2014年4月 のアーカイブ

1月21日

2014年4月10日 木曜日

多田屋旅館を出発、ラグカフェ。奇跡の7連勝を下新日鉄釜石の記憶をよみがえらせ2019年のラグビーワールドカップの予選をここでやりたい。1億くらいでできるんじゃないか、子どもたちのグラウンドとして使いたい、19年のワールドカップの予選をしたいという。鵜住居というところがいちばん犠牲者が多かった、まだ仮設の小中学校。

三浦命助の大きな碑。三閉伊百姓一揆の指導者、1万6000人を率い、49か条の要求を南藩に突きつけ、39か条を認めさせた。小○(困る)の旗。しかし二条家の臣として使えた時南部藩にとらわれ、獄死。
北上して大槌は町長以下、なくなった被害の大きな町。山田町は旭川のNPO大雪リバーネットがめちゃくちゃなお金の使い方をしたところ。岡田という35歳の理事長が、水難救助のふれこみで来て遺体捜索からやって、手がないので町長も信用して8億任せ、雇用促進などで風呂をつくったり、ベンツのトラックやアルマーニの制服を買って放漫経営、自分の義理の弟の旭川の講座に3000万円振り込む。現在刑事事件で係争中。しかし本当に町長や町の幹部は被害者だけなのだろうか?
宮古で近藤さんとあう。宮古の方が市街地が残っている。
常安寺は曹同宗の寺。ここのお坊さんが浄土ヶ浜の名付け親。
宮古湾海戦を記念する会がある。
幕府の艦隊はいったん横浜か横須賀に南下、闇夜にまぎれて北上。
宮古に石炭を補給しに入る。水と食料をつんで、函館へ。石炭がないので赤松をばさばさ切ってマキにした。鍬が崎には300件の遊郭があった。盛岡藩ので先の港。
土方や榎本も上陸。遊郭と料亭が混じっていた。請求金額以上の金を置いて行った。新政府軍はその後来て遊郭で遊んだがただ食い、ただのみ、ただ乗り。
回天一隻で8隻に挑んだ。もっと早くスパイが宮古に入ってきて、築山や遊郭にも居た。
回天は甲鉄に乗り上げて、3、4メートル飛び降りって戦った。高雄は田野畑で座礁、船を海辺で焼いて、そのままかくまって土着した船員も居る。

1月19日

2014年4月10日 木曜日

朝、7時16分の新幹線。大宮でおおきな富士山を見る。コーヒーが出る。東京駅で買った弁当うまくない。
10時3分、雪の花巻着。花巻のまるかんデパートで巨大アイスクリームを食べる。文化タクシーに文化パーラーを見る。仙人峠の霊水。大橋鉄鉱山あと。1727年に盛岡藩士の阿部友之進が磁鉄鉱を発見。
宮沢賢治の詩碑。磁鉄鉱。唄貝というところを通る。大滝詠一が釜石出身だとか。
釜石市街着。小川マーケット。三重食堂でラーメン。美容室ヨシカワの盆栽。
新日鉄住金釜石は大企業で、あまり市民と交流しないとか。ノロの山。アラモの砦のようだ。駅前には釜石の鉄の父大島高任の銅像。
サンフィッシュとはマンボウのこと。
仮設商店街が売り上げなく、閉店続々とか。青葉公園商店街。
のんべえ横町は元からやっている人しかだせない。
ロキシタンが2012年4月25日に駄目になった公民館をさっときてさっと直してさっといなくなったとか。
避難道路を上がる。息を弾ませると当日は80以上の人も上がりましたとのこと。上から見る釜石。ほとんど町並みなし。遠くに見えるクレーン、自慢の防潮堤も何の役にも立たなかった。

鉄の科学館。佐々木館長の話。大島高任による橋野高炉は世界遺産の構成要件。九州と一緒に申請。鉄があることは藩政時代にわかった。江戸時代も4500人が働いていた。南部鉄瓶をつくる。大砲は砂鉄で作っていると弱い。磁鉄鉱を削り、それをまた砕いて、石炭を炊いて溶かし、ふいごで風を送り、製鉄する。盛岡藩士大島高任がドイツ人の本から反射炉を見よう見まねでつくる。
たたら製鉄では少ししかできない。
明治以後、田中‐米山‐三井‐日鉄‐富士鉄‐新日鉄と経営が変わる。
田中時代に横山久太郎が48回失敗してやっと成功。49回目の残滓が展示。
館長は東京オリンピックのときに中学3年だったが、そのころ釜石は落ち目で、みんな名古屋の東海製鉄に仕事を求めて行ったので、どんどんクラスメートが減った。自分の父はレッドパージに会い、会社から外され、石灰の会社に写った。鈴木東民は社会党で、民主党になってから組合も弱くなった。
釜石の49000人のうち、1000人が犠牲になり、今は人口45000人。
幸楼という料亭が残っている。昔は遊郭もあった。明治29年の津波では釜石で5000人なくなる。戦争中にも艦砲射撃で1000人くらい死んだ。

釜石ラーメンは細いちぢれ麺。
橋上市場をフィレンツェで見てきた鈴木東民が許したが、改修に当たり、既存不適格で5年前取り壊し。
あそこにいくと黒山の人だかりで、親とはぐれるので怖かった。
釜石は工員などが多く、人口密度が高い。短期滞在者のためのパンションもある。夜は呑兵衛横町をはしご。

1月18日

2014年4月10日 木曜日

横浜の朝日カルチャーセンターで『道草』について小森陽一さんとトーク。
会うのは久しぶり、小森さんは憲法9条の会の事務局長として全国を飛び回っておられるが、ちゃんと東大駒場でも授業もしていてすごい。おたがい多忙中故、せっかく会えたのにお茶でもと思ったけど遠慮した。ひとりになっておなかがすき、駅前の崎陽軒のレストランに入ったが、ここはコスパがとってもいい。お一人さまプチコース2800円で満足。

