近所のオアシスに行く。東急系のスポーツクラブで、妹や弟も入っているのだが、原田病にかかって以来、まだスポーツをするほど体力が回復していないので、整体や食事療法のみにしていたが、体を動かしたくなった。さまざまな教室があり、ためしに出てみるが弟が通っているエアロビクス系はリズムに乗って動きが早くとてもついて行けそうにない。音楽も大きくてうるさくて。で、ベリーダンス、本場では胸も腰も豊かな人がおどっているが、こちらは柳腰の美女ばかり、そこに私が混じると美女軍団と一頭のクマというかんじ。フラダンス、これもスタイルのいい美女ばかり。でも年配者も多いので、さっそくフラのスカートを買ってきておどっている。みんなの色とりどりのスカートを見るだけで楽しい。太極拳、気功もいい。ヨガもいい。そんな東洋ふうの動きのゆっくりした運動が今のところ楽しい。そのあと30分ほどプールで泳ぐ。弟を紹介者にしたら、そちらにプレゼントが行ったようで、「つづけるんだよ」という携帯メールがきた。さすが、弟だわ。
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
2月2日
2010年3月11日 木曜日2月1日
2010年3月11日 木曜日伊勢神宮と言うと皇室関係、団体客ぞろぞろ、という印象であったが、朝、まだ暗いうちに内宮を訪れると、森に鶏の鳴声がこだまして、徐々にあけて往く空、五十鈴川のきよらかな流れとまるで違う印象。ナポリ郊外ポンペイの遺跡を観光客のいない月の夜に訪れたことを思い出した。朝ご飯の後、東洋大学の学生たちと外宮、二見が浦を見て、そこから一人で名古屋へ。ミソカツ弁当を買って新幹線に乗り込む。ホームにはきしめんの立ち食いもあり、しまった、こっちにするんだった。
1月31日
2010年3月11日 木曜日近鉄伊勢山田駅は国の登録文化財で素晴らしい。しかし駅前はややさびしい。 観光客はたくさん来るが、伊勢神宮門前のおはらい町、おかげ横町にばかり行ってしまう。こちらは大変な混雑で、エビコロッケや松坂牛串焼きなどを歩き食いするひとでいっぱい。つけもの、ソフトクリーム、ビールにカキフライなども食欲をそそる。私は前と同じ店で伊勢うどんを食べた。茹でたての温かいうどんに甘いとろりとしたき醤油をかけて食べる。讃岐うどんのような腰の強いのが好きだが、これはこれでうまい。ものすごい混雑なのに、店員のおばさんみんな、落ち着いて信越なのには感心。近頃とみにそばよりうどんが好きになっている。夜は伊勢河崎のすてきな蔵を改造したバーで飲んだ。
1月30日
2010年3月11日 木曜日伊勢市で観光のシンポジウムに出る前に、前から気になっていた答志島に行く。鳥羽から30分ほど。ここは寝や子制度がまだ残る島なのだ。家の長男は家で夕食を食べた後、近くの人望のある家にいって、同年代の仲間と泊まる。一種の若衆宿だが、余り色っぽいはなしはない。世話になったいえの主人夫婦は親も同然、仲間は兄弟同然、一生助け合うと言う。
1月25日
2010年3月11日 木曜日芸大の元倉真琴先生、料理研究家の高橋広子先生、民俗研究家の結城登美雄さんと知り合いが関わっている縁で山形県朝日町にいく。雪の中だがうつくしい町である。役場の前に元倉さん設計のすっきりした創遊館がたつ。 ギャラリー、エコミュージアム、図書館、工房、そして小振りなホールまでおさめた建物で、役場を建て直すより、住民のための建物を立派に造ったことにまず感動を覚える。丸森よりずっと人口の少ない町なのにな。
夜は地元の食材を使った宴、ずいきやこんにゃくがおいしいこと。面白い人がいっぱいいる。町長の家が唯一と言ってよい旅館でその蔵座敷に泊めてもらった。翌日、りんご温泉に入り、朝日町の無添加ワインとハムやベーコンを買って帰途に。
1月24日
