2013年5月 のアーカイブ

3月24日

2013年5月8日 水曜日

ドバイで3時間待ちで今度はウガンダのエンテベ空港へ。12時半着。ウガンダは旧英国領、通貨はシリング、アミン大統領の悪印象つよし。いまは内戦も片付き、アフリカの真珠といわれた美しい緑の大地が広がる。カミヤと言うドライバーが迎えに来てくれそのまま北部の町グルを目指す。道はだんだん悪くなり、全く街灯はない。トラックとカーチェイス。轟々たるナイルを渡る。ボマホテルにジャイカの久保さん夜遅く来てくださる。飛行機の寒さと乾燥で喉傷める。この地域は日本人はまず立ち入れないところ。いつものようにカードと円をもって来たのだが、まったく役に立たず。ドルのみ通用。

3月23日

2013年5月8日 水曜日

桜咲く。しかし今年の桜は6弁とか4弁が多く見られるという。大宮公園。夜10時のエミレーツ航空でドバイへ。

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3月22日

2013年5月8日 水曜日

大分から持って帰ったシイタケ配り。なかなか関東では原木シイタケが手に入りませんからな。夜、海上海でフランス人たちの考えた石巻『屋台プロジェクト』について話し合う。どこかに石巻を象徴するような石をうずまきのように巻いて作った仮設のテントを建て、そこでおいしい各国料理を作って各地の仮設住宅に配り、いっしょに食べることの楽しさを共有してもらう。まだまだ実現までの道のりは遠そう。

3月21日

2013年5月8日 水曜日

学士会館で『千駄木の漱石』について話す。さすがにあとで「漱石はカントやデカルトやヘーゲルをどう読んだとおもうかね」「漱石は東洋文明と西洋文明の相克になやんだのではないか」などと難しい質問が出て絶句。その一高的、国文学科的、高踏的漱石理解、カリスマ化と闘うために今度の本を書いたというのに。
下の友人からのメールはもっともうれしかった読後評。このかたも学士会会員ではあるけれど。

漱石の本は50年前、高校の時に読んだだけ。読書会のテキストとして比較的きちんと読んだ『こころ』については、雪の中で先生とばったり会う伝通院前の春日通り(もともとは本郷大地と同じ武蔵野面の尾根筋)に実地検分に行ったことがある。それ以外は恥ずかしながら通り一遍。漱石を研究している小森陽一君とさえも紅葉や鏡花のことしか議論していない。そんなひどい認識不足のなかで森さんの本を読み始めたのだが、いやー、面白かった。漱石ってあんな人物だったんだ。あの有名な首をかしげて物思いにふける写真からは想像もつかなかったけど。

注目・感動したのは、没後100年にならんとする漱石を復活させた森さんの方法論。通常の「ノンフィクション」だと時間軸に沿う形が中心だが、『千駄木の漱石』では時間軸上をスイープさせながら千駄木という生活空間のなかで漱石が苦悩し、怒り、笑い、茶化し、美食し、同僚や弟子たちと議論している。しかもその空間は平面的なものではなく、台地と下町、坂や建物という高さの変化もある。土や豚の臭い、野生動物、人々の喧騒にも彩られている。言ってみれば、音、臭い(匂い)、色のついた3次元的生活空間とそれに直交する時間軸のなかで漱石が描かれているのだと思う。しかもその時間軸は現在につながっていて、ちゃっかり(失礼!)まゆみさんの生活や思想が組み込まれている。この方法論は千駄木で育った森さんの生き方、そして地域から日本、そして世界へとつながる多彩な活動が生み出した、森さん固有のものだと思う。『鴎外の坂』では、墓石に語りかけ、墓石から聞き出してくる森さんの手法が印象に残っているけど、今回のは “まず4次元(3次元空間+時間)的に構成し、最後に時間軸を取り払って同一時間面に投影する”という斬新なもの。 まさに時間を超えた生活空間の共有だろう。だから、何か、団子坂あたりで、ひょっこり漱石とまゆみさんが出会って談笑している気さえするのだ。

