‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

10月22日

2010年12月7日 火曜日

昨日、映像の会にも来てくれたサントリー文化財団の小島多恵子さんと根津から上野桜木まで芸工展を見てあるく。サントリー地域文化賞をいただいて以来、20年近いお付き合いである。カヤバで初めてランチを食べた。おいしかった。
国技館で相撲のガバナンス会議。相撲教習所のバージョンアップについて。
きょう、2年も前に話した講演を記録にするので校正をするようにとの話、某所よりくる。びっくり。この日、夜7時より、白山のジャズ喫茶映画館にて荒井良平監督『悪太郎売出す』の上映会へ行く。1955年の大映作品。勝新太郎のデビュー作だ。チンピラやくざの勝と浪人ものが他の組と戦う。「それでもどこかに立派な親分がきっといる」と戦いながら勝がいうと、浪人が「そんなら日本中探してみろ」とこれも戦いながらつぶやく。会社の方針でやくざ映画を撮りながらこれは監督が入れた精一杯の抵抗かも。立派なやくざなんていると思うのは幻想だ。監督の息子さんの荒井良雄さんがいらしていて、その回想も興味深かったが、息子さんはシェークスピアの研究者だそうだ。

10月21日

2010年12月7日 火曜日

今日から芸工展参加企画、恒例のD坂シネマ始まる。永山則夫に関する映像と資料アーカイブについて。立教大学の永山資料に取り組んでいる平野泉さんとトーク。埼玉大学が持っていた住民運動関係資料も立教大学に移っているようだ。どういう経緯だろう?

10月19日

2010年12月7日 火曜日

『舞姫』の口語訳をおくったら編集者の稲葉さんより「思わず、涙がでてしまいました。本当になんてひどい男なのでしょう」との返事あり。同感。自分とエリスの関係は最初は先生と生徒の関係であった、なんていう上から目線。そして妊娠させて、気も狂わせて、あとは生まれた子どもにとなにがしかの金をおいて、それすら善行のように言い訳して、さっさと立身出世のために帰国してしまう。『舞姫』が高校の教科書に載っていたから、あれで女はみんな森鷗外をきらいになる。でもいまだフィィピンあたりでは日本人男性は同じようなことをやっている。フィリピンに行ったとき、そんな女性に東京の男と連絡をとってほしいと頼まれ、何度も電話したり手紙書いたけれど、なしのつぶてだった。こんな優秀な美人の女の子がいるのになあ、と思ったが。

10月14から19日まで

2010年12月7日 火曜日

蔵で矢作多聞展。私の大事な装幀家の矢萩さんはインドで長年暮らし、細密画を描く。芸工展参加企画で大変賑わった。ほとんどの作品は持ち主が決まった。版画家のお父さんも保土ヶ谷でアジアの雑貨の店をやっているお母さんも来てくださったが、なるほど矢萩さんはこういうご両親に育てられたのか、と納得。14日にはオープニングでインド料理のケータリングがあった。キングフィシャービールも懐かしいが、インドさん赤ワインがおいしいのには驚き。

10月17日

2010年12月7日 火曜日

今年こそ、と芸工展を観に行く。いろんな手芸やアートがあるが、もううちに飾るスペースもなく、ソラハナのアロママッサージに引っかかってしまった。こういうのがいちばんいいな。そのあと、蔵でインド映画を見、東大の土本君と北大を卒業したばかりの青年とヤマサキの主催する屋敷森のおこん浄瑠璃を見て、焼き肉を食べて遊んだ。

10月16日

2010年12月7日 火曜日

詩のボクシングなるもののレフェリーになる。漫画家やくみつるさんと一緒なので相撲のことを聞こうとと思ったがその時間なし。どの親方とお親しいんですか? と聞いたらたくさんいすぎてねえ、とのこと。フォークシンガーなぎら健壱さん、銭湯研究家町田忍さんとやくさん。三人ともノベルティものの収集家らしくその話で盛り上がっていた。

10月13日

2010年12月7日 火曜日

尾道の旅館「魚信」でオコゼの会席をいただきながら歴史的建造物について話す会あり。
私がみなさんを楽しませる会かと思って行ったら、みなさんが私を楽しませてくださる会になってしまった。この旅館、尾道に行ったらぜひ泊まってみてください。値段はリーズナブル、料理は抜群、窓から見える尾道水道に心癒され、女将の松林寿美恵さんは日本一の女将だと信じています。私が個人的に応援している宿はたった四つ。川渡温泉「みやま」は主人の板垣さんと友だち、壁湯温泉「福元屋」は主人夫妻の人柄と料理にほれて、湯河原温泉「上野屋」と尾道の「魚信」は料理もいいけど、とにかくこの建物が残ってほしいとの一念で。他にもいい宿はいっぱいありますが、その他は非力な私の応援など必要なさそうです。

10月10日

2010年12月7日 火曜日

夜、仕事を終えてからサンライズ瀬戸で、まさに日の登る頃、瀬戸大橋を渡り、高松へ、瀬戸内国際芸術祭を観に行ったのだがものすごい混雑。この顛末はあらたにすhttp://allatanys.jp/B001/UGC020005020101026COK00663.htmlをご覧ください。
10日に産經新聞に原田病日記の書評が載り、注文増える。3500部の出版だから少しでも売りたい。ありがたい。

10月12日

2010年12月7日 火曜日

蔵の床、修理終わる。古い家を使うにはメンテナンスがかかせない。が、お金もかかる。外壁も直してくださった篤志の方あり。ありがたいがこの先、収入もないのにどうやって直し続けていくのだろう。

10月5日

2010年12月7日 火曜日

ATPというテレビプロダクション連盟の賞の選考。総務大臣賞は文句なしにテレビマンユニオンの『少女たちの日記帳』に。広島の少女の4月から8月6日の日記をもとにドキュメンタリーと再現ドラマを交えて制作したもの。再現ドラマはふつうわざとらしくて嫌いなのだが、この番組は普通の少女たちが淡々と演じ、ほのかな思慕や友達への嫉妬や、そんなものがまじった普通の少女たちの生活のなかに普通でない新型爆弾が何をもたらしたのか、鮮明に悲劇を描き出した。『闇を歩く――ダイアローグ・イン・ザ・ダーク』も興味深かった。私は原田病にかかって失明の驚怖を感じたが、元々目が見えない人たちはどういう風な感じなのだろう。見えないからこそ見える人よりできることがある、というこの番組の趣旨にはたいへん痛いところをつかれた思い。
夜『大相撲』の編集長を終えた中央公論社の安倍七重さんをかこんでご苦労さん会。平凡社の山本さん、新潮社の秋山さん、妹みたいな人たちとちゃんこ鍋で楽しかった。
急に寒くなってきたので鍋にしたけど、今日はあったかかった。