‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

9月26日

2013年10月25日 金曜日
午前中、一人で大好きな北大植物園に。ここでもバチラー邸があって知里幸恵の続き。幸恵のしたの弟は知里真志保といってアイヌで初めて一高から東京大学に入り、言語学者として北海道教授となった。これも金田一春彦の援助もあっての事だが、事はそう簡単ではない。一高の寮でも知里真志保にひどいことをいう学生がいて傷ついた。そのことは同級生の杉浦明平が書き残している。
ああ、杉浦さん、インタビューに知多半島のお家にうかがった。本郷での生活、立原道造との友情、いろんな話を聞いたテープは版元で消えた。活字になったのは本当に少し。残念だ。
知里真志保の事も聞けばよかった。遠いところをきてくれたからとメロンを二ついただいた。東大を出て故郷で農業をやり、地方で議員となってその地方政治の構造を批判した。読み直さなくてはならぬ。
知里真志保のことを狷介で複雑という人は多い。友人たちと衝突し、師である金田一京助をも遠慮なく切ってのけた。和人の女性三人と結婚。52歳で死去。幸恵と同じく心臓に弱みがあったという事だ。でも最後の妻でアイヌ文化研究家である萩中美枝さんの回想を読むと18年上の夫が可愛くてたまらなかったようである。
午後1時、札幌駅で待ち合わせ、堀川淳子さんと塚田先生と小樽を歩く。手宮車庫では義父がここで貨物係をしていた事を想像した。石川副館長は当館の目玉は保線の道具です。といった。特注の美しい道具たち。国鉄職員が誇りを持って保線をしていたころはいまのようなJRの不始末はなかったのではないか。夜、ナルトでお寿司と鶏の唐揚げというスバラシイ組み合わせでビール。駅前のドーミーイン・プレミアム・小樽、とってもいい宿。夜は夜鳴きそば付き、天然温泉付き。でも朝食に1500円はもったいないので、食べなかった。
午前中、一人で大好きな北大植物園に。ここでもバチラー邸があって知里幸恵の続き。幸恵のしたの弟は知里真志保といってアイヌで初めて一高から東京大学に入り、言語学者として北海道教授となった。これも金田一春彦の援助もあっての事だが、事はそう簡単ではない。一高の寮でも知里真志保にひどいことをいう学生がいて傷ついた。そのことは同級生の杉浦明平が書き残している。
ああ、杉浦さん、インタビューに知多半島のお家にうかがった。本郷での生活、立原道造との友情、いろんな話を聞いたテープは版元で消えた。活字になったのは本当に少し。残念だ。
知里真志保の事も聞けばよかった。遠いところをきてくれたからとメロンを二ついただいた。東大を出て故郷で農業をやり、地方で議員となってその地方政治の構造を批判した。読み直さなくてはならぬ。
知里真志保のことを狷介で複雑という人は多い。友人たちと衝突し、師である金田一京助をも遠慮なく切ってのけた。和人の女性三人と結婚。52歳で死去。幸恵と同じく心臓に弱みがあったという事だ。でも最後の妻でアイヌ文化研究家である萩中美枝さんの回想を読むと18年上の夫が可愛くてたまらなかったようである。
午後1時、札幌駅で待ち合わせ、堀川淳子さんと塚田先生と小樽を歩く。手宮車庫では義父がここで貨物係をしていた事を想像した。石川副館長は当館の目玉は保線の道具です。といった。特注の美しい道具たち。国鉄職員が誇りを持って保線をしていたころはいまのようなJRの不始末はなかったのではないか。夜、ナルトでお寿司と鶏の唐揚げというスバラシイ組み合わせでビール。駅前のドーミーイン・プレミアム・小樽、とってもいい宿。夜は夜鳴きそば付き、天然温泉付き。でも朝食に1500円はもったいないので、食べなかった。

