‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

2月2日

2017年3月2日 木曜日

バンコクの木造の古い建築といったらあれを見なきゃね、というので、思い切ってタクシーでウィラメイクと言う宮殿に行ったら閉まっていた。乗せてくれたタクシーの運転手はとても親切で、彼のせいでもないのにすまながっていた。それで波止場まで行ってもらう。チャオプラヤー川を船で降りる。昨日の船旅に味をしめたわけ。どこかで気に入っていた赤い帽子をなくしてしまったらしい。タクシーかな、波止場かな。やりたいとすればこの船の運転手。車掌さんもかっこいい。船から飛び降りて、桟橋の杭に綱を巻く。呼吸など颯爽としている。三島由紀夫の暁の寺に出てくるワット・アルンで降りたら一見してわかる日本人の写真家がいた。今回はバンコクだけをとって歩くそうだ。

オリエンタルホテルの船着き場で降りてホテルのレストランに行く。川が見える。カオソーイとオレンジのカクテルを飲んだ。そのカクテルがものすごい量でなかなか減らない。ついに酔っ払ってしまった。ウェイターはさすがオリエンタル、周りが欧米人ばかりで、でもどんな人にもすごく丁寧でユーモアのある対応している。そこからタクシーに乗ったが、ファランボーンの駅まで渋滞だった。始発駅から地下鉄にずっと乗って、家に帰った。夜はイサーン料理屋に行って、ソムタムという青いパパイヤを削った辛いサラダでビール。トマトやナスの小さいのや、エビのペーストなどが入っているらしい。それだけではビールが飲みきれず、隣の人が食べていた豚の薄切りを頼んでみる。大正解。辛いタレにつけて食べたおいしかった。

もう浅田次郎の「天切り松」は読み切ったので、昨日から、高井有一さんの「この国の空」を読んでいる。ご存命の時に映画化されるというので文庫本が新版で出て、それをいただいたのに、読んでいなかった。名作だと思う。荒井晴彦監督が私の大好きな長谷川博巳と二階堂なんとかいう女優で映画化されたんだそう。建物疎開や配給、隣組、空襲、その他戦時中の東京での暮らしがきっちり書き込まれ、勉強になる。

街で聞く話に、妻子を田舎に疎開させた中年男と、夫を戦争に取られた若い奥さんができちゃった話をよく聞いた。その時は私も30そこそこで、ちょっと不潔に感じたものだが、確かに、お互い寄る辺のない身で、隣組で協力しあったら、そこに恋情が芽生えるのも致し方ないと思う。しかし、男が38歳の所帯持で、女が19歳というところがちょっと男性目線か。それとせっかく教員になろうとした娘を、母親が止めて、嫁に行かそうとするところなんかは、ちょっと封建的だと思う。うちの母はこの主人公の娘より3つ下で、戦後歯医者になったし、伯母はこの娘さんより4つ上で、女子大を出て文部省に努め、終戦の時は日本放送協会のアナウンサーだった。みんながみんなこんな風に母親が旧弊なわけではない。

2月3日

2017年3月2日 木曜日

もう何もやることがない。読む本もない。朝から部屋で青空文庫の子規を読み返し、それをノートに取りたいのでノートを買いに行ったついでにビールも買ってきた。ホテルのレストランでパッタイを食べたら、大変おいしかった。小さな子供を4人も連れてアメリカかヨーロッパから来たらしい親子、生まれでまだ首も座っていない赤ん坊を連れてきているのもいていい度胸だと思う。

それからプールサイドで読書ざんまい。プールサイドを渡る風で寒くなってしまった。このホテルは中国人のオーナーで隣にまたもう一棟ホテルを建てているが、そのために私の部屋からの眺望は全くなくなっている。工事音もうるさい。東京よりもバンコクの街は騒々しい。鳥も鳴くけど、車もバイクもとんでもない音を出す。

4時半過ぎにホテルを清算して、午後5時半ぐらいに空港に着いた。東京から飛んできたサンド夫人志保子さんはミーティングポイントに5時半に現れたが、コンケンからわざわざわたしたちのたびに付き合うため、来てくれたイサーンの農民ドアンさん、サンドさんもなかなか来なかった。明日朝の便が早いので、空港の近くと言ってもかなり遠いホテルに指し回しの車で着いたのは8時半。それから食事をした。

