震災日録 1月17日 八ッ場ダムは天王山

1時半に日比谷公園、八ッ場ダム再開への抗議行動。150人くらいのデモ。「民主党はマニフェストを守れ!」「不要不急の公共工事はやめろ」「ダムをやめて被災地にかね回せ」と至極もっともな要求。国土交通省前に1時間ほどいたらその間、何十台もの黒塗りの車に若い官僚がひとりずつ乗って出て行った。これみな私たちの税金から。そういえば昔、国家公務員上級職の研修所に講師で行ったことがある。スゴイ立派な研修棟に高級ホテル並の個室の部屋も見せてもらった。受かったばかりのエリートたちは地道に地域で居場所をつくり、地域誌を掘り起こすなんて話にまったく興味はないらしかった。わたしの講義のあとは自主グループ討論で「総理を目指す」なんてむき出しな題がマジックで書いてあった。あの人たちに被災地の困っている人に寄り添えといっても無理だろうな。いくつかの省庁の事務方とつき合ったが、みんな眠そうな死んだ目をして、本音は絶対に言わない。文化庁の専門官には本当に美術や建築の好きないきいきした目をした人がいたけれど。あんな文書とはんこでやりたくもない事業をやって天下りまでがんばるなんて。
議員会館内での緊急抗議集会は300人で満員。司会も上手だったし、登壇者も具体的でわかりやすい論を手際よく話し、濃い集会だった。八ッ場はとにかく「コンクリートから人へ」のマニフェストの象徴であり、八ッ場が止まればほかの不要不急の公共工事も止まるといういわば天下分け目である。平義員という民主党議員はエンジニアで具体的な話をしてよかった。川内議員も長くがんばっているけど「わたしを1人にしないでください」というエモーショナルな訴えはいただけない。議員たちのスピーチには少し「自分の次ぎの議席はどうなるのか」「政治生命はどうなるのか」という私心もすけて見える。八ッ場をどう止めるかだけ語ればいい。
ダムと原発は何度も書いているようにまったく構造が同じ。原子力ムラみたいに河川ムラがあって官僚の天下り企業が八ッ場の調査も何もやっている。
基調講演の五十嵐敬喜法大教授に久しぶりに会った。むかしバブルで地上げがひどかった頃、いっしょに住民追い出し反対などを闘った。最近まで内閣府参与をされていたので「八つ裂きにされる」覚悟できたらしい。彼の考えでは民主党はみんなわあわあ思いつきをいうばかりで、多様な意見を統一することも、それを実現する実力もないようだ。「民主党は生き延びられるか」というタイトルだが「生き延びられない」と思っているようだ。しかし自民党へも戻れない。橋下‐石原連合はもっと危ない。政治家、官僚、学者、メディア、全てに不信がつのるなか、人々は自分で行動しないで強力なリーダーシップをもとめファシズムへの道を突き進むのではないだろうか。
若者が考えない、動かない、といってもそんな若者を育てたのはわれわれ大人と教育だ。
6時半すぎ終わって7時からは文京シビックセンターで脱原発を考える宗教者の集い。
南相馬からきた浄土真宗の僧侶。「原発の勉強会にでてたので11日中に全電源喪失と聞いて、地域の区長などに危ない危ないといったのですが、みんな、なあに、大丈夫だ、爆発するわけはない、大丈夫だの一点張りなので、家族の命を守るため北陸まで車で逃げた。しかし南相馬の檀家からは帰って来てほしいというので、行ったり来たりしようと思ったが、そうもいかない。もう半年で6万キロ走った。特養などにいたお年寄りが病院を移動させられ、なくなってお葬式や法事はいつもの1・5倍。もう和尚さんには会えないと思っていたという檀家と手を取りあって泣く所からはじまる」