2014年11月 のアーカイブ

9月18−20日

2014年11月28日 金曜日

種子島に行くという岸さんに突然思い立って同行。前の日に鹿児島に入り、磯御殿と集成館を見て金ちゃんラーメンを食べて、レムといういいホテルに泊まる。翌日朝の船で種子島に行き、魚市場を見る。それからお茶の栽培をしている組合や黒砂糖の組合を見る。鉄砲伝来と宇宙開発の島というイメージが覆されていく。それにしてもずっと雨だったのが残念。

9月15日

2014年11月28日 金曜日

名主屋敷調査。谷根千の30年間、入った事のなかった旧家に初めて入ることができ感無量。

久しぶりに建築の研究者に会う。「中堅のゼネコンは信用できるが、大きなゼネコンはみんな下請けに丸投げ。いくら予算を切り詰めても、下請けの職人が泣くだけ。自分は損しない。
ゼネコンだって赤字だと分かっているものを引き受けるわけはない。
東北の被災地を元気づけ復興が進んでいるのを示すというのが目的なら、オリンピックはやめればいい。資材人材を奪っているのが現状。すでにこれだけ立派なスタジアムがあるのに、今さら新しいのはいらない。オリンピックは地方でやった方がいい。選手村から羽田までを整備すればいい。どこだって一時間ちょっとで行けるんだから。招致都市でなければやれないというのは、組織委員会がいっているだけ。そうでないと国内で返上運動が起こると脅かせばどうにかなる。丹下さんの代々木体育館も重文になったが、このままでいくとレプリカ新築になりそう」

9月11日

2014年11月28日 金曜日

夜、ラポーで仲間とおいしいタイ料理。

9月10日

2014年11月28日 金曜日

元IAEA会長原科幸彦先生のIOC会長への手紙に対し、返事くる。

槙文彦先生のほうからも出したがこれには3ヶ月経っても返事がない。

9月9日

2014年11月28日 金曜日

霞ヶ丘の住民に同行で有田芳生事務所で都住宅局の人とあった。

1、都は、JSC有識者会議で霞ヶ丘団地を新国立の敷地に入れることが決まったので、2012年7月に日付のない「移転していただくことになりました」という紙を全戸に配布。その後、一回だけ説明会を開く。あとは住民の不安に応えず、町会役員と二ヶ月に一度、会合を開くだけ。住民は情報の伝達も要望の吸い上げもないと感じている。

2、つまり、300戸の居住者と相談もせず、有識者会議の決定があったら、それに抗議もせず唯々諾々と都営住宅住民を追い出すことに加担した。都の住宅局の仕事は住宅困窮者の保護ではないのか?

3、しかも、都内部で、ここを新国立競技場の敷地にくみ入れるという公式の決定はされた様子がない。決定書類もない!(四季の庭、明治公園に着いても同様かも)

4、おそらく有識者会議に参加した石原知事が口約束したのではないか? 霞ヶ丘では「石原さんはこんな都心の一等地に都営住宅なんかいらないからつぶしていいと言った」という噂がたっています。もし本当だとすれば、千代田、港、中央、新宿などの都心の一等地にある都営住宅は何か国策があるたびにつぶされることになります。

5、都の渡辺氏、霞ヶ丘団地の土地権利関係を答えられず。住民甚野氏、「1ー8号棟は都の土地で、9、10が財務省の土地ではないですか」と即答。「元は青山練兵場でした」

6、JSCの高崎氏にいつ、どうやって新国立の敷地を取得したのですか、と聞きました。「四季の庭、明治公園、霞ヶ丘団地もまだ、土地は都のものです。うちは買ってません」とのこと。つまりJSCは都民の財産の上にザハの巨大なスタジアムを夢想しているのです。

7、都の渡辺氏、現在の居住者数を答えられず。200世帯くらいじゃないですかなどと答える。

私たちも関与して稲葉研究室がアンケート調査をした際、180戸はポストが空いていた(他は封鎖)、そのなかでも長期入院中、施設入居中などもあり、おそらく140戸もいないと住民。都住宅局は「丁寧に対処する」といいながら、こうした住民の意向や生活実態の調査もせず把握もしていないことがわかりました。

8、JSCは12日夜に日本青年館で解体工事の説明会を行ないますが、これについて「ステークホルダーである私たちも参加してよいでしょうか」とただしたところ、「どうぞ。立ち見になるかもしれませんが」メディアもいいんですか?「どうぞ。ただ住民が来るのでカメラ撮影はしないで下さい」とのこと。

