2010年8月 のアーカイブ

4月26日

2010年8月10日 火曜日

朝、王子の紙の博物館で、金唐紙の復元を成功させ、湯島岩﨑邸の壁紙を作った上田さんのはなしを聞く。
午後、獨協大学で岡村圭子さんに頼まれた授業。久しぶりの大教室授業、トラウマではあったが、学生は熱心に聞いてくれた。
夜、ダム映画祭3日目。白山のジャズバー映画館は満員。『長江悠々』は100万人をずり上がり式などで移住させる三峡ダムの宣伝映画。住み慣れた土地がなくなるのはさみしいが生活が近代化する、といった住民の意見を紹介する。やっぱり中国の開発はトップダウンだ。北京オリンピックも上海万博も。12時まで打ち上げ。

4月25日

2010年8月10日 火曜日

朝、犬山のホテルの川沿いの日曜朝市をのぞいて楽しい。きのこ、山菜、パン、つきたて餅など買う。それから友人水田ふうさんのお見舞い。元気そうだった。パートナーの詩人向井孝の墓参りもする。父方の先祖は明智の子分で森蘭丸を討って、それから犬山に来たらしい。
ふうちゃんは何事もするする説明してくれるが、それ書いとけば、といっても向井さんも昔に興味はなかったんや、でおわり。
元気そうでよかった。もう人のことやるのやめたんや,自分のことだけ考える。私もそうしよう。
急いで帰ってダム映画祭3日目。これは山田絵美さんと川原さとこ二人の20代を中心にヤマサキ、谷根千ウロウロさん、区議の浅田さん、仰木と私などが応援して『ダムとわたし』の関係を見きわめようとずっと試写を続けて選んだものを上映する。きょうは一日記憶の蔵で。夜の部は元NHKチーフプロデューサー桜井均さんのセレクトで、NHKに許可も得て傑作『あるダムの履歴書』を上映。米原尚志ディレクターは初任地が釧路、88年からずっと記録して居り、なくなられた貝沢正さん、萱野茂さんの映像も自分で撮ったものを使っている。アイヌ文化とダム、問題の重層性、そして息の長い取材。谷根千にかつて暮らし、谷根千大好きな米原さんは終電まで蔵の打ち上げにつき合ってくれた。

4月23日

2010年8月10日 火曜日

中川道夫さんの『上海双世紀』の出版記念会が神楽坂で。

4月22日

2010年8月10日 火曜日

新たにすの素敵な仕事仲間と飲む。これも望郷酒場の追加取材で感激した店、大手町の『稲田屋』へ。鳥取の酒蔵が経営する店でなんと一合頼むと200ミリででてきて20ミリも得をする。ふつう一合で九勺しか入っていないような店が多い中、なんと良心的なんでしょう。サバのへしこやたなかげんげという不思議な魚などある。読売の水島さんがさるやの楊枝をくださる。ひとつひとつの楊枝にくじがついていた。

4月21日

2010年8月10日 火曜日

『望郷酒場』の追加取材で訪れた銀座の『あまくさ』がとてもよかったので、駅弁の女王小林しのぶさん、JTB の編集者河合桃子さんを誘って裏を返す。鯉淵さんという支配人、トークともてなしが最高。馬刺、天草大王という地鶏の鍋など、味に肥えた二人も満足してくれた。ウメ、桃、桜のお泊まりシスターズの仲間である。三人でJTBより『じぶんの宿』をだした以来のお友達。

4月18日

2010年8月10日 火曜日

またしても東北へ。鳴子温泉の大好きな宿みやまにて、ふみえはらはんの渋谷文枝さんと初めて会う。自分の言葉をしっかり持った方で、こんど宮城県のグリーンツリズム協議会の会長になられるとか。夜中まで飲んで、仮眠して、朝5時に野菜の収穫のため帰って行かれた。翌日、仙台で会議。

4月17日

2010年8月10日 火曜日

カタログハウスにて松場登美さんとトーク。『起業は山間から』(バジリコ)を書いた縁で。石見銀山で美しい暮らしを実践している登美さんに久しぶりに会う。昆布をお土産に貰う。打ち上げにカタログハウス社の方達が作ってくださったご馳走が心がこもっていて素敵だった。すべて社の取り扱っている有機、自然食品の食材に寄るもの。すごい。

4月11日から16日まで

2010年8月10日 火曜日

丸森。ふきのきんぴら。おからいため。野菜ジュース。ほうばみそ。ふきみそ。かもすき。まだまだ、畑には野菜が少ない。新地の荒治療院にいき、真理ちゃんと大河原の一目千本桜を見て白石から帰る。まだ寒く、河原にひと少なし。

4月9、10日

2010年8月10日 火曜日

集英社の方々とはじめて下諏訪大社の御柱を観に行く。これ百聞は一見にしかずの典型なり。位置関係、下諏訪、上諏訪の関係、秋の宮、春の宮の関係。木を切り出した山の中と、ご神木を落とす地点と、里の関係など複雑で、テレビや新聞ではとうてい飲み込めず。昔から行ってみたかった『みなとや』旅館に泊まる。ここも昔は諏訪湖の湖上交通を担っていた屋号である。馬刺、桜鍋など。小さな露天風呂が庭にひとつ、トイレは共同など、客によって好き嫌いはありそうだが、わたしは気にならず。いれちがいに浅田次郎さんのご一行到着。

4月8日

2010年8月10日 火曜日

ポプラ社の倉沢さんとデザイナーの矢萩さんが記憶の蔵に写真を探しにくる。とても寒い。谷根千の初期にわたしが撮った写真をこんどの文庫本の装幀に使い、なかに入れようという。あの頃、ニコンF2を持っていたが、フィルム代、現像代がもったいなく、ひとつの対象で一カットしか撮らなかった。でもまだ閑で牧歌的に町を歩いていた時代。愛情のあるよそ者には撮れないいい写真、とほめられ舞い上がる、今はこんな写真は撮れない。それに写っているほとんどのたてものや人がいない。