2012年2月 のアーカイブ

震災日録 1月18日 江戸東京たてもの園

2012年2月2日 木曜日

原発の耐久年数を40年から60年に伸ばすというトンデモナイ話。
センター試験でミス、不手際多し。私も大学にいた頃毎年のように立ち会いをやったことがあるが、あれほど非人間的な労働はなかった。ミスが出てもしかたない。ヒヤリングなどやめるべし。
国分寺の東京たてもの園にいく。小学校の頃、いったなあ。武蔵野郷土資料園。文京区向丘から移築された仕立屋さん、池之端の日増屋、根岸の鍵屋などに再会。西片町の堀口捨巳設計の小出邸もあった。あんがい谷根千周辺から行ったたてものは多い。前川国男の自邸は明るくて使いやすそうで住んでみたい。じつは見に行ったのは2・26事件でころされた高橋是清邸。ガイドさんが「二階ですよ、暗殺されたのは」となにか最近の事件のように語るので爆笑。蔵で湯葉うどんを食べ体を温める。国分寺カフェスローで中島岳志さんとしめの対談。5・15、2・26事件に至る明治末からの鬱屈青年たちの心の流れ、いまとのアナロジー。こわいなあ。
自殺の増加、海外逃避、秋葉原事件のような暴発、厚労省の幹部殺害が起きると年金問題でのテロか、とすぐ思って加担してしまう世論。行き詰まる若者を暴発から守るにはやっぱり地域に商店街でも、映画館でも、飲み屋でも小さなたまり場を作って行くしかない。夜は根津で小学校時代の友だちと飲む。どんなに意見が違っても自分の思うことを話せる場があることがうれしい。みんなどこかに短パンの少年の面影を残しているし。

震災日録 1月17日 八ッ場ダムは天王山

2012年2月2日 木曜日

1時半に日比谷公園、八ッ場ダム再開への抗議行動。150人くらいのデモ。「民主党はマニフェストを守れ!」「不要不急の公共工事はやめろ」「ダムをやめて被災地にかね回せ」と至極もっともな要求。国土交通省前に1時間ほどいたらその間、何十台もの黒塗りの車に若い官僚がひとりずつ乗って出て行った。これみな私たちの税金から。そういえば昔、国家公務員上級職の研修所に講師で行ったことがある。スゴイ立派な研修棟に高級ホテル並の個室の部屋も見せてもらった。受かったばかりのエリートたちは地道に地域で居場所をつくり、地域誌を掘り起こすなんて話にまったく興味はないらしかった。わたしの講義のあとは自主グループ討論で「総理を目指す」なんてむき出しな題がマジックで書いてあった。あの人たちに被災地の困っている人に寄り添えといっても無理だろうな。いくつかの省庁の事務方とつき合ったが、みんな眠そうな死んだ目をして、本音は絶対に言わない。文化庁の専門官には本当に美術や建築の好きないきいきした目をした人がいたけれど。あんな文書とはんこでやりたくもない事業をやって天下りまでがんばるなんて。
議員会館内での緊急抗議集会は300人で満員。司会も上手だったし、登壇者も具体的でわかりやすい論を手際よく話し、濃い集会だった。八ッ場はとにかく「コンクリートから人へ」のマニフェストの象徴であり、八ッ場が止まればほかの不要不急の公共工事も止まるといういわば天下分け目である。平義員という民主党議員はエンジニアで具体的な話をしてよかった。川内議員も長くがんばっているけど「わたしを1人にしないでください」というエモーショナルな訴えはいただけない。議員たちのスピーチには少し「自分の次ぎの議席はどうなるのか」「政治生命はどうなるのか」という私心もすけて見える。八ッ場をどう止めるかだけ語ればいい。
ダムと原発は何度も書いているようにまったく構造が同じ。原子力ムラみたいに河川ムラがあって官僚の天下り企業が八ッ場の調査も何もやっている。
基調講演の五十嵐敬喜法大教授に久しぶりに会った。むかしバブルで地上げがひどかった頃、いっしょに住民追い出し反対などを闘った。最近まで内閣府参与をされていたので「八つ裂きにされる」覚悟できたらしい。彼の考えでは民主党はみんなわあわあ思いつきをいうばかりで、多様な意見を統一することも、それを実現する実力もないようだ。「民主党は生き延びられるか」というタイトルだが「生き延びられない」と思っているようだ。しかし自民党へも戻れない。橋下‐石原連合はもっと危ない。政治家、官僚、学者、メディア、全てに不信がつのるなか、人々は自分で行動しないで強力なリーダーシップをもとめファシズムへの道を突き進むのではないだろうか。
若者が考えない、動かない、といってもそんな若者を育てたのはわれわれ大人と教育だ。
6時半すぎ終わって7時からは文京シビックセンターで脱原発を考える宗教者の集い。
南相馬からきた浄土真宗の僧侶。「原発の勉強会にでてたので11日中に全電源喪失と聞いて、地域の区長などに危ない危ないといったのですが、みんな、なあに、大丈夫だ、爆発するわけはない、大丈夫だの一点張りなので、家族の命を守るため北陸まで車で逃げた。しかし南相馬の檀家からは帰って来てほしいというので、行ったり来たりしようと思ったが、そうもいかない。もう半年で6万キロ走った。特養などにいたお年寄りが病院を移動させられ、なくなってお葬式や法事はいつもの1・5倍。もう和尚さんには会えないと思っていたという檀家と手を取りあって泣く所からはじまる」

震災日録 1月16日 国会議員の数、原発国民投票

2012年2月2日 木曜日

官僚や政治家への不信や反感はますます募っている。そのためか国会議員なんて100人もいればいい、という意見が強いが、それでは少数意見が担保されない。小選挙区制ではほとんどその時、勢いのある政党が多数を占めてしまう。今の定数で歳費を半分にし、新幹線グリーン席タダなど特権をやめるのがいいと思う。できたら中選挙区制に戻したい。地方議会も同じ。というかすでに危ないくらいに定数が減らされている。
原発是か非かの国民投票、いいとは思うがやらせメールをみても推進派が金や脅しのあの手この手でヤラセ投票をして多数を占める危険も高いと思う。直接声をあげ、主権を行使する場を失わされているため直接民主制への欲求が強いが、議会制民主主義で面倒くさくても議論をつくすということも忘れてはいけない。議会で誰が自分の代理人として発言しているか、はっきり自覚を持ち、言うべきことをどんどん言っていく。