3月21日

学士会館で『千駄木の漱石』について話す。さすがにあとで「漱石はカントやデカルトやヘーゲルをどう読んだとおもうかね」「漱石は東洋文明と西洋文明の相克になやんだのではないか」などと難しい質問が出て絶句。その一高的、国文学科的、高踏的漱石理解、カリスマ化と闘うために今度の本を書いたというのに。
下の友人からのメールはもっともうれしかった読後評。このかたも学士会会員ではあるけれど。

漱石の本は50年前、高校の時に読んだだけ。読書会のテキストとして比較的きちんと読んだ『こころ』については、雪の中で先生とばったり会う伝通院前の春日通り(もともとは本郷大地と同じ武蔵野面の尾根筋)に実地検分に行ったことがある。それ以外は恥ずかしながら通り一遍。漱石を研究している小森陽一君とさえも紅葉や鏡花のことしか議論していない。そんなひどい認識不足のなかで森さんの本を読み始めたのだが、いやー、面白かった。漱石ってあんな人物だったんだ。あの有名な首をかしげて物思いにふける写真からは想像もつかなかったけど。

注目・感動したのは、没後100年にならんとする漱石を復活させた森さんの方法論。通常の「ノンフィクション」だと時間軸に沿う形が中心だが、『千駄木の漱石』では時間軸上をスイープさせながら千駄木という生活空間のなかで漱石が苦悩し、怒り、笑い、茶化し、美食し、同僚や弟子たちと議論している。しかもその空間は平面的なものではなく、台地と下町、坂や建物という高さの変化もある。土や豚の臭い、野生動物、人々の喧騒にも彩られている。言ってみれば、音、臭い(匂い)、色のついた3次元的生活空間とそれに直交する時間軸のなかで漱石が描かれているのだと思う。しかもその時間軸は現在につながっていて、ちゃっかり(失礼!)まゆみさんの生活や思想が組み込まれている。この方法論は千駄木で育った森さんの生き方、そして地域から日本、そして世界へとつながる多彩な活動が生み出した、森さん固有のものだと思う。『鴎外の坂』では、墓石に語りかけ、墓石から聞き出してくる森さんの手法が印象に残っているけど、今回のは “まず4次元(3次元空間+時間)的に構成し、最後に時間軸を取り払って同一時間面に投影する”という斬新なもの。 まさに時間を超えた生活空間の共有だろう。だから、何か、団子坂あたりで、ひょっこり漱石とまゆみさんが出会って談笑している気さえするのだ。