アメリカからK子さんが来たので、四谷のポールで待ち合わせ。サラダとパンでランチするにはとってもいい店である。コロンビア大学卒の二世政治家がいるが、大学にCIAみたいな教授がいてコネで入れているという噂は本当?と聞くと、それは知らないけど、あるでしょうね。ハーバードにも中国の党幹部の子どもは結構来ていて、ちゃんと英語をしゃべり、ネットワークを作っていく、それが中国と言う国のセーフティネットになる訳だから。日本はむしろそういうことに消極的ね、韓国だってそういうロビー活動はしているのに、というので驚く。
現代女性研究所の主催の会。鎌田慧、大石芳野、吉原毅の尊敬する三人とシンポジウム。大石さんて好きだなあ。自分の考えをちゃんと持っていて、ゆっくり話すし、原則的、女を売る感じのこびは全くないがそれでいてすてき。私たちはもう十数年前、MXテレビの番組審議会委員をしていて、あまりのひどさに委員を辞職して記者会見したことがある。そのときも大石さんの原則的な意見にずいぶん励まされたものだった。一緒にやめたのは粕谷一希さんと児玉美意子さん。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
6月8日
2013年7月12日 金曜日6月5日
2013年7月12日 金曜日通販生活で売っている遮光レンズのサングラスボラフィットは私の必需品なのに、またなくしてこれで四つめである。注文殺到で在庫がないそうで、フォトンのOAグラスと
外歩き用の遮光レンズを買ったがこれが大当たり。ボラフィットほどごつくないので、人前でしゃべるときもかけたままである。
某公益法人の理事会にいく。なんだかよくわからない団体のトップの方々がおおいが、天下り先の役職なのだろうか。天下り先の職名でまたほかの法人の名誉職をしているのらしいが、日本の場合、公益法人もNPOも省庁の管理指導下にあるので、どうしても理事や評議員はもと官僚ばかりになる。もとより無給であるが、名刺に名誉職をいくつもすっている人もいる。理事や評議員は本当に汗をかかなくなる。不健全なことだと思う。相撲協会も元警視総監とかが理事長代行、監事などをつとめていた。
6月4日
2013年7月12日 金曜日これまた気になっていた『安井かずみとその時代』を読む。著者の名は女性雑誌などでよく目にしていた。安井かずみの訳詞や歌詞はいいと思う。阿久悠のようなあざとさがなくて、切れ味もないが、普通できれいだ。のんびりしたあの時代を思い出す。
「私の城下町」のように「四季の草花が咲き乱れる」ことはないだろうし、
「レンゲの華を枕に眠る」と花はつぶれちゃうだろうし、矛盾だらけの歌詞を平気で書いていた。
しかし若くして印税が入り、ベンツを乗り回し、サンローランをきて、キャンティで夜ごと騒ぎまくるという彼女の人生の路線に私は一ミリもかめない。まったく興味がない。女の意地悪なところはなかった、と何人もが証言している。横浜のいいうちに生まれたお嬢さんだったのだろうが、美意識を振りかざす人ってどうも苦手。それはあなたの主観でしょう、ですみそうなことが多い。時代のロールモデルになり,完璧なカップルを演じていた安井かずみの内面の空虚がどんどん分析されていくのかと思ったら最後、渡辺美佐がでて来て、「あれはあれで幸せだったのよ」的な予定調和で終わってしまった。川口アパートから引っ越すところ、六本木の家のインテリア、かずみの死後一年もたたない加藤和彦の再婚と離婚、そして自死など、繰り返しが多い。でもあっという間に読んだからこの本、おもしろいのはたしかである。
6月3日
2013年7月12日 金曜日たまっていたエッセイなどを書く。このところ、なくなった島森路子さんのことをずっと考えていた。会ったのは何回か。私より8歳うえだが、あんなに若く見えるきれいな人が亡くなったのが信じられない。若くして業界のスターであり、一時はテレビのキャスターをつとめたがそれはあまりにあっていなかった。委員をご一緒したことも3回あるが、忙しいのか欠席が多かったので、話したこともあまりない。書評委員会の忘年会に根津にいらした時も毛皮のコートを着ておられて世界が違うなあ、と思ったことだけだ。インタビューの名手だったとあちこちで書かれていて、そのうち読んでみたいと思う。彼女のインタビューするのはアーティストやクリエーターばかりで、私のような普通の市井の人ではないから、きっと手法も違うのだろうと思う。
6月2日
2013年7月12日 金曜日ジョルダン・サンドさんの東大の留学生たちと谷中を歩く。まちづくりの話なので、
あまり文学や歴史は飛ばして、保存物件や富士見坂の眺望、萩荘など活用例などを案内。ちょうど谷中防災広場ではコミュニティ祭りをしており、野池さんとサンドさんは再会することができた。優秀な参加者は感想などを英語で書いて、それは谷根千のホームページに載せる予定。サンドさんは谷根千を英語で紹介する手伝いも検討すると言う。
