1月19日

朝、7時16分の新幹線。大宮でおおきな富士山を見る。コーヒーが出る。東京駅で買った弁当うまくない。
10時3分、雪の花巻着。花巻のまるかんデパートで巨大アイスクリームを食べる。文化タクシーに文化パーラーを見る。仙人峠の霊水。大橋鉄鉱山あと。1727年に盛岡藩士の阿部友之進が磁鉄鉱を発見。
宮沢賢治の詩碑。磁鉄鉱。唄貝というところを通る。大滝詠一が釜石出身だとか。
釜石市街着。小川マーケット。三重食堂でラーメン。美容室ヨシカワの盆栽。
新日鉄住金釜石は大企業で、あまり市民と交流しないとか。ノロの山。アラモの砦のようだ。駅前には釜石の鉄の父大島高任の銅像。
サンフィッシュとはマンボウのこと。
仮設商店街が売り上げなく、閉店続々とか。青葉公園商店街。
のんべえ横町は元からやっている人しかだせない。
ロキシタンが2012年4月25日に駄目になった公民館をさっときてさっと直してさっといなくなったとか。
避難道路を上がる。息を弾ませると当日は80以上の人も上がりましたとのこと。上から見る釜石。ほとんど町並みなし。遠くに見えるクレーン、自慢の防潮堤も何の役にも立たなかった。

鉄の科学館。佐々木館長の話。大島高任による橋野高炉は世界遺産の構成要件。九州と一緒に申請。鉄があることは藩政時代にわかった。江戸時代も4500人が働いていた。南部鉄瓶をつくる。大砲は砂鉄で作っていると弱い。磁鉄鉱を削り、それをまた砕いて、石炭を炊いて溶かし、ふいごで風を送り、製鉄する。盛岡藩士大島高任がドイツ人の本から反射炉を見よう見まねでつくる。
たたら製鉄では少ししかできない。
明治以後、田中‐米山‐三井‐日鉄‐富士鉄‐新日鉄と経営が変わる。
田中時代に横山久太郎が48回失敗してやっと成功。49回目の残滓が展示。
館長は東京オリンピックのときに中学3年だったが、そのころ釜石は落ち目で、みんな名古屋の東海製鉄に仕事を求めて行ったので、どんどんクラスメートが減った。自分の父はレッドパージに会い、会社から外され、石灰の会社に写った。鈴木東民は社会党で、民主党になってから組合も弱くなった。
釜石の49000人のうち、1000人が犠牲になり、今は人口45000人。
幸楼という料亭が残っている。昔は遊郭もあった。明治29年の津波では釜石で5000人なくなる。戦争中にも艦砲射撃で1000人くらい死んだ。

釜石ラーメンは細いちぢれ麺。
橋上市場をフィレンツェで見てきた鈴木東民が許したが、改修に当たり、既存不適格で5年前取り壊し。
あそこにいくと黒山の人だかりで、親とはぐれるので怖かった。
釜石は工員などが多く、人口密度が高い。短期滞在者のためのパンションもある。夜は呑兵衛横町をはしご。