2014年7月 のアーカイブ

5月4日 朝の散歩

2014年7月29日 火曜日
朝の散歩二日目、今日は本郷通りを北へ。マンションが多いが、吉祥寺の周辺はお寺の持ち物なのか、低い二階建てのまま。映画「絵図に偲ぶ町の暮らし」時枝監督の名作にでてくる江戸のまち。吉祥寺の境内で樹木気功をする。大きな犬を連れた人が何人も来る。お参りに来る人もいる。ここは榎本武揚や赤松則良、鳥居耀蔵の墓もあるが、ふと目を上げると鳥谷部春汀の墓が目に入った。
あとは一日正岡子規。夜、ステーキ肉をレアにしてタタキみたいにして赤ワインを飲む。

朝の散歩二日目、今日は本郷通りを北へ。マンションが多いが、吉祥寺の周辺はお寺の持ち物なのか、低い二階建てのまま。映画「絵図に偲ぶ町の暮らし」時枝監督の名作にでてくる江戸のまち。吉祥寺の境内で樹木気功をする。大きな犬を連れた人が何人も来る。お参りに来る人もいる。ここは榎本武揚や赤松則良、鳥居耀蔵の墓もあるが、ふと目を上げると鳥谷部春汀の墓が目に入った。

あとは一日正岡子規。夜、ステーキ肉をレアにしてタタキみたいにして赤ワインを飲む。

5月2日

2014年7月15日 火曜日
朝の船で石垣に渡り、10時40分の直行便で羽田へ。子どもが大騒ぎするのに、親は注意もしないし、まわりの人にも気を使わない。ほかの子連れを生きにくくするのはこういう子連れ。京急に乗ろうとする所に卵かけご飯の店があり、大繁盛。おいしい、そして店の人が混んでいるのにめずらしく感じよい。550円で卵丼、百円のアーサーのみそ汁を頼んだのだが、隣のお兄ちゃん、550円の卵かけご飯で卵2コで丼二杯飯を食べていてびっくり。うーむ、これは安上がりかも。

朝の船で石垣に渡り、10時40分の直行便で羽田へ。子どもが大騒ぎするのに、親は注意もしないし、まわりの人にも気を使わない。ほかの子連れを生きにくくするのはこういう子連れ。京急に乗ろうとする所に卵かけご飯の店があり、大繁盛。おいしい、そして店の人が混んでいるのにめずらしく感じよい。550円で卵丼、百円のアーサーのみそ汁を頼んだのだが、隣のお兄ちゃん、550円の卵かけご飯で卵2コで丼二杯飯を食べていてびっくり。うーむ、これは安上がりかも。

5月1日

2014年7月15日 火曜日
共同研究者が帰ってしまったので、自分だけインタビューに行くのもなんだしと、ゆがふ館にて1日過去の記録ビデオを見る。昭和50年の国立劇場での種取り祭の芸能なども映像はあるのだが、ぼやけてよく見えず。平成16年に環境省がつくった神事の映像はよくできているが、なんと20本近くあり、よくもそんな予算がついたものだ。
今は亡き、内盛佳美さんや懐かしい顔がたくさん見える。
大山さんちにお世話になっているが、山盛食堂にご飯を食べにいくも休み。ミッちゃんが家でつくるから、といってパパイヤのサラダ、ゴーヤチャンプルーにもずくのみそ汁を作ってくれた。民宿ご飯とも違う家庭料理でおいしい。夜はかなさんの所に泊まるはずが、栄一さんが海でタコとシャコガイを穫って来たので、かなさんが家からサラダなど持って来て食べる。取り立て、ゆでたてのシマダコは最高さ。

共同研究者が帰ってしまったので、自分だけインタビューに行くのもなんだしと、ゆがふ館にて1日過去の記録ビデオを見る。昭和50年の国立劇場での種取り祭の芸能なども映像はあるのだが、ぼやけてよく見えず。平成16年に環境省がつくった神事の映像はよくできているが、なんと20本近くあり、よくもそんな予算がついたものだ。