9月25日

2013年10月25日 金曜日
義兄が私と息子を美唄町のアルテ・ピアッツァに連れて行ってくれる。雨模様だったが、すばらしい野外彫刻をみた。当地出身の安田侃の大理石や御影の彫刻。室内展示場の一階には町立幼稚園がはいっており、そのことがこの場に人の気配と暖かさをもたらしている。イサムノグチのモエレ沼公園よりこっちの方が好きだ。また天気のいい夏の日に来たい。三人でコーヒーを飲みタバコをすい、なんだか嬉しくなった。木を切る商売は時代に合わなくなり、いま義兄は木を植えて園芸の会社をしている。北大で金属工学を学んだ学者肌の兄はあいかわらず木についてものすごいこだわりを見せてホームページを作っている。性格は変わらないものだ。夜、私は最初につとめた会社の同僚チエコの家に泊まり、息子は別の友人の家に泊まりにいった。22、23をともにした友達はいいものである。彼女は寛容で穏やかな夫に守られ、三人の子を立派に育て上げ、いまはシニア劇団の花形女優である。なんだか百恵ちゃんを思い出してしまった。結婚は間違いのない男選びが大事だなあ。「あなたも札幌に来て暮らせば。このへんのマンション、いっぱいあいてるよ」との話にぐらっと来る。
義兄が私と息子を美唄町のアルテ・ピアッツァに連れて行ってくれる。雨模様だったが、すばらしい野外彫刻をみた。当地出身の安田侃の大理石や御影の彫刻。室内展示場の一階には町立幼稚園がはいっており、そのことがこの場に人の気配と暖かさをもたらしている。イサムノグチのモエレ沼公園よりこっちの方が好きだ。また天気のいい夏の日に来たい。三人でコーヒーを飲みタバコをすい、なんだか嬉しくなった。木を切る商売は時代に合わなくなり、いま義兄は木を植えて園芸の会社をしている。北大で金属工学を学んだ学者肌の兄はあいかわらず木についてものすごいこだわりを見せてホームページを作っている。性格は変わらないものだ。夜、私は最初につとめた会社の同僚チエコの家に泊まり、息子は別の友人の家に泊まりにいった。22、23をともにした友達はいいものである。彼女は寛容で穏やかな夫に守られ、三人の子を立派に育て上げ、いまはシニア劇団の花形女優である。なんだか百恵ちゃんを思い出してしまった。結婚は間違いのない男選びが大事だなあ。「あなたも札幌に来て暮らせば。このへんのマンション、いっぱいあいてるよ」との話にぐらっと来る。

