6月9日

向島のアサヒビールで酒を愛した堀切利高さんをしのぶ会。理数系の教員をなさりながら荒畑寒村の研究にいそしんでおられた。伊藤野枝全集を監修し、最後に『野枝さんを探して』という初々しい題の本にまとめられた。弘隆社という出版社をおこし、『彷書月刊』という雑誌をはじめた。私が堀切さんと飲んだのは、私が40歳からの数年だ。そのころ七いろ文庫不思議堂の田村治芳さん、石神井書林の内堀弘さん、月の輪書林の高橋徹さん、坪内祐三さんなどと毎週2回も3回も飲んでいた。わたしの第三紀青春。そこにときに堀切さんや坂井ていさんが現れて、アナキズムを語ったりしたものだが。堀切さんは浅草育ち、下町の気持ちのいい人の典型でざっくばらんで、親切で、気前がよかった。一度市川のお宅にもお邪魔して帰りに駅前で飲んだのも覚えている。「野枝さんはまだちゃんと調べられていないですよ。あなたが野枝さんをお書きなさいよ」といった堀切さんの声が響くが、まだ南天堂もまとめていないし、この目の不具合では資料を読むこともおぼつかない。でも漱石ー草平ーらいてうー野枝となんだか続きそうな予感はする。