‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

11月3日

2010年12月30日 木曜日

森鴎外の全集とどく。一日小屋で読書。

11月1-2日

2010年12月30日 木曜日

夏に姥湯に寄った帰り、のぞいてきた滑川温泉福島屋さんに、丸森の仲間たちと自炊湯治に行く。すごく親切で居心地のよい宿。これで自炊なら一人3000円である。

あいにく天気はよくなかったが、ひさしぶりに花ちゃんとおふろで遊んだ。花ちゃんも小学生、会う度にうつくしく、どんなにきれいなお嬢さんになるか楽しみだ。露天風呂にどんどん落ち葉が入るのでそれをすくっては川に捨てるのを二人でやって面白かった。自炊は牡蛎鍋、うちの白菜もいれた。お酒を一杯飲んだ。

11月

2010年12月7日 火曜日

11月です。頭痛と耳鳴りは相変わらずです。

ある男のひとが猛暑なので喫茶店でおしぼりで顔をぐるぐるふき、「これは男だけの特権ですなあ」というので、私もかまわずぐるぐる顔を拭いたら、びっくりしていた。「わたしは化粧してないのではげないんですよ」といったけど、はしたなかったかしら。ホントは耳の後や首筋もふきたかったわねえ。

このところ、秋なのか講演をよく頼まれるのだが、本当に腹の立つ事が多い。

半年前に引受けると、それからしょっちゅうメールヤ手紙が来る。それもながたらしい、どうでもよい挨拶ばかり。

こうすべきだ。
最初のメールに書いてほしいのは、組織名、名前、連絡先
講演会の趣旨、テーマ、タイトル、日時、人数、どんな人が多くくるか。
そしてギャラ。失礼かと思いまして、などとはっきり言わない事が多い。
遠方なら交通費と宿泊費が出るかどうか。その手配はどちらがするか。泊まる場所など。挨拶はいいからシンプルにはっきりと。

気のきく人は会場までの所要時間や経路を書いてくるものだ。宿や食事の希望を聞いてくれる。どこかついでにご案内しましょうかと言ってくれる人もいる。

ひきうけると次のような依頼をぽろぽろしてくるが一度にまとめてしてほしい。
プロフィール、写真、内容の梗概、レジュメを送れ、パワーポイントや書画カメラは使うかどうかなど。本の販売はするかどうかなど。車で来るのか、随行者はいるのかなど些細なことまでいちいち聞いてくる。他に仕事はないのか、よっぽど閑なんですね、と言いたくなるくらい。メール往復20回とか。

そのうちポスターやチラシをどっさり送ってきたりする。これ、講演者に人集めしろということか?配れというのか?

そのくせ一回も電話をかけて来なかったり。前の日にリマインドもしないのは担当者として失格。

遅刻するのが心配なのか、シンポジウムの2、3時間前に集めて昼食会だの打ち合わせをする。面白いことはみんな打ち合わせでしゃべってしまう。だから本番はつまらない。だいたい本番の頃はもうへとへとだ。
楽屋にいるとつぎつぎなんとか部長とかなんとか委員長とかいう背広のひとが名刺を交換しにくる。どうせ、あとで覚えちゃいないのに。
講演の前に出される弁当が超豪華、喉に詰まるような刺身にトンカツ焼き肉はんばーぐ。これたべてしゃべれというのか?そして女の人がぱたぱた出入りしては何度もお茶を買えてくれる。コーヒーはいかがですか。一人にしてよ、話す前には精神統一が必要なんだから。

壇上に上がると急にライトで照らされたりする。わたし目の病気でライトは困ります。
フラッシュを勝手に焚いてバチバチ写真を取る。テレビ収録も事前に相談なく撮りにきていたりする。著作権、肖像権はどうなっているのか?びっくりです。

おわってから急に懇親会にさそわれたりする。そんなの聞いてないよ。そうならそうと先に言ってくれ。
おみやげに「お荷物になりますが」と主宰者が重い大きいお菓子や銘酒をくれる。大きなこけしや花瓶の時もある。ひゃあ、これもって帰れというのか。だいたい好き嫌いだってあるのになあ。

1年もたってから、報告書を出すのでテープ起こししたものに目を通せと言ってくる。

そんなの契約になかったよ。もうわすれてしまいましたよ。しかもそのテープ起こしときたら、うーだの、アーだのまでおこしてあるような、誤字だらけの中学生仕事。2時間の講演を直すのに3日かかったり。明治村と松山子規博物館は校正と機関紙に掲載することに対して新たにギャラをくださいました。見習ってほしいものです。