サンドさんはミャンマーでアイスクリームにあたって胃が壊れたのでチキンスープのみ。私と志保子さんはビールで5種類位のご飯を食べた。やっぱり人数が多いと種類が食べられる。空港ホテルはフロントの感じが悪かったし、蚊もいたし、設備も悪い。5時に目覚まして5時45分に集合して6時のバスで空港へ向かった。ヤンゴンはやっぱりとっても良かったらしい。まだ開発や観光化が進む前にヤンゴンを見ておきたかった。いや、また近々、行く話はありそうだ。イサーンやチェンマイの山奥にはバンコク経由で行くけれど、この所、バンコクの喧騒を避けて、街には入らなかった。久しぶりに良い休暇となった。

20170302_05

東北巡礼 2016年12月20日〜26日

2017年1月5日 木曜日

3・11の震災後は北に通うことが多かったが、、ほぼ2年前、体の不調がわかってそれからは治療と京都で気功や整体に参加することが多くなった。「まゆみさん、なかなか来ませんね」ということで、東北の友人たちが招いてくれて、2015年も12月の初めに、父祖の地丸森、萩ママこと高橋廣子先生のおられる仙台、そして石巻の北上川河口の友人たちのところへ行った。今年もまた暮れになって、懐かしい友人たちを訪ね、東北巡礼、過酷な震災にも負けずに活動を続けている東北の群れなす星に会いに行く。

12月20日

2017年1月5日 木曜日

白石蔵王の駅で早川真理さんにピックアップしてもらう。真里さんは私が丸森町のクラインガルテンを借りて農業をやっていた至福の5年間の隣人。彼女がいなくては足のない私はどこへ行くにも苦労したことだろう。現在は白石に住んで、丸森のグリーンツーリズムの仕事などを引き受けている。美味しい白石うーめんを食べて、丸森入り。風景を見るだけで懐かしい。
耕野の八島哲郎さん、主要事業の筍と干し柿は今年は順調のようだ。どんなに逆境でもめげない哲郎さん、お母さんがまたとても元気で、美味しい漬物、ゆず湯、それに「今日は冬至だから」とかぼちゃ汁粉を出してくれた。
夜は菊池家で「みどりやま」のシェフ菊池ひろしさんの作る、玉ねぎやまいたけの天ぷら、鹿の味噌漬と、ポキとか言うまぐろとアボカドの前菜で、お酒を1本。広い家が夫婦2人になると使わない部分が多くてねえ、とこれはどこでも聞く話だ。縮小時代には、家の減築や断熱が必要になってくるだろう。

丸森耕野の八島哲郎さんと早川真理さん

丸森耕野の八島哲郎さんと早川真理さん

12月21日

2017年1月5日 木曜日

佐藤一郎さん、佐藤巌さんなどをお尋ねするがご不在。宍戸克美さんは消防署を退職され、町の教育委員になられた。3・11以後に東北の仮設を回る時、テキパキと道の状況を教えてくれた方だ。野菜ソムリエの志津子さんにプンタレッラやピクルスをご馳走になりながら、よもやま話。
昼に新しくできたペルシッカーでカレーを食べた。前から話を聞きたかった八島孝夫さんのとこに行って、無理を言ってお話を聞いた。八島さんは94歳、大正10年生まれ。
「うちは馬上11騎という伊達の家来。今大河ドラマでやっている道明寺川の戦いに参加、大阪夏の陣にも参加した。私で25代目になる。17歳で東京に出て、東洋大学の拓殖学科に進み、南洋殖産のお金で学友4人とヤップ、パラオなどに出張。その頃の原住民の生活を見た。写真機で横浜の波止場を出るところから、女性たちの農作業や踊り、月経小屋などというものもあった。いもを食べる暮らし、日本の移民の暮らし、パイナップル缶詰工場など見てきた」
「東洋大学時代は第二東洋館という下宿に住んで、「ハイマート(故郷)」と言う喫茶店で5銭のコーヒーを飲んだり、今晩軒で20銭の定食を食べたりした。史学科に転じ助手になるところだったが、学徒動員で陸軍士官学校に入り直し、小倉で終戦を迎えた。長男だったので故郷に帰り、なし、もも、りんごの栽培や蚕を育てるのまで必死になって働いた」
マラソンに出るはずだったが戦争で出られなかった。戦後マスターズの水泳選手として数々の賞をとった。そして八島さんが郷土史家として、丸森町史に関わり、3万点の資料を読んだのだという。