9月24日

2013年10月25日 金曜日
旭川の気になっている知里幸恵の住んでいた場所、近文の北門中学校前庭には知里幸恵の碑があった。校舎内に記念室もあって校長先生が懇切に説明してくれた。
旭川に第七師団が出来るので、アイヌの集落が立ち退きにあい、このへんにまとめられたのだという。アイヌ、沖縄、在日、ハンセン氏病者に対する差別と迫害は日本人である以上、考えなければいけないアポリアである。
旧土人法がようやくアイヌ文化振興法になったため、政府は過剰に補助金をつけて、前にいった白老のアイヌ集落も再訪するととんでもなく立派な施設になっていた。そうなっても土建業者ばかりがもうけるのではないか、当の人々の暮らしはよくなるのだろうか? 被災地と同じく、補助金を悪用したり、当てにしたりする人も増えているようで、横山むつみ館長も絶対不正には使わない、という事を強調していらした。私が飛行機にのったときの席の半券をなくしてしまったので、とても困らせてしまった。荷物を預けたときの半券でどうにかなるかな。
というわけで今回、片道は知里幸恵記念館に、片道は28日にお話しする札幌のNPOに負担していただく。講演を複数やって双方から旅費をもらうような講演者に私はなったことがない。
旭川市の博物館にも充実した展示があるのに、観覧者は私達だけだった。川村カ子ト記念館も見応えがあった。ここの方も私達は補助金をもらわないで運営しています、というその言葉に誇りを感じた。その近くのスープカレー、おいしかった。
その足で岩見沢の義父母の家へ。90の父と85の母、離婚する時「まゆみさんもいったんはうちに縁があった人なんだから、いつでも遊びにきてくださいよ」といってもらい、いつも鮭やいくらやジャガイモやアスパラガスを送り続けてくれた両親だ。夫と別れても親である事には変わりがない。仕事のついでにしかよれないのが申し訳ないが。私が大尊敬の義父の半世紀をスマホで録音。早く父を亡くし、小樽の手宮の貨物係を皮切りに、木材会社を立ち上げた立志伝中の人物だ。
旭川の気になっている知里幸恵の住んでいた場所、近文の北門中学校前庭には知里幸恵の碑があった。校舎内に記念室もあって校長先生が懇切に説明してくれた。
旭川に第七師団が出来るので、アイヌの集落が立ち退きにあい、このへんにまとめられたのだという。アイヌ、沖縄、在日、ハンセン氏病者に対する差別と迫害は日本人である以上、考えなければいけないアポリアである。
旧土人法がようやくアイヌ文化振興法になったため、政府は過剰に補助金をつけて、前にいった白老のアイヌ集落も再訪するととんでもなく立派な施設になっていた。そうなっても土建業者ばかりがもうけるのではないか、当の人々の暮らしはよくなるのだろうか? 被災地と同じく、補助金を悪用したり、当てにしたりする人も増えているようで、横山むつみ館長も絶対不正には使わない、という事を強調していらした。私が飛行機にのったときの席の半券をなくしてしまったので、とても困らせてしまった。荷物を預けたときの半券でどうにかなるかな。
というわけで今回、片道は知里幸恵記念館に、片道は28日にお話しする札幌のNPOに負担していただく。講演を複数やって双方から旅費をもらうような講演者に私はなったことがない。
旭川市の博物館にも充実した展示があるのに、観覧者は私達だけだった。川村カ子ト記念館も見応えがあった。ここの方も私達は補助金をもらわないで運営しています、というその言葉に誇りを感じた。その近くのスープカレー、おいしかった。
その足で岩見沢の義父母の家へ。90の父と85の母、離婚する時「まゆみさんもいったんはうちに縁があった人なんだから、いつでも遊びにきてくださいよ」といってもらい、いつも鮭やいくらやジャガイモやアスパラガスを送り続けてくれた両親だ。夫と別れても親である事には変わりがない。仕事のついでにしかよれないのが申し訳ないが。私が大尊敬の義父の半世紀をスマホで録音。早く父を亡くし、小樽の手宮の貨物係を皮切りに、木材会社を立ち上げた立志伝中の人物だ。

9月23日

2013年10月25日 金曜日
ちょうど見頃だというので朝日岳に紅葉を見に行く。車でかなり登り、ロープウェイで全く苦労せず山頂近くへ。こんな美しい紅葉を見たのは久しぶり、きれいな池もある。昔、万字炭山の短銃長屋に住むおじさんを訪ね紅葉を見ながらジンギスカンを食べた。懐かしい思い出だ。離婚したからといって義妹夫妻とのその楽しい思い出を封印する必要がどこにあろう。法律事務所に勤めてきた妹と、弱い立場の人たちを守る医療施設に勤めてきた義弟といろんな北海道の大変さを聞く。
午後、やってきたユタカと4人で旭川ラーメンを食べ、噂の旭山動物園へ。大人も楽しめる動物園をじっくり見た。きょうも手料理で一杯。4半世紀前訪ねたときの家だが、手入れがいいので新築みたいだ。
ちょうど見頃だというので朝日岳に紅葉を見に行く。車でかなり登り、ロープウェイで全く苦労せず山頂近くへ。こんな美しい紅葉を見たのは久しぶり、きれいな池もある。昔、万字炭山の短銃長屋に住むおじさんを訪ね紅葉を見ながらジンギスカンを食べた。懐かしい思い出だ。離婚したからといって義妹夫妻とのその楽しい思い出を封印する必要がどこにあろう。法律事務所に勤めてきた妹と、弱い立場の人たちを守る医療施設に勤めてきた義弟といろんな北海道の大変さを聞く。
午後、やってきたユタカと4人で旭川ラーメンを食べ、噂の旭山動物園へ。大人も楽しめる動物園をじっくり見た。きょうも手料理で一杯。4半世紀前訪ねたときの家だが、手入れがいいので新築みたいだ。

