を持つタイの学校の子供達と馬を使ったレッスン。馬に乗らないで、糞を集めたり、ブラッシングをしたり、餌をやったりするだけだが、だんだん馬の気持ちになって、心も落ち着いていく。馬は敏感な生き物で、あまり見つめてはいけないらしい。「目を見て話せ」というけど、これは相手次第だ。目をそらすこと、目を落とすこと、はにかむこと、も大事だ。

お昼には日本医大の学長さんたちと食事、すでに半世紀、アジアの大学との交流を続けてこられたという。学長は千駄木一丁目一番地の大学のトップで、私の本も読んでおられた。他の先生方も、気さくでやさしそうな感じの人ばかりで好印象。学生たちはまあ上品でや刺しそうな人たちという印象だが、一人精悍な感じの男子がいる。

夜もまた、大学同士の交流レセプションに混ぜていただいて高級タイ料理をいただいたが、私はやっぱり屋台飯の方がうまいと思う。ご馳走になったのにすみません。

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8月15日 敗戦記念日

2018年8月23日 木曜日

今日も牧場で半日過ごし、そのあと、チェンマイ大学が計画した介護付きの老人ホームが竣工したので見に行く。草原の中にどでかいビルができていたが、コンセプトがないので、日本側にサポートを求めているらしい。また介護施設を求める日本人たちも見にきていた。

話を聞くと面白い。チェンマイには日本人がたくさんいる。夫と離婚したり死別してくる女性もいれば、妻をなくして1人で来てこちらで現地の人と結婚する人もいる。かと思うと夫婦で穏やかに年金暮らしを楽しむ人もいる。貧富の差も激しく、金持ちからそうでない人までいる。半年だけいる人やロングステイ会もあり、バンコクのような駐在員の街とは違う雰囲気。

ただし長く住むにつれ1番気になるのは老後の生活だ。生活費は安いと行っても、日本では使える介護保険はここでは使えない。健康保険も使えない。もし生活に困窮すれば出るはずの生活保護も使えない。となると全部自費でやらなければならないので日本に帰る人も多い。「冬は暖かいし夏は涼しい」「タイ人は大変親切だ。優しい」「物価が安い」「ゴルフ三昧」と言う意見も聞かれた。結局見に来た人たちが聞きたかったのは、ここにいくらで入れるかと言うことなのだが、それはまだ決まっていないようだった。

中には「ここで馬に乗れるなら入ってみたいわ」などと言うおばさんたちもいた。大阪の人で「春と秋は日本がいいけど、夏と冬はこっちがいいと行ったり来たりしている」人もいた。フレンズとか言う老人医療機器のメーカーも関わってこれからのノーハウを作っていくのだが、元日本総領事もその仕事に関わり、日本医大の先生方も相談に乗っているらしい。

それで今日の仕事終わり。夜は日本医大に勉強に留学に来た看護師さん達の同窓会に招かれたのだが、もう社交をする体力の余裕はなかった。一人でナイトバザールに行ってヘチマのヒゲの炒めたのと鶏肉のパリパリ焼きでビールを1本、10時ぐらいに寝た。楽な夜で良かった気がする。

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8月16日 毎日牧場

2018年8月23日 木曜日

もう3日目。今日も朝8時に出発して9時前には牧場につき、お腹がすいたので高城由梨絵さんのご飯をもらって卵焼きを焼いた。こちらの卵は生卵では食べられない。ナンプラーをかけてマンゴーの酢漬けでご飯。

今日は養護施設から5人の子供がやってきた。2人はダウン症に見えたが後は大体自閉症。ダウン症と自閉症両方持ってる子供がいるらしい。ホースインストラクターの寄田さんが馬に何が必要ですかと言う質問に対しなかなか良い答えが出る。「ご飯をあげる」と言うのと「一緒にいる」と言うのと「触ってあげる」と言うのとあって、それをやってみることになった。

最初から触らせようとすると怖がるのだと言う。

最初はこわごわ手を出していたのが鼻面に触ったり、首を撫でて暖かさを感じたり、ピクっとするのを見たりする。大きな子供もよく触ったのでお母さんが喜んでいた。1人ダウン症の男の子で非常にアクティブだったのに、途中から怖がって遠ざかろうとしていた。保護者が、参加しなきゃだめって言って連れてこようとしたりしたが、全然いかない。寄田さんが最後にその子ふざけて抱いて連れてきて、その子もやっと餌をやる気になっていたところに、誰かがどっさり草を持ってきたため、馬が驚いてしまい静かな関係性は壊れてしまった。なかなか難しいものだと思う。

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今日の昼は幅広い面と細い麺の店で豚肉と牛肉があった。私は牛肉の方を食べて辛くておいしかったが、幅広麺の豚肉も美味しそうだった。タイ語の発音が難しいので、みんなシンタロー先生と呼んでいる人がみんな注文してくれる。この牧場のオーナー、人柄が良くて優しくてみんなの面倒を見る牧師さんだ。英語も話せて何でもできる。なぜかキリスト教徒になった途端すべての財産投げ出して活動しているのだそうだ。奥さんは大学の看護師で学長さん。

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夜はさよならパーティーに行った。立派なホテルで大学が催し、学生たちの出し物があった。チェンマイ大側の学生は紺セージのスカートに白いブラウスで高校生のようだったが、古典楽器の演奏をした。日本側の子たちはAKBの恋するフォーチュンクッキーを踊って見せる。最後、こんな高級ホテルでカラオケタイムになり、偉い先生方が、谷村新司の「スバル」とHey Judeなんか歌って盛り上がった。どこまで続くのかと心配したが、あっさり終わりで、みんなで握手をして別れた。