今は亡き、内盛佳美さんや懐かしい顔がたくさん見える。

大山さんちにお世話になっているが、山盛食堂にご飯を食べにいくも休み。ミッちゃんが家でつくるから、といってパパイヤのサラダ、ゴーヤチャンプルーにもずくのみそ汁を作ってくれた。民宿ご飯とも違う家庭料理でおいしい。夜はかなさんの所に泊まるはずが、栄一さんが海でタコとシャコガイを穫って来たので、かなさんが家からサラダなど持って来て食べる。取り立て、ゆでたてのシマダコは最高さ。

4月30日

2014年7月15日 火曜日

竹富で初めてお相撲さんになった峯本さんの話を聞く。もうすごい大変さだ。島で学校を出てから兄の農業の手伝いをして1年でやっと島を出るお許しが出た。そこから船で那覇に渡り金を稼いで翌年、東京へ、プロレスになりたくて力道山のところへ行ったら、ここはジムだから置くわけにいかないと相撲の友人を紹介され、相撲の道へ。前頭の一歩手前までスピード昇進するが小兵なので力士はあきらめ、沖縄で相撲の伝道者に。更に竹富に帰って狂言の復興に勤めたというもう波瀾万丈のお話。

4月29日

2014年7月15日 火曜日
今日もインタビューに行こうとしていたら、「ここで何してんの?仕事、やめろ、遊べ」と旧知の三村淳に呼び止められ、一日遊びになってしまった。三村さんは復帰前からこの島に通い、赤瓦の家をかりていたが、当主の懇請によって今は預かっている状態。よし、もっとも竹富らしい家にするといって、畳をやめて板張りにして、トーラもそのまま台所として使っている。気持ちいい、いつまでもいたくなる家。カレーをご馳走になり、夜ふけるまで外で飲む。

今日もインタビューに行こうとしていたら、「ここで何してんの?仕事、やめろ、遊べ」と旧知の三村淳に呼び止められ、一日遊びになってしまった。三村さんは復帰前からこの島に通い、赤瓦の家をかりていたが、当主の懇請によって今は預かっている状態。よし、もっとも竹富らしい家にするといって、畳をやめて板張りにして、トーラもそのまま台所として使っている。気持ちいい、いつまでもいたくなる家。カレーをご馳走になり、夜ふけるまで外で飲む。

4月28日

2014年7月15日 火曜日

島仲彌さんに話を聞く。島では長男ということで大事にされ、終戦間際に兵隊にとられたが幹部候補生で石垣から出ずにすみ、そのあと琉球政府の警察に入ったらまわされたのが軍楽隊でトランペットを吹くのが仕事、さらに会計課に勤めて現場で事件などには遭遇せず、勤め上げて島に帰ろうと思ったら、今度は那覇の護国神社で神官の仕事があって、80すぎまで働いたという、ご本人いわく「運のいい人生」。ほんとうに。夜は新田荘泊まりで尊敬する女主人で神司でもある初ちゃん姉さんと泡盛で宴会。

4月27日

2014年7月15日 火曜日
朝は岡部伊都子さんをしのぶ月桃忌。京都の随筆家、岡部さんは1970年代に竹富で暮らしたいと家を持った。しかし体が弱く、南国のまぶしい陽射しが耐えられず、1年ほどで京都に帰る。そのとき家を島に寄贈され、そこはこぼし文庫として子どもたちの図書館でもあり、勉強をする場となっている。岡部さんとは著書を書評したご縁から手紙の行ききがあったが、最後の頃、もう目が見えないので、本を送ってもらっても読めません、というお便りが来た。そのときはがっかりしたが自分が目の病気をするとよくわかる。

朝は岡部伊都子さんをしのぶ月桃忌。京都の随筆家、岡部さんは1970年代に竹富で暮らしたいと家を持った。しかし体が弱く、南国のまぶしい陽射しが耐えられず、1年ほどで京都に帰る。そのとき家を島に寄贈され、そこはこぼし文庫として子どもたちの図書館でもあり、勉強をする場となっている。岡部さんとは著書を書評したご縁から手紙の行ききがあったが、最後の頃、もう目が見えないので、本を送ってもらっても読めません、というお便りが来た。そのときはがっかりしたが自分が目の病気をするとよくわかる。