2010年3月11日 木曜日仙台文学館最後の講座。昼は米原真理展にあわせてレシピが作られたボルシチをいただき、「女三人のシベリア鉄道」を語る言いはずみになった。米原さんは一度しかお目にかからなかったがまっすぐな方だった。頼りにしていただけに早世がくやしい。
シベリア鉄道の本、地味ながらじわじわと売れ、ただ今4刷。出版不況の中で編集者共々うれしい。4回の講義の打ち上げに駅そばのすし勘にて。
1月21日
2010年3月11日 木曜日丸森。河北新報の連載が終わったので、一族の方がご苦労さん会を開いてくれた。角田の友禅にて。ここはハトコの息子さんがやっているのだが大変こった、そしておいしい懐石料理がでた。結納や法事にはありがたい店である。連載にはいろいろ書き間違いもあり、恐縮。わが祖先は朝4時頃、二番どりがなくと起きて、農作業に打ち込んだと言う。小作の方達がお米をおさめにくると、前庭に戸板で卓を作り、煮しめや酒でもてなしたと言う。それに比べて子孫の私の怠惰さよ。
1月17日
2010年3月11日 木曜日谷根千新年会。六本木のもつ鍋「開戦前夜」にて。谷根千草創期の座付き絵師だった川原史敬さんの経営する店。月曜日は彼の釣った魚も出ると言うなかなかおいしい店です。
ユーハイム
2010年2月17日 水曜日小国の中心部にユーステーションがあってその前に あるのが民宿ユーハイム。酔っぱらってねるだけな らすごく便利です。翌日、「一番近くの温泉はどこ ですか」と聞くと、宿のおばさんが「杖立てに前やってた温泉民宿があるから連れて行ってあげる」 と小走りに車を出しにいってくれた。おばさんかと 思ったら、宿の主人のお母さんで大正生まれだと言う。絶対信じられない。ゆくゆく聞いた話です。
1月16日
2010年2月17日 水曜日ペシャワール会の会報を読む。オバマはノーベル平和賞を取ったのに、イラクやアフガンに増派しようとしており、欧米軍の増派により治安は最悪になっている、と中村哲さんは書いている。パキスタン北西のペシャワールの治安悪化により日本人は渡航できなくなり、病院は地元団体に譲渡された。現地活動の中心はアフガンのジャララバードにうつった。 アフガンとパキスタンの反目が助長され、アフガン 側でペシャワール会の名が使えなくなり.Peace Medical Serviceと名乗っている。そのなかでも灌漑水利に必要なマルワリード水路の開通、600人の子供たちのためのマドラサの開校と明るいニュースがないわけではない。ノーベル平和賞は中村哲さんにこそふさわしいのに。
ハンセン病コントロール、貧 民たちの診療は年間7万人、山岳部の巡回医療、医療から生活基盤をつくるための「緑の大地計画」、 伊藤和也さんという貴い死を無駄にしないために単身アフガンへ向う中村さんの存在は励ましである。 とは言え、自分の関わっているNPOで手一杯でほとんどカンパができないのであるが。
地域活動家の私は荒川さんと今日は千駄木NTTの現地を取材、周辺の当事者に突撃インタビュー。環境を 守る会の上田会長、建築構造の専門家山田さん、住 民の月橋さんなどの話を聞く。しかし寒い。坂下にまで行く元気なく、ホットウィスキー。6時よ り、今年最初の「小さな映写会」が蔵で。ソ連の 「仲良しスキー」、「昔の農村」ちょんまげの農民の出て来る、しかしセリフのないドキュメンタ リー。「日本の山と山脈」むかし、小学校の視聴覚教室でよく見せられた歴史地理もの。復習になる。今わたしのいるのは阿武隈山地なのだ、という事もわかった。「青年」貯蓄推進なんたらがつくった1965年、東京オリンピックのあとの青年たち。階級的視点もなく、何が訴えたいのかわからないが、集団就職などで地方からでてきた若者の築地で働く姿、電機工場の寮生活、造船工場での鋳物をつくる青年労働者などが描かれている。私より7、8歳年 上の人たち。左時枝、前田吟、地井武男など出演。 高橋おでんで懇親会。