161221_2

新しくできた古本屋さんには私の本も並んでいた。素晴らしい実家の建物をお店にして、お茶も飲みながらゆっくり本も読める空間を作りたい、というご主人。奥さんは絵描きさん。自然な暮らしを心がけるお2人の選んだ本が並んでいる。そこから真理さんと一路、仙台へ。

かりっぺのロバの古本屋さん

かりっぺのロバの古本屋さん

高橋廣子先生は結城登美雄さんに紹介してもらったのだが、宮城の郷土料理をきちんと伝えられる料理研究家で、いろんなご縁があって、仙台でお世話になる。「本当はハラコ飯をご馳走したいけどちょっと季節が終わって残念」と今日のメインはかき鍋。しかし、出てくる漬け物梅干し、いくらのしょうゆ漬け、芋茎の煮物、大根の酢漬け、素晴らしく美味しい。
丸森中学の佐藤元校長、東北工業大学の大沼先生と新井先生が来て、スレート瓦の民家の調査のレポートや荒浜や復興住宅でのまちづくりの話も聞かせてもらった。

仙台の料理研究家高橋廣子先生

仙台の料理研究家高橋廣子先生

12月22日

2017年1月5日 木曜日

朝は卵焼きとハムとパン。ケチャップマヨネーズもジャムを全部手作り、「人にご馳走したくない位おいしい」と廣子先生が冗談を言う。昨日はゆっくり話せなかったのでお話。廣子先生は元は銀行員だったのだが、早く旦那さまをなくされて料理教室で文学研究家と建築家の二人の素晴らしいお嬢さんを育てた。11時ぐらいに石巻のコメ農家の渡辺征治さんが迎えに来てくれた。仙台も上野公園のように木を切っている。あおば通を「市民の利便性のため」拡幅するためだそうだ。何が杜の都。塩釜の市場に行ってなかおち丼1000円を食べた。あげの入っている味噌汁がすごくおいしかった。
松島を通ったので、明治26年の正岡子規の「はて知らずの旅」のうち、富山の4大観の1つを見逃していることに気づき、車なのでえいやと上がって見た。そこは本当に素晴らしい景色で、指呼の間に松島が見える。ご住職「芭蕉の跡を訪ねる人で明治から昭和の初めくらいまではここにもよく旅人が来ました。その頃は松島の遊覧船乗り場から船で来たのでしょう。今田んぼに見えるあたりもその頃はみんな海でした」とのこと。ついでに松島市役所に戻り、社会教育科の元木さんに明治の頃の話を聞く。その頃の地図もコピーしてくださった。体の弱い子規がなんで自動車も電車もないのに、こんな遠いところまで来たのか、わかった。船で来て表口から階段を上がったのであろう。
北上町、道の駅、双子の湯は、私はとても好きである。木を多く使った設計がいい。お風呂の泉質がいい。しかもコンクリートとガラスの公共の湯にない、露天風呂みたいな、やや薄暗い湯船でひなびた感じである。お風呂に入ってしてから熊谷産業の事務所に行って、みんなで「ここち」に行った。ここは全国でも本当に「居心地」の良い酒場で、誰にも教えたくない。
震災にもめげずに復興を目指して活動しているコメ農家の大内さん、茅葺の熊谷さん、カキ養殖の坂下さんはじめ、たくさんの人が集まった。なんと飛露喜が大きなコップになみなみと。手羽肉とハタハタの焼いたのと刺身はエビとタコとシメサバ、ホウボウの鍋。宮城県のカキからはノロウィルスが出て出荷停止だとかで、坂下さんは大打撃。でも息子が後を継ぐことに決めたという嬉しいニュースもあった。
追分温泉に送ってもらうと宿は満杯の賑やかさ。そこでなんと建築家でミュージシャンの渋谷しゅうじさんと明日、石巻のライブに出る熊谷かねじさんがギターを弾いていた。なんと贅沢、3、4人で震災や森をテーマにした歌をさんざん聞いて、お風呂に入って寝た。