4月26日

2014年7月15日 火曜日
朝はお年寄りの草むしりをちょっとだけ手伝う。懐かしい顔に会い、挨拶。話を聞きにいっていい人に約束をする。しかし島のお年寄りは皆いそがしい。朝は清掃、石垣まで病院通い、買い物、ひ孫の世話、法事、お悔やみとほんとうに家にいないし、よく働く。これが長寿の秘訣だろう。夜は町並み館でかりまた恵一先生を囲み、テードンムニ(竹富の言葉)を勉強する会。
宮城県丸森のしのぶさんより「丸森は放射線で、まだ、山菜は出荷出来ません。耕野のタケノコだけが、今年からOKになりました。(他の地区はまだダメです)」八島さんの顔が浮かんだ。

朝はお年寄りの草むしりをちょっとだけ手伝う。懐かしい顔に会い、挨拶。話を聞きにいっていい人に約束をする。しかし島のお年寄りは皆いそがしい。朝は清掃、石垣まで病院通い、買い物、ひ孫の世話、法事、お悔やみとほんとうに家にいないし、よく働く。これが長寿の秘訣だろう。夜は町並み館でかりまた恵一先生を囲み、テードンムニ(竹富の言葉)を勉強する会。

宮城県丸森のしのぶさんより「丸森は放射線で、まだ、山菜は出荷出来ません。耕野のタケノコだけが、今年からOKになりました。(他の地区はまだダメです)」八島さんの顔が浮かんだ。

4月25日

2014年7月15日 火曜日
竹富島へ。車中メール「田端の区画整理は終わりましたが、次のステップが静かに進んでいること森さんはご存じでしょうか?田端から西日暮里、日暮里の夕焼けだんだん辺りを経て谷中、上野公園あたりまでをつなげる道路計画があります。一度消えたのですが、田端から西日暮里の道路計画が動き始めたことで、その先の計画も動き始めると噂され、この問題も気になります」と田端の阿部さんから。補助103号だか、昔の道路計画が再燃しそうだ。上野の博物館前から桃林堂、吉田や、朝倉彫塑館から日暮里のお寺のなかを通るような線が引いてあった。こりゃあ、大変。

竹富島へ。車中メール「田端の区画整理は終わりましたが、次のステップが静かに進んでいること森さんはご存じでしょうか?田端から西日暮里、日暮里の夕焼けだんだん辺りを経て谷中、上野公園あたりまでをつなげる道路計画があります。一度消えたのですが、田端から西日暮里の道路計画が動き始めたことで、その先の計画も動き始めると噂され、この問題も気になります」と田端の阿部さんから。補助103号だか、昔の道路計画が再燃しそうだ。上野の博物館前から桃林堂、吉田や、朝倉彫塑館から日暮里のお寺のなかを通るような線が引いてあった。こりゃあ、大変。

4月23日

2014年7月15日 火曜日
平凡社の「新国立競技場、何が問題か」の出版記念パーティをやるというので、それはもったいないから、シンポにして、その前に記者会見もしようという事に。
「手わたす会」のみんなが設営をてつだってくれた。6階で打ち合わせしたあと、私がエレベーターに先に乗り、どうぞ、と行ったら、槇先生「気合いいれなくっちゃ」と階段をすたすた降りていかれました。かっこいい。会場から地元のマンションや都営住宅のかたからの発言も具体的でたいへんよいシンポになった。専門家と市民がともに考える場になった。

平凡社の「新国立競技場、何が問題か」の出版記念パーティをやるというので、それはもったいないから、シンポにして、その前に記者会見もしようという事に。

「手わたす会」のみんなが設営をてつだってくれた。6階で打ち合わせしたあと、私がエレベーターに先に乗り、どうぞ、と行ったら、槇先生「気合いいれなくっちゃ」と階段をすたすた降りていかれました。かっこいい。会場から地元のマンションや都営住宅のかたからの発言も具体的でたいへんよいシンポになった。専門家と市民がともに考える場になった。