‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

11月7日 石巻

2012年11月21日 水曜日

今回はみんな忙しそうだし、仙台日帰りにしようかと思ったが、熊谷さんに「くるんでしょ」と念押しされてしまったので朝の新幹線で。松島の駅で大内さんが待っていてくれた。米農家の大内さんは移転や年を取って耕作しない農家が増えたためなんと20町歩も作付けしたそうだ。「無農薬のひとめぼれが今年はうまくいった。おいしいです。そのうち5町歩は塩害でだめでした。塩害処理した水に塩が入っていた。宮城県は漁業の復興ばかり言って農業は見捨てられている気がする」
沿岸部はコンクリートの礎石も見えなくなり、草原、荒れ地に戻っている「ここにも町並みがあったんだよ」と言われてもわからない。元気を出して先に自費で再建した人が行政の建築規制に怒っている「今頃そんなことを言われたって」。沿岸でもお金のある人は仙台や盛岡に移ったとか。そのために都市部の地価はあがっているとも聞いた。

11月6日 ジュリーと都知事選

2012年11月21日 水曜日

1日家で仕事。ジュリーの動画を見てばかりいて仕事すすまず。若いころほんとうにきれいだな。
http://www.youtube.com/watch?v=dUUbO3zCdbQ&feature=related

それにしても都知事選も湯浅誠さんに出てもらいたかったなあ。山崎が出ないと言う弁を送ってくれた。「現在の石原新党、橋下維新といった流れに何らかの違和感を抱いているとしても、同時に社会運動や市民活動にも違和感や拒否感を抱いている可能性は少なくない」よ、ホントに、というコメント付き。
http://yuasamakoto.blogspot.jp/2012/11/2012116.html

11月3日 ジュリー

2012年11月21日 水曜日

きょうは小学校の友だちのミッキーが奥さんと准ミスインターナショナルの美しい方と、ジュリーのコンサートに行くけど、と誘ってくれたので東京フォーラムへ。かつてのジュリーファンも私と同世代で開演前はトイレに長い列。「おしっこちびる年になっても恋はするもんだよね」いいねえ。たしかにはじまると一列目が立ち上がり、だから二列目も立ち上がりだから三列目も立ち上がる他なく、四列目も立ち上がらないと見えないし、とドミノ立ち。シートを買ったのでなく、立ち見席か。
帰り、動坂の鳥清で焼き鳥とフグを食べて昔話。お客さんもいなくなったので、ヤッちゃんがサクソフォーンを吹いてくれた。昔の友だちはいい。おたがい今の白髪や贅肉のむこうに子どものころの面影が重なる。仕草や声はちっとも変わっていない。ジュリーもそうだ。昔を重ねられることの、時代を思い出すことのなつかしさ、すばらしさ。でもそうだけはいっていられない。ジュリーも「我が窮状」「恨まないよ」「FAPP」を歌って時代に流されないで生きている。どれも体にはいってくる歌でつい口ずさむ。

我が窮状 Julie – YouTube

11月1日 リブロ・トーク

2012年11月21日 水曜日

永井愛さんの『こんにちは、父さん』を見に行った。平幹二朗さんがやると町工場のおやじもリア王みたいな叙事詩になっちゃうのだな。いい意味で。普通の庶民の暮らしの中にドラマがあるということ。それにしても小泉ネオリベ内閣のツケの大きさに愕然とする。小さなまっとうな仕事をする技術のあるつつましい人々を日本から一掃してしまった。永井さんと会うとすぐハグしちゃう。話さないでもわかっているよ。
夕方、中島岳志さんと池袋リブロで『帝都の事件を歩く』のトーク。本郷を舞台に一高にいて華厳の滝に飛び込んだ藤村操の話から、漱石へ、井上日召へ、朝日平吾へ秋葉原事件へとどこまでも広がって行く話。どうやっておわらそう、と。それにしても中島さんの声は大きい。政治家向きだ。打ち上げは尖閣列島と竹島と都知事選で酔いながらも勉強になった。

10月27日

2012年11月9日 金曜日

東葛の読書の好きなみなさんのまえで東京駅の保存や震災以降の東北の文化財に点いて話す。物すごく知的レベルの高い方たちの会であった。東京駅のパンフレットをすこしだけ増刷したのだが25部も売れてうれしい。持って行った『千駄木の漱石』も7部売れた。

10月23日-24日

2012年11月9日 金曜日

会津板下に広木酒蔵の取材に。帰り東山温泉で温泉とお酒。ポン太こと平凡社の山本明子さんと一緒で、かえりに紅葉の磐梯山を眺め、また栄川を飲みながら帰って来て幸せ。

10月21日

2012年11月9日 金曜日

早稲田大学で阿刀田高さん、吉岡忍さんとシンポジウム。石巻ののんびり村であった吉成麻子さんが沿岸部の仮設住宅で仕事をしたい女性たちのために、着物の古着を集め、座布団カバーや袋物に縫うことを提案。
これに谷根千でも協力出来ないかと思い、安田邸を集める場所にしていただくことになる。ありがたい。

