5月8日

東京新聞の『漱石と美術』に関する打ち合せ。

らいてうに戻って、あれほど、結婚するしないの自由、子どもを生むうまないの自由を掲げ、連れ合いの籍にもはいらず、子どもを産んだら里子に出そうか迷ったほどの人が、どうしてあんなにたわいなく母性主義になり、優生思想に傾き、戦争を礼賛して御民われに陶酔したのか。わからない。自伝でも戦中は自分の思想が飛躍した時期と書いているが、そこは空白、実は右傾化した時期なのであって、その反省も自己総括も無いまま、戦後は平和運動。女性運動のリーダーに担がれる。青鞜を野枝にゆずって、というか、奪われたらいてうみたいになりたくないと思って来たが、戦時にらいてうみたいにぶれたくない。そのてん野上弥生子はおなじくエリート主義ではあるが賢かったし、先が見えていた。

宮本百合子の思想はらいてうよりよほど体系的だ。さとこと「死んどいてよかったひと」をあげる。与謝野晶子も1940年に死んどいてよかった。生きてたら、もっとすごい戦争協力をしていて今みたいに「君死にたまふことなかれ」の反戦詩人として教科書には載らなかったかも。宮沢賢治も死ななかったら国柱会――石原莞爾の方へ引っ張られていた可能性が大。鉄幹なんて『肉弾三勇士のうた』を書いたくらいだから推して知るべし。