ざぶん賞という子どもたちの水に関する作文コンクールの作品を300近く読む。去年は津波がおおかったが、今年は九州の豪雨など多い。あしたからドイツなのだが、支度をする閑なし。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
9月27日
2012年11月9日 金曜日9月23日~26日 丸森行き
2012年11月9日 金曜日3ヶ月ぶりに第2の故郷、丸森へ行き、かつてお世話になった方々に挨拶かたがた、この1年半の身辺のこと、今思うことを聞いたりして来た。たとえば米は集落単位で放射線値をはかるが、野菜については町全体ではかる。ものすごく広大な丸森のどこかでしいたけが基準値を超えると、丸森町全体のしいたけが出荷停止になる。タケノコもそうだ。去年は不作でまだよかったが、今年は大豊作、しかし売ることができず放置も出来ないので、「かぐや姫探し隊」などボランティアを組織して、タケノコを掘っては捨てた。悲しかった、もったいなかった、という。でもそれをしなければ竹になってしまい、ますます竹林が荒れるばかりだ。「4週間、3ヶ所でとったものが続けて基準値以下だと出荷停止解除になるんですが、そのころにはタケノコだって終わっちゃうし、山菜だって終わっちゃうよ」と計測のおかしさを語っていた。また山菜やタケノコ、キノコはどうしても高く出るが、葉ものなどは基準値以下、それでも一品でも出荷停止のものがあると、あそこは高いといった風評被害が起きていると言う。また東電の補償は農業者だけで、しかも去年の売上げがはっきりしている人だけである。レシートや売った証明をできない農家がおおいため補償はメンドクサイから出さない、という農家もおおい。ようやく風評被害による飲食店の補償もはじまったが、これも昨年の売上げをきちんと補足している店に限る。「うちだけだって100万以上は売上げ減、だけどうちが少ないということは、うちが仕入れている肉屋さん、魚屋さんもそれだけ減った筈だけど彼等は補償を求めるのかな」とレストランのシェフがいっていた。
今の丸森の生活を映像に収める。高齢者は年金もらい、大したことないべ、何がやがや騒ぐんだ、と大わらい。子育て世代や若者はここで暮らして大丈夫か、と悩む。悩んだ末、ぎりぎりの計算をしてすむことに決めている。葉ものや大根にはほとんどセシウムは出ていない。小さな里山の中にも不協和音のあるような。とにかくここを見つめて行かなければならない。
9月22日 高崎
2012年11月9日 金曜日高崎で八ッ場ダムの中止を求める集会に出席。
八ッ場ダムのために県が緊急調査をすると、下から江戸時代の遺構がでて来たと言う。
しかも天明の浅間山の噴火の時によって泥流が流れ、埋もれた村だという。どうにかダムをやめて川原湯温泉付近を日本のポンペイとして整備できないか?
集会では、いままで文化財という格調高い側面に気付かなかった、と何人もの人はいったが、文化財=格調高い、というのは何かの間違いだ。文化財は身近にあるもので、みんなで守るべきものだ。シンポにでるためにすこし調べて、浅間山の火砕流でなくなった人がけっこういるのに気付いた。また浅間山のせいなのか、アイスランドの火山の噴火のせいか、この年は世界的な不作で、日本でも大変な数の人が餓死したが、この不作はフランス革命の遠因になったとも言われているそうで、天変地異と経済、政治の関係が興味深い。天明のころは地震に津波、火山の噴火、飢餓、大火事、流行病と息つく間もなく、戦後、私など58年を事故もなく、おだやかに過ごして来たことが奇跡のように思われる。これからあるのかな?