このあいだ、東大の教育学部から「地域に入らせていただき地域から学ばせていただく」とかいうご丁寧だが収奪的な企画に協力しろといってきたが、それとサンドさんたちの考えはスッポンと月ほどもちがうよな。
6月1日
2013年7月12日 金曜日新幹線で帰京。広島への飛行機代より、尾道からの新幹線代の方がずっと高い。
夕方、『夏休みの宿題は終わらない』を見る。使用済み核燃料の再処理施設、フランスのラアーグとイギリスのセラフィールドを取材した家族映画。日本の核燃料もここで再処理されている。そして周辺の住民は体調不良や白血病になやんでいる。こんな先進国でもこんなことが起こっているなんて。核は制御不可能である。ラアーグはあの美しい反戦ミュージカル『シェルブールの雨傘』の舞台とほんの目と鼻の先。
5月30日
2013年6月24日 月曜日午前中、文化財屋根をつくる木次乳業の見学、お昼は食の森のレストランで小公子というカラコルムの野生の葡萄を使った赤ワインで食事、帰ったら三キロくらい体重は増加ではないか? 忠吉さんがお元気でうれしい。
「免許証を返して足がのうなったけん。じゃけん、あんまり動かんといけんから、ごごはここの事務所にできるだけでとうます」という忠吉さん、いつまでもお元気で。
帰りも高速はつまらないから下道をいこうという熊谷さん、三次を通り、平田牧場という看板に引かれ、ふらふらと。ここは果樹を育てる観光農場で、動物もいるし、カフェやダッチオーブンで野外料理が出来る森もあり、素晴らしい小宇宙を若いスタッフが作っていた。広島空港で別れ、別のレンタカーに乗り換えて息子と広島泊まり。ANAのホテルがブッキングコムでとってもお得料金だったのだ。ご馳走ばかり食べたので、フロントおすすめの八昌なる広島お好み焼きを半分こしてビール。鉄板の上で焼いている手付きに見とれる。家でもやってみたいが、フライパンが焦げ付きそう。
5月30日
2013年6月24日 月曜日午前中、文化財屋根をつくる木次乳業の見学、お昼は食の森のレストランで小公子というカラコルムの野生の葡萄を使った赤ワインで食事、帰ったら三キロくらい体重は増加ではないか? 忠吉さんがお元気でうれしい。
「免許証を返して足がのうなったけん。じゃけん、あんまり動かんといけんから、ごごはここの事務所にできるだけでとうます」という忠吉さん、いつまでもお元気で。
帰りも高速はつまらないから下道をいこうという熊谷さん、三次を通り、平田牧場という看板に引かれ、ふらふらと。ここは果樹を育てる観光農場で、動物もいるし、カフェやダッチオーブンで野外料理が出来る森もあり、素晴らしい小宇宙を若いスタッフが作っていた。広島空港で別れ、別のレンタカーに乗り換えて息子と広島泊まり。ANAのホテルがブッキングコムでとってもお得料金だったのだ。ご馳走ばかり食べたので、フロントおすすめの八昌なる広島お好み焼きを半分こしてビール。鉄板の上で焼いている手付きに見とれる。家でもやってみたいが、フライパンが焦げ付きそう。
5月29日
2013年6月24日 月曜日石見から出雲へ。れいのごとく大田市で福祉施設を多岐にわたって経営しておられる高橋さんのところにより、そのあとタラソテラピーに興味のあるという熊谷さんたちがプールで泳ぎ、しているうちに木次乳業の佐藤忠吉さんのところに到着は4時すぎてしまった。でも出雲の夜は遅くくる。明るいうちに室山農園、奥出雲葡萄園、茅葺きの家、どぶろく工場などいろいろ見学することができた。「じゃあそろそろまいりますかな」という忠吉さんに案内されてついたのは町中の天野館。夜はなつかしい湯野上温泉に泊まる。
5月28日
2013年6月24日 月曜日広島空港で宮城の熊谷さん、豊沢さんと落合い、レンタカーで石見銀山へ。のはずが、さっそくやんちゃな熊谷さん、西條を通ると、降りて加茂鶴を飲んでいきましょう、ということになり、私は冷や冷や、きょうは4時から私たちが「震災後のまちづくりを考える」というセッションを群言堂鄙舎ですることになっているのだ。
「せっかくお見えになるのに便乗して悪いわね」と群言堂のオーナー登美さんはおっしゃるが、島根にいると東北の震災は遠いことに思えるという方たちに現地を知っていただくチャンスである。聞き酒をしては「後はまゆみさんに頼みます」「豊沢さんお願いします」といいながら飲んでばかりいる熊谷さん、けっきょく石見銀山に着いたのは三時すぎだった。群言堂では「暮しの手仕事を見直す」暮しの学校を立ち上げ、今回が第一回だそうである。しかし豊沢さんがちゃんと映像もまとめてくれていたし、いつも冗談しかいわない熊谷さんが人前に出ればちゃんと話すことに感動した。いつもそうやってよ。