10月20日

2012年11月9日 金曜日

歯の治療。30分は何も食べちゃダメといわれたのに、道灌やまの稲毛屋でウナギを食べてしまいました。ドイツにいるあいだ中、恋しかったのよ~。いったん家に帰って仕事をしようと思ったのに、今はドイツでは深夜だから睡魔襲って昼寝。5時前にまた道灌山の小さなコンサートホールに青木美稚子先生のメゾ・ソプラノを聞きにいった。中学の音楽部に芸大の声楽科の学生であった先生が指導に来てくださったのはどう考えても40ン年前なのだが、先生はまったくおかわりない。計算するとまだ中学生だった私より6つしか年上ではないのに、そのときすでに落ち着き払って発声法には厳しかった。練習しなくてしかられた。先生は19か20だった筈だがなあ。いまは上品で色っぽい。『悲しい酒』『枯葉』ぞくぞくした。昭和のいろんな歌を憶い出す。ドイツの教会でたまたまシューベルトの冬の旅を聞いた。これもテノールがすばらしかった。
亡き父の愛したもうた冬の旅 フライブルグの教会で聞く。

10月19日

2012年11月9日 金曜日

3週間のドイツ・エネルギー紀行からやっと帰って来た。旅費を出してくれたスポンサーがいるのでそのことはここには書かない。カタログハウス社『通販生活』春の号をご覧ください。とにかく資料でパンパンの重いトランクを持って家までたどり着いた。
三週間分の新聞をよむ。丸谷才一さんがなくなられた。一度だけ、パーティの立ち話で「あ、根津を書いたのはあなたね」と声をかけていただいた。また後藤新平の愛した人とその子たちのことを書いた時に、毎日新聞に後藤新平の三冊を私が書くように推薦してくださったのは丸谷さんだと聞いた。丸谷さんは母と同じ鶴岡ゆかりの人なので親近感があった。
舞踏家の滑川五郎さんの訃報も見つけた。山海塾の創立時からのメンバーで、谷根千のあとに「とてちん」という都電荒川線沿いの文化誌を出そうとされた。創刊記念を王子の渋沢栄一ゆかりの建物でやったと覚えているが、1号しかでなかった。いまあったら珍品であろう。私も書いたし、しりあがり寿さんなども書いたのではなかったか?
滑川さんや緒方さんはこの町にすんでいた。「お坊さんがおおいからこの頭でもまぎれていられる」というのがその理由。東照宮を借りてガムランの演奏会をしようと何度も集まったが、結局そのガムランが芸大から借り出せないことがわかって、おじゃんになった。滑川さんの話でおもしろかったのは、栃木の大谷石の採掘場で舞踏をしたとき、だれか缶をほおり投げた。「そいつが誰だか、こうやって踊りながら探したんだよね」というシグザがおかしかった。それと欧州公演の際、有名なデザイナーにとても気に入られて自宅に招かれたが、いってみてゲイだとわかって身の危険を感じた話など、あれこれは緒方さんの話だったかな、とにかく付き合ったことのないタイプの方々。
山海塾の講演にも招待してもらったが、いってみたら招待席で隣りが石原慎太郎さんだった。石原さんとは飛行機の中でも隣り合わせになったことがある。なんとそのとき右にいたのが石原さんで、左にいたのが筑紫哲也さんだった。秋の講演シーズンの大分便だったと思うが、たまたまアプグレードしてもらうとトンデモナイ目に会うものだと、それいらい、普通席に決めている。筑紫さんは若いころ出版社で担当したこともあり、機内でも「森さん、荷物をあげましょう」と棚に入れては下さったが、おそい夜の番組に出演した次の日の朝とて、すぐアイマスクをして寝入ってしまった。ずっとあとに由布院の映画祭で再開し、なつかしくてハグしてしまったが、それが最後だった。人柄のおだやかな方であった。夜遅い番組のキャスターを長年務められ、都知事選にでるよう、いろんなプレッシャーがあって御病気になられたのではないか。
私が最初にあったのはワシントン特派員からかえられて夕方のテレビ番組に出演された頃、私は22歳で筑紫さんは39歳くらい、よく小娘に付き合ってくれたものだと思う。いちどあとがきを海外から電話口で送ってこられ、私が書き取っていると、「エ、大丈夫?」と聞くので「大丈夫ですよ」といった。あとで間違いがなかったので、筑紫さんは「あなたは書くのが早いんだなあ」とびっくりされていた。サファリジャケットで長髪の筑紫さんが勤めていた会社の女性たちにもあんまり人気なので、あまのじゃくの私は筑紫さんの前でカンボジア特派員だった井川一久さんをほめあげたりして、いまおもえば失礼この上ないことだったのだが、筑紫さんはにこにこして、そのうち紹介しますよ、と言ってくださった。若いというのは生意気なものだ。
切り絵画家の成田一徹さんもなくなられた。わが『谷根千』には石田良介さんと先に知り合って毎号、切り絵を乗せていただいていた。そのため成田さんには仕事の上では接点がなかったが、石田さんのとはまた違うジャンルの切り絵だったので、もっといろいろご一緒できればよかったのである。ちょっとしゃいでダンディな方で、谷根千の三人を切り絵にしてくださったのは、とてもいい感じに出来ていて、うれしかった。
こんなふうにそれからそれへと思い出す。いっぽうヤマサキなんか、最近では郷土史に
まるきり興味がないようで、それもわかる気がする。若いうちは過去のことをやたら知りたがるが、私たちが過去になりつつあるのだ。残り少ない余生を考えると、未来に何が残せるか、ばかり考えてしまう。原発のない世の中、ダムのない世の中、同一労働同一賃金の世の中、そう『帝都の事件を歩く』のあとがきに書いた。もうすぐ古老ですから、話を聞きにきてくださいね。

9月28日-10月19日

2012年11月9日 金曜日

ドイツ環境問題の研修。
このことは『通販生活』でお読みください。