シアターコクーンで長塚圭史の芝居がかかるので見に行く。山田風太郎の『魔群の通過』を原作としたものだが、舞台美術、衣装、そして白石加代子の演技には感心した。白石さんてあんなにほっそりしていたっけ。ただ歴史的にそう著名でもない人物がたくさん登場してしかも口跡がはっきりしないものだから、やや筋も分りにくかった。また二階袖のML-1と言う席だったが照明でほとんど舞台が隠れ、こんな席を7000円で売るとは信じられない。風太郎さんに私の持っている初版の『魔群の通過』にサインしてもらった幸せな日を思い出す。山川菊栄『幕末の水戸藩』をなぜかよみたくなる。
2013年6月 のアーカイブ
5月9日
2013年6月24日 月曜日5月8日
2013年6月24日 月曜日東京新聞の『漱石と美術』に関する打ち合せ。
らいてうに戻って、あれほど、結婚するしないの自由、子どもを生むうまないの自由を掲げ、連れ合いの籍にもはいらず、子どもを産んだら里子に出そうか迷ったほどの人が、どうしてあんなにたわいなく母性主義になり、優生思想に傾き、戦争を礼賛して御民われに陶酔したのか。わからない。自伝でも戦中は自分の思想が飛躍した時期と書いているが、そこは空白、実は右傾化した時期なのであって、その反省も自己総括も無いまま、戦後は平和運動。女性運動のリーダーに担がれる。青鞜を野枝にゆずって、というか、奪われたらいてうみたいになりたくないと思って来たが、戦時にらいてうみたいにぶれたくない。そのてん野上弥生子はおなじくエリート主義ではあるが賢かったし、先が見えていた。
宮本百合子の思想はらいてうよりよほど体系的だ。さとこと「死んどいてよかったひと」をあげる。与謝野晶子も1940年に死んどいてよかった。生きてたら、もっとすごい戦争協力をしていて今みたいに「君死にたまふことなかれ」の反戦詩人として教科書には載らなかったかも。宮沢賢治も死ななかったら国柱会――石原莞爾の方へ引っ張られていた可能性が大。鉄幹なんて『肉弾三勇士のうた』を書いたくらいだから推して知るべし。
5月7日
2013年6月24日 月曜日『青鞜の冒険』今更あれこれ書き足したくなるが、編集者ぽん太さんの顔が浮かび、なかなか。でもゲラはすでにまっか。らいてうの自伝でなく、野枝のリアルタイムの『雑音』をもうちょっと使うべきであったとか。自伝も後からでた4巻本より、1955年の「わたくしの歩いた道」のほうが正直でずっといい。それを小林登美枝さんに聞かれるまま詳細にしたが4巻本なのだが、書き足した部分に惑わされたり、大本教との関わり、先祖崇拝、そのほか戦後民主主義、科学的社会主義の立場からはどうかなと思うようなところが上手に削られているかんじ。
時代によるものだとはいえ、らいてうには学歴、権威、都会からみた差別が拭えない。「なまりが気になる」「田舎の村夫子然」といった表現、自分のことを語っても「なのでした」「のようでした」とまるで他人事のようなひややかさ。
だいたい声も小さくはにかみ屋だと自任しているのに、どうしてこんなにたくさんの役職、要職を引受けたのか。家父長制や旧来の家族関係を否定してながらく結婚せず子どもを非嫡出子で届けた勇気あるひとが、食事や来客の世話まで息子の嫁にさせて「ありがたいことでした」ですましているなんて。山川菊栄との関係も戦後、菊栄が労働省婦人局長をしてから娘婿を転勤先からお膝元に呼び寄せてくれた事に「配慮」を感じたりしている。それってただのコネじゃないか? と読めば読むほど反発やあきれたりもするのだけど、私には一ミリも似ていないこの人が気になるのはたしか、ぽん太は「らいてうさんへの愛を感じますよ」と言う。