夜、「女のきっぷ」の三刷りを祝い、久しぶりに向島のわくい亭に岩波の木村さんと行く。なかなかにおいしい。おかみさんが昔の取材を覚えてくれていたのもうれしい。

9月8日

建築家たちは納得できないところはJSCに再度質問をするという。中村勉さんが槙さんからの疑問も含めて、今日,出すことになった。中沢新一さんからも26日のシンポ「宮台真司さんにも声をかけてみる」というお返事をいただく。

9月7日

2014年11月28日 金曜日

仙台平野の海の雑誌に千葉の海の話を書く。きょう、JSCと建築家五団体の追加説明会が行われているはず。JSCによる単なるご説明にならなければよいが。漏れ聞く話によれば、

「JSCはその説明と質問から、改修案は採用しない理由としている、耐震性のないこと、地中梁がないこと、9レーンがとれないこと、8万人が入れないこと、設計工期がかかり、2019年3月には完成できないこと、などの説明がありましたが、一方、耐震補強という形ではなく、すべて現在の法規で設計するという形で計画すれば出来ること。以前の改修案は7万人、777億円であったが、もし8万人とすれば消費税をいれて977億円かかることなどが分かり、技術的には可能であるが、総合的に判断して、改築とすることにしたとのことです。

JSC及び設計担当、構造アドバイザーなどはまだ、なんとか素晴らしい技術を世界に見せたい。この気持がかれらを支えているようです。また、JSCは上からやれと言われているだけなので、それしかないようだ」

こういう事は秘密裏でなく公開ですべき事ではないだろうか?しかし大橋智子が陸連に言ったときに聞いた話では。「久米設計案の地下サブトラックについて、柱があるから投てきができないと説明していますが、

陸連でのヒアリングではこれで良いのだと言っていました。
天井高も地下では低いので、投てきには向きませんが、そもそも陸上と投てきは同じ場所で練習をすると、危険なので一緒にはやらないのだそうで す。
この案を見せたら、改築が決まる前にサブトラックを地下に設けてはどうかと提案したことはあるが、この案は初めて見た。これは良いと言っていました」

9月6日

2014年11月28日 金曜日

小日向素子さんが千駄木在住の岸さんを連れてきてくれたので、シシリア食堂でご飯。農水産業を食べられる仕事にするために奮闘しているすごく面白い人だった。萩原碌山の文覚にそっくりだった。酒豪の夫人も駆けつけ4人でワイン何本あけたのやら。

9月3−7日

2014年11月28日 金曜日

沖縄の疲れでだらだら過ごす。前進座の九条武子の芝居のパンフレットにも書く。「こころ」に「青鞜」についても書く。新国立競技場、何とも言えないところに入ってきた。環境問題の仲間たちにこの間の動きを伝えこれからの方向をいくつか考える。もし解体が始まった場合、

1、オリンピック返上に切り替える。ーーブラジルの2016年、平昌の2018冬期オリンピックも相当、反対もあり、準備がおくれています。
2、壊したところは緑地にして、やるなら仮設でやれという。ーーこれだと国立のメインスタジアムがなくなるのでとうてい国はうんといわない。
3、槇先生を支援し、少なくとも無蓋化し、シンプルでスポーツのみに特化した安上がりなスタジアムを建設し、人工地盤の下などに国際子供スポーツセンターを併設する。

仲間たちと話し合い、26日に緊急シンポジウム「公開リレートーク」をやる事にする。日本青年館の国際ホールを借りる。槙文彦さんより、「店じまいのシンポではなく、更地になってもさまざまな考えを尽くしたい」とメール。しかしその日、ソウルでのdocomomoの基調講演なので残念ながら参加はできないということ。かわりに槙事務所の所員が出てくださることになった。あとは続々参加の返事。今までは専門家を招き、みんなで勉強しようと言う事だったが今回は今までの経験からも市民が前面に出て、共同代表も皆何らかの発言をしようということになった。「それでも意義あり、新国立競技場ーー戦後最大の愚挙を考える」

9月2日

2014年11月28日 金曜日

竹富島が焼けている。ぴくりとも風が吹かない。あまりの暑さに息もできない。クーラーで体がおかしくなってる。マイレージだったので、切符を変更してもらい、竹富から帰る。

9月1日

2014年11月28日 金曜日

ユンカイ。清明御嶽の前で芸能の奉納が行われる。途中雨がふる。滝のごとき、水流れる。