以上、ただしい講演の頼み方、でした。ご参考までに。

10月31日

2010年12月7日 火曜日

仙台文学館で『即興詩人のイタリア』の講座始まる。だんだん常連のような受講者増え、たのしい。しかし鷗外が9年かけて訳したものを4回でやろうというのだからしょせん無理か。帰りに高橋広子さんのお宅で鮭といくらの入ったはらこめしで一杯。

10月30日

2010年12月7日 火曜日

東大の木下直之さん主催の文化資源学の学会で谷根千の地域文化資源とそのアーカイブ化に関して試論を話し、みなさんからの意見をいただく。旧知の佐藤健二さんも「区の図書館、資料館なんかに預けちゃ駄目だよ」という。愛情のない人の手に渡る可能性があるから。ロナルド・ドーア先生が『都市の日本人』で調査されたときの上野花園町の資料もあるそうだ。かえり、大勢で本郷で飲む。

10月29日

2010年12月7日 火曜日

みすずの『怒濤のすもう不案内日記』、医学書院の『保険師ジャーナル』にはじめた連載を書く。新しい連載はあと1つ『小説スバル』に『こぼれ落ちる記憶』、うーん、我ながらいいタイトル。筑摩の金井さんから『明るい原田病日記』について「闘病記なのに前向きな姿勢に心打たれました」とメール、感想をくれる編集者はうれしい。夕方、蓄音機のお店をもつ梅田英喜さん美由紀さんと神田のアンチヘブリンガンで。このご夫妻は私の健康管理委員会をつとめてくださっている。電気製品を買うとエコポイントがついてくるとかいう話に英喜さんが「蓄音機を買ったひとにもつけてくれないかな。究極のエコなのに」という言葉に拍手した。手頃な蓄音機は12万円くらいで手に入るそうで、これはスゴイ。手回しなので電気は食わない。しかも自分の隣りでクライスラーが弾き、シャリアピンがうたっているように感じられる。うちの息子もはまってしまい、今度のボーナスで買うつもりらしいが、興味のある人は神田の梅屋へどうぞ。ついでにハイブリッド車を買った人より、自転車を買った人にインセンティブを付けるべきではなかろうか。

10月27日

2010年12月7日 火曜日

東京堂で『明るい原田病日記』の刊行記念で津田篤太郎先生と対談。医学書院の方々やポプラ社、大和書房の編集者なども来てくれて打ち上げは盛り上がった。それにしても何らかのステロイド体験を持つ人が多くて驚く。

10月26日

2010年12月7日 火曜日

遠いけどいかなくちゃ。埼玉芸術劇場、はずれがないものな。シェークスピアを当時のようにみんな男で演ずる「オールメール」の『じゃじゃ馬ならし』。市川亀治郎のキャサリン、最高。ときどき急にドスの利いた声になったりして。長過ぎず短すぎずいい時間。帰りに十条で降りて昨日取材しそこねたところを。けっきょく魚屋でどっさり買って帰る。すごくいい魚屋が何軒もある不思議な町。

10月25日

2010年12月7日 火曜日

『東京人』の取材で半日十条の居酒屋めぐり。このところ森鷗外の作品を子ども向きに訳している。講談社の編集者稲葉さんより「舞姫と高瀬舟が同じひとの作品とは信じられません」との意見、賛成。高瀬舟は安楽死問題を描いているというが、むしろ「生きる意味」を問う作品だと思う、という私の意見にも反応してくれた。反応してくれる編集者だと仕事のしがいがある。それより山椒大夫の離ればなれになったお母さん、いくつだと思う?子供のときの絵本や紙芝居には盲目で白髪の老婆が出ていたがこれはなんと32、3歳。だって12歳の厨子王と別れた時、30を出たばかり、厨子王は安寿の犠牲で逃れ、13歳で佐渡の国士になるのだから、そう時はたっていないのだ。びっくり。

10月23日

2010年12月7日 火曜日

世界同時多発テロ、じゃなかった世界同時ホームムービーデー。こっちの方がヘイワで連帯できるぞ。『やねせん子育て日記』と称する私秘蔵の8ミリも。サトコが赤ん坊の頃なので恥ずかしがって本人は来なかった。