途中塩釜の市場で食べたなかおち丼

途中塩釜の市場で食べたなかおち丼

石巻で私の1番好きな居酒屋こころ。熊谷秋雄さんです

石巻で私の1番好きな居酒屋こころ。熊谷秋雄さんです

12月23日

2017年1月5日 木曜日

朝もお風呂に入り考えた。この人気の宿は震災直後から罹災者の炊き出しやお風呂の提供を始め、そのうちに仮設住宅に認定された。お布団はあるし、ひと家族一室を使うことができ、お風呂もある。日本一ありがたい仮設だと当時書いた。ご主人の横山宗一さんは「農業や漁業の復興がないうちに観光の復興なんてありえない」と言い切ったが、これは被災地で聞いた名言の一つだった。横山さんは他の仮設の人々にもお風呂を振る舞い、お年寄りや家族のため体に良い食事を作り続けた。
もともと人気はあったが、今も満員だ。それはここにお世話になった人々の感謝もあるだろうと思う。朝はさんまの焼き魚とおふの入った味噌汁、ピカピカのご飯。美味しかった。
10時に熊谷さんが迎えに来てくれて、事務所に行って仕事をしてたら、それから年の瀬のお餅つきが始まって、1時間位でお餅ができた。これをゴマ、あんこ、豆、納豆味、醤油味、くるみ味で食べた。仙台雑煮もある。大根とニンジンとごぼうと高野豆腐、鶏肉を入れてお餅を入れる。ハゼで出汁を取るのもあるらしい。

リアスの森の餅つき

リアスの森の餅つき

まぁよく食べた食べた、つきたての餅

まぁよく食べた食べた、つきたての餅

お腹がいっぱいなったから出発して、茅葺屋根のお得意さんにカレンダー配りながら家を見て回る。川渡温泉の「山ふところの宿みやま」に着いたのが5時半。ここは私の田舎代わり。本当に落ち着く。「森さんの書いてくれた『自遊人』みてくる人もいるし、岩波新書の『震災日録』読んできたご夫婦というのもあった」。鳴子温泉郷は日本で出る10の泉質のうち8種類を体験できる東日本最大の温泉郷。みやまさんが農家の馬小屋を改造して湯治場を始めたのが40年前、新館を立てたのが20年前。こちらの建物は何がいいかというと、温水によるパネルヒーター暖房なので、うるさいヒーターの音、自動販売機の音もなく、とても静かで暖かい。温泉に入ると良い木の匂いがして、緩いので何度でもいつまでも入っていられる。今回は湯治場気分を味わうために本館の6畳間を占有したが、窓辺には3畳ほどのキッチンもあり、コンロ、流し、調理器具、食器も揃っている。3日続きの宴会の後なので、私はここで粗食湯治をすることにした。
送ってきた熊谷さんも20周年の時お祝いしなかったんでと上がり込んでボージョレヌーボーでお話。結局、ここの名物大根餅や飛竜頭など6種類のつまみ出してもらってしまった。おにぎりと少しのおかずは次の日のためにとっといた。

12月24日

2017年1月5日 木曜日

よく寝た寝た。朝お茶だけでいいと思ったんだけど、おにぎりをチンしてもらいに行ったら、お味噌汁まで恵んでもらった。そこに熊谷さんのお父さん貞好さんが来たので、大変良い話を聞いた。貞好さんは昭和7年生まれ、農家でもあり、北上川で魚を捕る漁師でもあった。「あの頃は北上川で鮭もスズキも鰻も取れた。うなぎなんて毎日みたいに食べていたんだよ。それは流網とか地引網でも網が大きくて、小さな魚は潜って逃げれるようになってた。今みたいに一網打尽ということはなかった。やっぱりほどほどが大事だ。山菜だって、地元のものは来年のことも考えて遠慮してとるけど、外から来た人は根こそぎ取るでしょう。それで山菜もなくなった、魚もいなくなったって、人間は自分で自分の首を絞めているようなものだ。やっぱりほどほどが大事だね。そして農繁期が終われば昔は3週間は湯治に行って、うちのおじいちゃんなんか、チッキで鍋釜布団も送って、網の繕いもその間にしてたんだよ」