3月20日

2013年5月8日 水曜日

きょうは岩波映画で数々の名作を作った時枝俊江さんをしのぶ会。「絵図にしのぶ江戸の暮らし」「文京ゆかりの文人たち」「坂ーー暮らしの中の風景」など谷根千でも何度も上映して来た。時枝さんは1929年生まれ、三井鉱山につとめる父の元に生まれた。時枝文法で有名な時枝誠記は遠縁だそうな。東京女子大をでてはじめスクリプターとなり、やがて1951年、草創期の岩波映画にうつって文革の中国を扱った「夜あけの国」などを作る。個人的なことは一切語らず、一人暮らしで住んだマンションを処分して「国境なき医師団」や「由布院文化記録映画祭」に寄付するよう言い残されたと言う。映画祭で映画の合間、おかっぱ頭の時枝さんが、暗がりの石段に腰を下ろして煙草をすっているのをお見かけしたが、なんともかっこよかった。私は監督の前で「絵図に見る江戸の暮らし」を解説して冷や汗をかいたこともある。時枝さん、私たちの町をこんなにちゃんと記録してくださってありがとうございました。

3月19日

2013年5月8日 水曜日

宇佐八幡に行ったことがなかったので、出かける。全国の八幡の総本家で、戦いの神様だ。ご神体は森である。森と盛りは関係がある。ゆっくり歩いて池にでた。こんな気持ちのいい場所はめったにあるものではない。カメラマンの石橋さんの家は宇佐駅前の旅館、そこにもよる。すごく若くてすてきだった。

3月18日

2013年5月8日 水曜日

美由紀さんが広くて天井の高い家から、もっとこじんまりしたあたたかそうな家に移ったので人ごとながらうれしい。由布院は九州とはいえ高原で寒いのだ。朝、前からお話はうかがっている郡山の三田さんたちとおしゃべり。その前に25五年ぶりくらいに下の湯に入った。入っていると地元のおっちゃんが入ってきた。すごく豪快で圧倒された。混浴。天井桟敷の豪華モーニングは大変おいしい。
おしゃべりするうちにお昼になり、健太郎さんは私の『千駄木の漱石』の漱石が猪や雉子や鴨や羊肉を食うシーンから『漱石鍋』を考えつき、試食してみませんかという。鴨、猪肉、鶏であとは蓮根、里芋、人参,大根などの根菜類。これで最後にせりをどっさり。せりは由布院のあちらこちらにはえている。亀の井別荘のラウンジにはなんと漱石の直筆がある。

3月17日

2013年5月8日 水曜日

由布院へ。毎年、映画祭に行ってもゆっくりお話をする暇がないので、イベントのない閑なころに来ませんか、という。それで美和子さんが美由紀さん夫妻と空港へ迎えに来てくれて大分市内の戸次というところにある帆足家という旧家を公開しているのを見せてくれた。儒者帆足万里や画家帆足杏雨を出した家で、ご夫婦がレストランや喫茶店ギャラリーなどを丁寧に経営しておられた。ごぼうの名産地なのでごぼう定食を食べる。夜は由布院でおでん屋さんに。

3月16日

2013年5月8日 水曜日

スピノザは無神論者で、光学レンズの玉みがき職人で、哲学者だった。哲学なんてそんな難しいことではない。どう生きるか。それに尽きる。スピノザはなんだか私に近い感じ。

3月15日

2013年5月8日 水曜日

北大の大崎さんが見えたので、いっしょに森鴎外記念館を見学、西洋美術館でラファエロを見た。ラファエロはウルビーノに生まれ、少年のときから天才と言われ、しかし梅毒で30代で亡くなったらしい。アテネの学堂に書き込まれたラファエロのポルトレはとっても好きな絵の一つ。そのあと西河哲也さんの歓送会、そして「まつしろ」で大崎さんと合流。カリマンタンの話。9月に北海道に行ったら下川町によることになった。