朝、丸森の中学生が修学旅行で丸森の産品を5カ所で売ると言うのでビデオを持って駆けつける。板橋の大山商店街、早稲田の大熊通り商店街、池袋の宮城のアンテナショップ、日本橋高島屋、交通会館のまち・むら館、どこもにぎわっていた。丸森出身者もたくさん来てくれたし。学校は宗教と商売を嫌うが、子どもたちが事前に学習し、土地の名産とその歴史、文化を理解して、震災以降、売れにくくなった土地の産品を売る事に協力しているのはとても勉強になると思う。給料でなく、売ってナンボの商売をしてみるのはいい経験だ。(放射線値の計測はかなり神経質にやっており、政府のきめた規制値よりずっと低い価しかでていない、と志白屋さん)。
かつて書いた原稿の直し。なすと豚肉でつゆを作ってひやそうめん。
南伸坊さんの『本人伝説』は爆笑だ。このところ、こんなに笑ったことはあっただろうか。伸坊さんがいろいろ変装するのだが、似ているのはダライラマ、鶴見俊輔、吉本隆明、アラーキー、伊集院静かな。女性になるのは難しくてオノヨーコは美川憲一みたいだった。そこにつけられているインタビューがまた本人そっくりで大笑い。やっぱりどんな大変な時代でも『人間は楽しむために生きているんだ』、アリガトウ!
‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ
9月13日
2012年10月4日 木曜日9月12日
2012年10月4日 木曜日お昼に足立さんが『帝都の事件を歩く――藤村操から2・26まで」を持って来てくれる。企画をあれこれするころが楽しくて、この本は中島岳志さんと矢作多聞さんと恵美ちゃんとみんなで町歩きをして楽しくて、恵美ちゃんのテープ起こしが大変で、それまた校閲や校正が大変で、やっと出来上がった本を前に気が遠くなるような感じだった。しみじみ、売れるといいですね、と言いあう。3時に『和楽』と言う雑誌の方たちが写真を取りに見えた。旅でずっと外食だと家の食事がうれしい。といっても6時すぎたからお酒を解禁にして、タコのぶつ切りやキュウリの酢の物や冷や奴でおさけをなめなめ、本を読んでばかり。亜紀書房の『女子大生、渡辺京二に会いに行く』は、初読のときよりずっとおもしろかった。かしこくて真面目な女子大生が、リーダーシップ、アイデンティティ、グローバル化なんて横文字に振り回されつつ質問するのを、渡辺さんが至極まっとうな言葉で切り返す。むかしから持っている渡辺さんの本を読み返したくなる。
9月11日
2012年10月4日 木曜日例によって新聞と郵便物の整理とメールチェック。歯を治しに行って母のところへよる。夜は映像ドキュメントの打ち合せ。福島で甲状腺がんの子どもが一人見つかったという。原発事故との因果関係はわからないが。
9月10日
2012年10月4日 木曜日朝、石垣島を散歩。むかしの政庁あと、大浜信泉記念館、赤瓦の家もけっこうある。竹富町の町史編纂室で通事さんに戦争マラリアの資料をいただきはなしを聞く。波照間出身だけに話に熱がこもる。石垣牛のハンバーグを最後に食べて空港に向かう。
疲れたけれど帰ったら当分また八重山病はなおらないだろう。
9月9日
2012年10月4日 木曜日朝、思いついて石垣島へ。10時半よりオスプレイ反対八重山集会あり。沖縄いじめ、沖縄差別という言葉が発せられる。12時半の船で竹富へ帰る。やらぼで沖縄そば。ここのが一番おいしい。1時半から敬老会。長寿を喜びにかえる島。当選したばかりの町長も参加。踊り、太鼓のほか滑稽な女装の踊りや学校の先生方の滑稽な喜劇あり。とっても楽しい。4時半終了。5時45分の船で石垣へ。ハッピーホテルはとても広くて安い。3950円なり。マッサージも島歌のライブも館内にある。よく眠ったなり。
9月8日
2012年10月4日 木曜日若い人と話す。Aさん「島の人は米兵より、日本兵の方が怖かった。ナイチャーというのはいい言葉じゃないけど、いまは平気でナイチャーと名乗る人もいる」「ばあちゃんの話だと、機銃掃射を受けて立ったままかたまって、それで頭がおかしくなった子がいたって」Tさん「東京の小学校のときは沖縄出身者の子とわかるといじめられた。自分は島が好きだし誇りも持ったので中学以上になるとそういうことがなくなったけど」
学校へ夏休みの作品展を見に行って、そのあとヴィラで食事。
Iさんは夫が復帰前から八重山で好きで、どうしてもここに住みたいと、移住してきた。
6時半にコンドイ浜に泳ぎに行く。西の空は赤い。もうすぐ日が落ちる。いそげやいそげ、たるりやで牛すじカレー。有田さんの手料理をご馳走になる。東風平(こちんだ)さんは石垣の育ち、水牛車観光とゲストハウス竹富を経営。おもしろい方たち。
9月7日
2012年10月4日 木曜日朝、ひまわりなる朝食の店に行く。500円でご飯、みそ汁、ソーセージ、鮭、サラダ、卵焼き、そして食後のコーヒー付き。とってもいい感じ。お孫さんがお客さんを連れてくることもあるという。おとといあった子だ。それから集落を散歩して9時40分の一便で帰る。波高し。