1月17日

2014年4月10日 木曜日

きのう、旧友にさそわれ、浅草の新春歌舞伎を芸者衆と総見、そのあと草津亭で宴会という華やかな席に。お芝居にでていた米吉くんは、以前、新橋の芸者衆の話を聞きにいったときの少年ではないか? 知人の息子である。すばらしい女形になりそう。のりえ姐さん、相変わらず豊麗、大好き。明治大学卒業、英語ぺらぺらの芸者さん。立派な紳士がたにファンが多い。岩波ブックレット企画が通り、もう一つの単行本は少し遅らせ4月頭に出せるよう、また忙しくなりそう。森桜さんは2月の勉強会の企画と出演交渉を始めた。『彰義隊遺聞』在庫切れとなる。夜は尊敬する大平正己さん新年会、ベルギー料理ジャン・ド・ソレイユにて。裏地中悔学会の人たちは本当に酒豪ぞろい。

1月16日

2014年4月10日 木曜日

14日の会は目から鱗だったとのメールたくさんあり。週刊「金曜日」の原稿を「当会随一の若手で頭のシャープ」な森桜さんに、数字などチェックしてもらう。維持費、管理費、改修費、日時、ころころ変るので私の老化した頭ではチェックしがたし。一回り違うとこれだけ頭の回転が違うんだなあ。
宇都宮健児さんが国立競技場を現地視察したいと言われるので、当会は候補全員にアンケートを出しており、中立の立場なので選挙戦の宣伝にならない範囲でご案内することに。民主党の有田芳生議員からも現地視察と資料提供の依頼あり。有田さんはライター時代飲み仲間だったが、議員になられてからは忙しくてなかなか会えない。ヘイトスピーチに反対しがんばっている。

1月15日

2014年4月10日 木曜日

昨日、くたびれて帰ったが永井愛さんからメールあり。初めて脚本を書く私を「手伝ってあげるわよ」といってくださったのに、こちらが怠けて、最終版を今になって送った。「台詞は自然でさすがによくかけている」「三人の旅人のアイディアも面白い」。しかし、のあとがきつかった。「説明が多すぎる。知的で啓蒙的な芝居だけど、森まゆみが伝えたいことの三人が手段になっている。芝居とは論ではなく関係性、役と役のからみと反応、葛藤を描くものなのよ」。がーん。よくぞいってくださいました。あと数日でどこまで、啓蒙主義を脱し、からみを作れるか、がんばろう。今日は「和楽」の編集部とお食事。

1月14日

2014年4月10日 木曜日

今日は「神宮外苑と国立競技場を未来に手わたす会」の第2回勉強会。例によって建築家会館は暖房が効かず、ホカロンを配る。共同代表の皆さんの持ち場を守る機敏な動きに敬服。中沢新一さん、鈴木エドワードさんもお見えだ。中沢さんとは初対面だが、槇さんグループの呼びかけ人でもあり、これから週刊誌に国立のことで論陣を張られるという。沖塩先生のファシリティマネジメント、鈴木知幸さんのスポーツ施設を管理する行政マンとしての経験、山本想太郎さんのコンペの設営の批判と提言、いつもながらの森山節、大変勉強になった。パソコンを使わない人々にも賛同を広めるため、論点を簡単にまとめたチラシをデザイナーの上村さんが作ってくれた。これも今日の会場で初目見え。帰りは沖塩先生を家の近くなのでお送りした。槇先生と東大で同期だそうで、お二人の先生とも、何ともお元気で気骨があり、気さくでもあって心から尊敬できる。

1月13日

2014年4月10日 木曜日

この間、一緒に仕事をした都市ジャーナリストの森野美徳さんが亡くなられた。
元日経新聞記者で、鎌倉市長選にもでた方。数年、町並みコンクールの審査で各地をご一緒し、シャイな方なので、やっと心置きなくお話しできるようになったところだったのに。年末の現地審査の帰り、お茶にお誘いして、新国立競技場についていろいろ企業や官僚にくわしい森野さんに「闘い方」を伝授していただいたばかりだった。こたえる。
母がフグを食べたいと言い出し、西日暮里のトラフグ亭に。久しぶりの親孝行。

1月12日

2014年4月10日 木曜日

対馬の鍵本さんからおいしいみかんが届く。前に2月に行った時、亀卜というのを神社で見た。あのときの寒さが忘れられない。5月になったらヒトツバタゴを見たり、カヌーに乗ったりしに行きたいと思う。
いっそのこと改修案のコンペを私たちの会でやってしまおうか、という声もあり、いろいろコピーや副賞のプランや審査員の顔ぶれを考える。こういうのは楽しい。
八ッ場ダムの方も本体工事着工が粛々とすすめられそう。都知事選の政策にも八ッ場ダムについて盛り込めないか。首都の治水、利水を前提に進められている計画なので、都知事が辞めると言えば止まるはず。

1月11日

2014年4月10日 木曜日

岩波書店の木村理恵子さんが11・25の公開座談会の記録を読み、岩波ブックレットに企画としてあげてくれるという。「波」の子規の校正。「すばる」の竹富島の校正、「とんぼの本」の秋山さんからは村岡花子に関する校正、と立て込む。都知事選候補者への質問状、「金曜日」からも新国立で原稿依頼。正月気分からは抜け出さねば。「すばる」の元止まるインタビュー録音を聞いているとすぐにでも竹富島に行きたくなる。