北上川のヨシも相当戻ってきました

北上川のヨシも相当戻ってきました

今日のお昼は尿前の関の近くにある大きな古民家のレストランでクリスマスのお料理を食べようということになった。そこは鈴木さんというIターンの女性を中心にやっていた。牛蒡の素揚げ、サトイモのスープ、ミートローフ味噌味、ネギのグラタン、サツマイモのサラダ、全て体に良さそうで美味しかった。帰りに熊谷さんのお父さんの逗留している農民の家に寄る。1949年に、当時の農協の組合長が、農民にも娯楽も保養が必要だということで作った。三養とは「静養、保養、教養」だという。かなり古くなって迷路のようだったが、温泉はいくつもの種類があって素晴らしかった。
そんなわけで夜は軽く、追分温泉さんのくれたホタテの刺身で、お酒を飲んで寝た。板垣さんに今日も付き合ってもらっちゃった。山ふところの湯にいながらこんなに視野の広い旅館の主人を私は知らない。

民家を改造したさとのわ

民家を改造したさとのわ

川渡温泉みやまでダイエット湯治

川渡温泉みやまでダイエット湯治

12月25日

2017年1月5日 木曜日

半日ゲラ直し。お昼近くに鳴子温泉まで遊びに行く。温泉神社にお参りし、小花で地鶏南蛮、その後滝の湯に入る。遊佐家が守っている源泉で、大きな湯船は熱い。奥のぬるい湯に浸かる。湯炊きが落ちて水しぶきが上がる。硫黄の匂いもする黄色い湯。その後、早稲田の桟敷き湯へ。その昔早稲田の学生が発見したお湯とかで早稲田の教授石山修武さんが作った当初はなんだかなあ、と思ったが、時代を経て、いい感じに寂れていた。黄色い壁と、ピンクの壁、透明な湯、高い天井と窓、本当にのんびりできる空間を作っていた。
夜、また8時ごろ、一回り、美味しい夕食を食べた後、9時過ぎに結城登美雄さん登場。明日から桑名のですぐ帰られたが、お元気そうで何より。今日は「鳴子の米プロジェクト」の長女の会。私のうちもここのお米を取っている。息子たちが美味しいというので。鬼首の寒冷地に育てる米を、「雪むすび」と名付けている。もち米のような感じだ。それを農家が食べられる値段をつけて売ることをトラストで行い、消費者は春先に今年の米を予約する。CSAコミュニティ・サポーテッド・アグリカルチャーは結城さんのアイディアで、今や、駅弁屋、東京の食堂などでも大口の予約者がいる。寒冷地のため、収穫と干しを済ませて、我が家にもつい2週間くらい前に新米が届いたところだ。東京では9月になると新米が出回り始め、首を長くして待っていたのだが、待つ甲斐のある美味しさだ。
結城さんが帰った後、西大立目さんたちとまた酒を酌み交わす。彼女はライターでもあり、プランナーでもあり、仙台の街での環境保全、建物保存を担ってきた人である。30年前、お互い30そこそこだった頃と変わらない。声高でなく、いつも冷静で、ゆっくり低い声で語る西大立目さん、みんな「タチメ」などとあだ名で呼ぶが、私の大好きな尊敬する人だ。

12月26日

2017年1月5日 木曜日

朝ごはんは例によってご飯と味噌汁と漬物のみ。午前中に川渡温泉を散歩して、藤島旅館まで行ってみる。ここの立ち寄り湯は300円と安い。黄緑色の静かな湯に一人で浸かる。幸せだ。この旅館にも湯治したいものである。売店もあるし、店屋物も取ることができる。それほど構えなくても気楽に湯治ができる。前にお話を聞いたご主人がもうおられないのが寂しい。

大好きな藤島旅館に朝湯に入りに行きました

大好きな藤島旅館に朝湯に入りに行きました

鳴子温泉には浅草区の子供達が学童疎開でお世話になった。「芝居の家の子なのか、幟で作った布団を持ってきた子がいましたっけ」。鳴子の人たちの温かさ、今もその時の子供達が80近くなってくるという。もうそろそろ東京に帰る時間だ。古河まで列車で行こうと思ったのに、宿の主人板垣さんが「どうせ用があるついでだから、仙台まで連れて行ってやるよという」。
途中でそば粉で作ったガレットを食べさせる店で軽く昼食をとり、仙台駅に向かった。ジバングクラブだから、帰りは7000円、3割引。本を読んでいる間に上野につく。荷物運びに来てよ、と連絡した息子が改札の向こうで手を振るのが見えた。来年も、思い立ったら、東北へ行こう。

ここには昔の文人の寄せ書きもあります

ここには昔の文人の寄せ書きもあります

 街には懐かしい構のお店もたくさん

街には懐かしい構のお店もたくさん