石垣に10時半について、石垣図書館で戦争マラリア関係の本を読む。本土の本は少なく、沖縄関係がずらーっと並ぶ。図書館員は親切、しかし館内は寒すぎる。5時15分までコピーを取っていて30分の船に乗った。安永交通は荷物を預かってくれないが、八重山フェリーはただ。5時45分について55分に松竹荘についたら、おばあが「あら、お帰り」といってくれてうれしかった。昇助さんに西表の移住や波照間、マラリアについて裏とり。11時過ぎに寝る。
9月6日
2012年10月4日 木曜日朝、自転車で島内散歩、よい地図もなく、サインもない。ブロックを赤く塗って「集落」と書いてあるだけ。あとは「徐行」、この素っ気なさがたまらないのかもしれない。サトウキビ、牛が主な産業のようだ。農水省の補助事業が多い。その看板はあちこちに立つ。畜産振興助成事業もあった。最南端の碑。お昼は「はなはな食堂」でゴーヤとトマトのパスタとビール。食べ物屋は皆ちょっとナチュラル系の外来者がやっている雰囲気。そのまま泳ぎに行く。ひと多し。足まで透き通って見える。
「あやふぁみみ」できょうはカレーと魚のバター焼きを食べた。隣の2人は同じ宿の模様。こっちに来ませんかといって一緒に飲み、割り勘にする。夜、ゆんたく。どこからきました? これからどこいきます? どこの宿がいいですか? あとはマンガやアイドルの話でおばさんはついていけない。星を見に暗がりにいく。それから相部屋の子がいつまでも帰って来ないので、ナンパされたかな、と心配になったが、翌朝聞くと5人で海まで行ったそうな、月明かりで海がよく光ってみえたとのこと。
9月5日
2012年10月4日 木曜日朝、井戸のあと、記念碑を見る。大山さんはサトウキビ畑の裏、しゃがんで土を耕していた。
波照間さんのおくさん、今日は皆石垣にゲートボール大会に行っている。昨日の福地さんが資料を持ってきてくれた模様。波照間島の宿を取るのを忘れていた。あちこちかけてやっと一軒とれた。航路快適、客多し。上陸して「レンタカーはありませんか」といっても「もうないよ」とつれない。もう貸し手市場という感じ。クーラーはただだが、朝食だけついて7000円。高いな。
あちこちに波照間飛行場を再開を、と看板が立つ。たくさんの赤瓦の家。町並み保存もできなくなない。でも制度にのらず、このくらいの方が気が抜けていい。
家中さんと勝連さんの話を聞きに行く。じんそつ、というのは尋常高等小学校卒業のことらしい。石垣で兵隊をした事、議員を何期もやった話など。家中さん帰る。
商店で元学芸大の小谷部先生にばったり。どうしてここに、と手を取り合ってしまう。
この店のシャーベットがおいしい。西表を見晴らす要塞で会った女の子がゲストハウス「なみ」をおしえてくれる。戻って予約、7時半に刺身と豆腐が出るそうだ。「あやふぁみみ」でスーチカ定食とビールそして島野菜のピクルスを食べる。本棚によしもとばなな、田口ランディがたくさん並んでいる。夕食後に西の浜へ向かい、きれいな海で泳いで、夕日を見て帰った。
夜、おでんやへいく。店の中はまぶしい。てびちと卵をたのんだら「青菜も入れましょうね」という、この応対がうれしい。旦那さんは役場を辞めてこの商売を開いたばかり。奥さんの実家は石垣でおでんや、前の街灯は塾に行く子どものために付けた、と一人旅の私に親切に話しかけてくれる。でも波照間に塾があるとは。2階のベランダにふく風が気持ちよい。
9月4日
2012年10月4日 木曜日午前中、竹富出身者のところを回ってみる。小底朝生さんはおくさんと暮らしている。農業だけを続けてきた小底さんはずっとしゃがんだままインタビューに答えてくれた。
体に贅肉がないのもあるけれど、慣れた姿勢なのだろう。とうてい真似できない。一番奥の家、車のある今では高台の方が景色もいいが、その当時、井戸まで水を汲みに行くにはいかに大変だったことだろう。
波照間出身の美底千代さんは白髪のきれいなおばあだが、この髪もマラリアですべて抜けたことがあるという。マラリアの薬、キニーネをだしてもみんなのまないので、目前服用といって目の前でのませたとか。
小山さんは網を直していた。娘さんの美容院が併設されている。
昼過ぎに車を借り、家中さんといけるところまでいってみた。西表もマリンスポーツは高い。由布島は水牛車に乗ってわたるだけで1300円。
西表そばを食べる。家族連れの幼児がみそ汁をひっくり返し泣く。どこまでも続く原生林、道は一周していない。イリオモテヤマネコに注意、の看板がたくさんある。
星の砂海岸で水につかった。赤土はかなり流失しているようす。浜のすぐ裏の崖を二つの観光施設が占有して景観上よくない。その喫茶店からはきれいな浜が一望だが。
道の奥までいってみた。白浜小学校。公民館「海人の館」はとまれるようになっていた。NPOで経営していて満室。かつて西表炭坑があって三井物産経営でたくさん炭坑夫がいたのでこの先も航路があるらしい。
「由布島は私有地なんだからいくらとったっていいじゃないですか。西表温泉だって1500円とったって元は取れないといっていましたよ」と会った人は島の観光業者みたいなことをいう。東北のいい湯に300円で入って来た身にはいくら日本最南端の温泉でも1500円出して入る気はしない。
夕方7時前に宿に戻り、大宜味村から入植した団長福地景二さんの息子利供としきよさんに話を聞く。入植時中学二年生、わくわくしてきたという。といっても来る船が時化に会い、持って来たものを海に捨てたりと最初から多難だったそうだが。