9月22日

2013年10月25日 金曜日
知里幸恵をめぐるバスツアー。お墓参り、知里真志保の碑、あの世に通じる穴、神様たちが楽しく踊り遊ぶカムイミンタラ(神の庭)、クジラのぶつかってあいた入り江など。幸恵亡き後、父母が養女にした和人の少女の娘さんに、晩年のマツやナミ、高吉の様子を聞く。12000人しか居ないアイヌは、開拓に失敗して夜逃げする和人の子どもを実の家族のように4000人、かわいがって育てたという。
午後、札幌経由で旭川へ。駅がすっかりきれいになっている。しかしモータリゼーションで駅周辺はパーキングばかりで寂しい。前夫の妹と久しぶりに再会、泊めてもらう。昔語りに花が咲く。
知里幸恵をめぐるバスツアー。お墓参り、知里真志保の碑、あの世に通じる穴、神様たちが楽しく踊り遊ぶカムイミンタラ(神の庭)、クジラのぶつかってあいた入り江など。幸恵亡き後、父母が養女にした和人の少女の娘さんに、晩年のマツやナミ、高吉の様子を聞く。12000人しか居ないアイヌは、開拓に失敗して夜逃げする和人の子どもを実の家族のように4000人、かわいがって育てたという。
午後、札幌経由で旭川へ。駅がすっかりきれいになっている。しかしモータリゼーションで駅周辺はパーキングばかりで寂しい。前夫の妹と久しぶりに再会、泊めてもらう。昔語りに花が咲く。

9月21日

2013年10月25日 金曜日
知里幸恵銀のしずく記念館による。横山さんの家の敷地内にたてられた簡素な白い建物である。しかし展示の内容は充実してすべて本物、レプリカはほとんどない。
改めて知里幸恵が小さいときからどんなに聡明で字もうまかったかがわかる。しかしそのぶん、同化政策の優等生として背伸びした部分もあったのではなかったか?
父高吉は幸恵が生まれたころは日露戦争に行って203高地の激戦を生き延びた。
アイヌの兵隊は特に前線にだされたというから、これも過酷な体験であったろう。しかし比べてみると高吉は登別温泉の開発者滝本金蔵夫妻にかわいがられて、そろばんを始めいろいろ習っているし、母ナミはその姉のマツとともに、バチラーがアイヌの優秀な子弟の教育のために始めた愛隣学校でキリスト教や英語を教わっている。アイヌ人の中では開明派といってよい。
子どもの知里幸恵が跳ね回ったであろう森や川は健在だった。小野アンナ、ブブノワについて書いたことがあるが、その身内である小野有五先生もきてくださった。
懇親会を終え、登別温泉でやっと一人。
知里幸恵銀のしずく記念館による。横山さんの家の敷地内にたてられた簡素な白い建物である。しかし展示の内容は充実してすべて本物、レプリカはほとんどない。
改めて知里幸恵が小さいときからどんなに聡明で字もうまかったかがわかる。しかしそのぶん、同化政策の優等生として背伸びした部分もあったのではなかったか?
父高吉は幸恵が生まれたころは日露戦争に行って203高地の激戦を生き延びた。
アイヌの兵隊は特に前線にだされたというから、これも過酷な体験であったろう。しかし比べてみると高吉は登別温泉の開発者滝本金蔵夫妻にかわいがられて、そろばんを始めいろいろ習っているし、母ナミはその姉のマツとともに、バチラーがアイヌの優秀な子弟の教育のために始めた愛隣学校でキリスト教や英語を教わっている。アイヌ人の中では開明派といってよい。
子どもの知里幸恵が跳ね回ったであろう森や川は健在だった。小野アンナ、ブブノワについて書いたことがあるが、その身内である小野有五先生もきてくださった。
懇親会を終え、登別温泉でやっと一人。