9月20日
2012年11月9日 金曜日ダイエットに成功した妹から黒いズボンを3枚もらう。これでドイツ行きの前に買物をしなくてすむ。
9月19日 水戸巌さんの奥さま
2012年11月9日 金曜日東京新聞によればいち早く原発の危険を訴えた京都大学の水戸巌さんの奥さま喜世子さんが、デモの先頭に立たれていた。水戸先生がいまご存命であればと思うが、なんと息子さん二人とともに、山で遭難、なくなられたのだ。いちどに三人の将来ある家族を失われた奥様の気持ちを考えるとなんとも言えない。それを乗り越えて闘い続けておられる姿はとおとい。
9月18日
2012年11月9日 金曜日関西放送たね蒔きジャーナルが打ち切りに。小出裕章さんなどをレギュラーゲストに迎えたので関電などからの圧力か? 自主規制か? わからないけれど残念だ。
紀伊国屋のPR雑誌『スクリプタ』で『隣のイスラーム』の連載始まり、一回目は大塚モスクのハールーンさん、二回目は日暮里のレストランザクロに。アリさんに久しぶりに会った。そして谷中銀座武藤書店のおじさんがなくなられたと聞いた。「谷根千」を初めから置いてくれてありがとうございました。写真の得意な方で谷根千の目次の上に載せさせていただいたこともある。
9月17日
2012年11月9日 金曜日「来てみれば、思ったほどではないだろうという、甘い考えは吹き飛びました」と中国へ商用で行った友人。買い物にスーパーに行くと、あちこちで日本人かと呼び止められた。とっさにスタッフが韓国人だと答えてことなきを得た。
「あちこちで日本車がぼこにされたり、日系のスーパーが放火略奪にあったり、毎日、テレビを見ていても、あおること、あおること。報道としては、ちょっと日本では考えられないエキサイトぶりです。中国でも下流の人は、先が見えないのに、一部の人は欧米並みの暮らしを享受しているので、鬱憤をはらすにはいい機会なのだそうです。いまどき 孫子の兵法かよと。といいたくなりますが、仮想敵は一党独裁国家には絶対に必要なのでしょう」
「国境なんて近代の概念だからね。日中で仲よく使えばいいんじゃないの? 国同士が仲悪くても、わたしたちは仲よくしましょうねえ、というしかないですね」と返信。
9月16日
2012年10月4日 木曜日東片町は徽章の会社の一階が神酒所になっている。立派な神輿。うちは西片からも来てくれるから地元で担ぎ手は間にあうの、とのこと。しかも根津さまと白山神社両方の氏子なそうで、大変。白山前町の神酒所で「わたしはこちらの町会員かと思いますが」といったら「次からてつだってくれる? こっちに来て」といわれてついていったら「あら。やだ、谷根千の森さんでしょ」と言われ、急にひるんだ。町会は大事だとは思うんだけど、あいかわらずお歴歴が神酒所に陣取り、女性はエプロンを占めて料理の準備というのがなんとなく解せない感じがする。それが固有の文化と言われればそれまでだが。
9月15日
2012年10月4日 木曜日きょうから白山神社と根津神社のおまつり。バリ島みたいに笛の音が町中に響いている。わっしょいわっしょいの神輿、どーん、どーん、かかかという出しの太鼓、なんだかそわそわして落ち着かない。この音を聞きながら仕事しているのって幸せ。
12時に国分寺、『ぶんぶんウィーク』で『チッタスローとしての谷根千』について話す。帰りに吉岡さんのカフェスローでおしゃべり、盟友ジョルダン・サンドさんも来てくれた。
9月14日
2012年10月4日 木曜日今日も原稿の直しとエッセイなど書く。仕事がたまっているのに、竹富ボケですすまず。1時間やっては家の掃除、ガス台磨き、洗濯、ゴミ出しなどで集注力のないことおびただしい。夜はメバチマグロ、エビのガーリック焼き、なすの漬け物でワイン。
みすず書房から出た『長い道』を読む。宮崎かづえさんは家族にかわいがられた子であったが10歳のときに長島愛生園にはいった。通い続けてくれた母の事、足を切ろうか悩んだ事、家族が会いにきてくれない療友のこと、結婚の事、どれもせつない。「あの温かさがあったから生きてこれたんだよ」という療友の死を看取る文にわたしは泣いた。私は戦後、普及したプロミンでこの病は救われたのかと思っていたが、宮崎さんの場合、プロミンがあわないタイプだったようで、そんなこともあるのか、と驚いた。ギリシアを舞台にしたヒスロップ『封じられた島』もおもしろかった。