2013年7月 のアーカイブ

6月9日

2013年7月12日 金曜日

向島のアサヒビールで酒を愛した堀切利高さんをしのぶ会。理数系の教員をなさりながら荒畑寒村の研究にいそしんでおられた。伊藤野枝全集を監修し、最後に『野枝さんを探して』という初々しい題の本にまとめられた。弘隆社という出版社をおこし、『彷書月刊』という雑誌をはじめた。私が堀切さんと飲んだのは、私が40歳からの数年だ。そのころ七いろ文庫不思議堂の田村治芳さん、石神井書林の内堀弘さん、月の輪書林の高橋徹さん、坪内祐三さんなどと毎週2回も3回も飲んでいた。わたしの第三紀青春。そこにときに堀切さんや坂井ていさんが現れて、アナキズムを語ったりしたものだが。堀切さんは浅草育ち、下町の気持ちのいい人の典型でざっくばらんで、親切で、気前がよかった。一度市川のお宅にもお邪魔して帰りに駅前で飲んだのも覚えている。「野枝さんはまだちゃんと調べられていないですよ。あなたが野枝さんをお書きなさいよ」といった堀切さんの声が響くが、まだ南天堂もまとめていないし、この目の不具合では資料を読むこともおぼつかない。でも漱石ー草平ーらいてうー野枝となんだか続きそうな予感はする。

6月8日

2013年7月12日 金曜日

アメリカからK子さんが来たので、四谷のポールで待ち合わせ。サラダとパンでランチするにはとってもいい店である。コロンビア大学卒の二世政治家がいるが、大学にCIAみたいな教授がいてコネで入れているという噂は本当?と聞くと、それは知らないけど、あるでしょうね。ハーバードにも中国の党幹部の子どもは結構来ていて、ちゃんと英語をしゃべり、ネットワークを作っていく、それが中国と言う国のセーフティネットになる訳だから。日本はむしろそういうことに消極的ね、韓国だってそういうロビー活動はしているのに、というので驚く。
現代女性研究所の主催の会。鎌田慧、大石芳野、吉原毅の尊敬する三人とシンポジウム。大石さんて好きだなあ。自分の考えをちゃんと持っていて、ゆっくり話すし、原則的、女を売る感じのこびは全くないがそれでいてすてき。私たちはもう十数年前、MXテレビの番組審議会委員をしていて、あまりのひどさに委員を辞職して記者会見したことがある。そのときも大石さんの原則的な意見にずいぶん励まされたものだった。一緒にやめたのは粕谷一希さんと児玉美意子さん。

6月5日

2013年7月12日 金曜日

通販生活で売っている遮光レンズのサングラスボラフィットは私の必需品なのに、またなくしてこれで四つめである。注文殺到で在庫がないそうで、フォトンのOAグラスと
外歩き用の遮光レンズを買ったがこれが大当たり。ボラフィットほどごつくないので、人前でしゃべるときもかけたままである。
某公益法人の理事会にいく。なんだかよくわからない団体のトップの方々がおおいが、天下り先の役職なのだろうか。天下り先の職名でまたほかの法人の名誉職をしているのらしいが、日本の場合、公益法人もNPOも省庁の管理指導下にあるので、どうしても理事や評議員はもと官僚ばかりになる。もとより無給であるが、名刺に名誉職をいくつもすっている人もいる。理事や評議員は本当に汗をかかなくなる。不健全なことだと思う。相撲協会も元警視総監とかが理事長代行、監事などをつとめていた。

6月4日

2013年7月12日 金曜日

これまた気になっていた『安井かずみとその時代』を読む。著者の名は女性雑誌などでよく目にしていた。安井かずみの訳詞や歌詞はいいと思う。阿久悠のようなあざとさがなくて、切れ味もないが、普通できれいだ。のんびりしたあの時代を思い出す。
「私の城下町」のように「四季の草花が咲き乱れる」ことはないだろうし、
「レンゲの華を枕に眠る」と花はつぶれちゃうだろうし、矛盾だらけの歌詞を平気で書いていた。
しかし若くして印税が入り、ベンツを乗り回し、サンローランをきて、キャンティで夜ごと騒ぎまくるという彼女の人生の路線に私は一ミリもかめない。まったく興味がない。女の意地悪なところはなかった、と何人もが証言している。横浜のいいうちに生まれたお嬢さんだったのだろうが、美意識を振りかざす人ってどうも苦手。それはあなたの主観でしょう、ですみそうなことが多い。時代のロールモデルになり,完璧なカップルを演じていた安井かずみの内面の空虚がどんどん分析されていくのかと思ったら最後、渡辺美佐がでて来て、「あれはあれで幸せだったのよ」的な予定調和で終わってしまった。川口アパートから引っ越すところ、六本木の家のインテリア、かずみの死後一年もたたない加藤和彦の再婚と離婚、そして自死など、繰り返しが多い。でもあっという間に読んだからこの本、おもしろいのはたしかである。

6月3日

2013年7月12日 金曜日

たまっていたエッセイなどを書く。このところ、なくなった島森路子さんのことをずっと考えていた。会ったのは何回か。私より8歳うえだが、あんなに若く見えるきれいな人が亡くなったのが信じられない。若くして業界のスターであり、一時はテレビのキャスターをつとめたがそれはあまりにあっていなかった。委員をご一緒したことも3回あるが、忙しいのか欠席が多かったので、話したこともあまりない。書評委員会の忘年会に根津にいらした時も毛皮のコートを着ておられて世界が違うなあ、と思ったことだけだ。インタビューの名手だったとあちこちで書かれていて、そのうち読んでみたいと思う。彼女のインタビューするのはアーティストやクリエーターばかりで、私のような普通の市井の人ではないから、きっと手法も違うのだろうと思う。

6月2日

2013年7月12日 金曜日

ジョルダン・サンドさんの東大の留学生たちと谷中を歩く。まちづくりの話なので、
あまり文学や歴史は飛ばして、保存物件や富士見坂の眺望、萩荘など活用例などを案内。ちょうど谷中防災広場ではコミュニティ祭りをしており、野池さんとサンドさんは再会することができた。優秀な参加者は感想などを英語で書いて、それは谷根千のホームページに載せる予定。サンドさんは谷根千を英語で紹介する手伝いも検討すると言う。
このあいだ、東大の教育学部から「地域に入らせていただき地域から学ばせていただく」とかいうご丁寧だが収奪的な企画に協力しろといってきたが、それとサンドさんたちの考えはスッポンと月ほどもちがうよな。

6月1日

2013年7月12日 金曜日

新幹線で帰京。広島への飛行機代より、尾道からの新幹線代の方がずっと高い。
夕方、『夏休みの宿題は終わらない』を見る。使用済み核燃料の再処理施設、フランスのラアーグとイギリスのセラフィールドを取材した家族映画。日本の核燃料もここで再処理されている。そして周辺の住民は体調不良や白血病になやんでいる。こんな先進国でもこんなことが起こっているなんて。核は制御不可能である。ラアーグはあの美しい反戦ミュージカル『シェルブールの雨傘』の舞台とほんの目と鼻の先。