9月20日

2013年10月25日 金曜日
夕方、千歳着。しかし北海道ではJRの脱線事故で登別へ行く線の特急はみんな運休とか。臨時列車がきて、登別で横山むつみ館長とあう。小柄で目がくるくるよく動く。いっぺんに親しい気分になった。知里幸恵の弟高央の次女だそうだ。横山姓なのは横山隆雄さんという漫画家と結婚しているからで、旦那さんは赤塚不二夫のいたトキワ荘の住人だった。民宿500マイルまで送ってもらう。本当に民宿でいいのかしら、と気にされていたが、とってもよかった。部屋は畳でなくゴザ敷きでタバコのにおいもしたが、すごく面白いおばちゃんだった。横山さんが「あしたまた迎えにきますから」というと「ええ、しっかり閉じ込めてはなしゃしませんよ」というし、お酒でもビールでも一本飲んでください、というと「一本なんて言わずどーんと」と笑った。ユーモアを解する主人である。食べきれないほどのご馳走、それもみんな手作り。露天風呂もよかった。しかし人工芝をしいた露天風呂というのは初めてである。

夕方、千歳着。しかし北海道ではJRの脱線事故で登別へ行く線の特急はみんな運休とか。臨時列車がきて、登別で横山むつみ館長とあう。小柄で目がくるくるよく動く。いっぺんに親しい気分になった。知里幸恵の弟高央の次女だそうだ。横山姓なのは横山隆雄さんという漫画家と結婚しているからで、旦那さんは赤塚不二夫のいたトキワ荘の住人だった。民宿500マイルまで送ってもらう。本当に民宿でいいのかしら、と気にされていたが、とってもよかった。部屋は畳でなくゴザ敷きでタバコのにおいもしたが、すごく面白いおばちゃんだった。横山さんが「あしたまた迎えにきますから」というと「ええ、しっかり閉じ込めてはなしゃしませんよ」というし、お酒でもビールでも一本飲んでください、というと「一本なんて言わずどーんと」と笑った。ユーモアを解する主人である。食べきれないほどのご馳走、それもみんな手作り。露天風呂もよかった。しかし人工芝をしいた露天風呂というのは初めてである。

9月20日

2013年9月24日 火曜日

午前中、息子を拝み倒し、パワポを2つ作ってもらい、いざ北海道に出発。21日に知里幸恵記念の集会で、28日に札幌のお姉さん、堀川淳子さんの「だんらん」でお話をする予定。

9月19日

2013年9月24日 火曜日
昼食会で『青鞜の冒険』
について話す。高階秀爾先生、芳賀徹先生もいらしたので緊張したが、私の話に有益なサジェスチョンをたくさんくださり、ありがたかった。高階先生は青鞜の尾竹紅吉評価、尾竹三兄弟についてはかなり再評価の機運があることや、高村智恵子は紙絵だけでなく、青鞜のデザインセンスをも評価すべきだといわれた。芳賀先生は昭和20年から24年まで平塚らいてうゆかりの禅道場両忘協会に住まわれた。また曙町のお住まいはらいてうや寺田寅彦の隣近所で曙町についても教えていただけた。夜は坂本真典巨匠の手料理をいただきみんなでおしゃべり。なんという幸福な一日。昼間のおいしいステーキを緊張のあまり半分しか食べなかったのはもったいなかったけど。中秋の名月、秋の空。

昼食会で『青鞜の冒険』

について話す。高階秀爾先生、芳賀徹先生もいらしたので緊張したが、私の話に有益なサジェスチョンをたくさんくださり、ありがたかった。高階先生は青鞜の尾竹紅吉評価、尾竹三兄弟についてはかなり再評価の機運があることや、高村智恵子は紙絵だけでなく、青鞜のデザインセンスをも評価すべきだといわれた。芳賀先生は昭和20年から24年まで平塚らいてうゆかりの禅道場両忘協会に住まわれた。また曙町のお住まいはらいてうや寺田寅彦の隣近所で曙町についても教えていただけた。夜は坂本真典巨匠の手料理をいただきみんなでおしゃべり。なんという幸福な一日。昼間のおいしいステーキを緊張のあまり半分しか食べなかったのはもったいなかったけど。中秋の名月、秋の空。

9月18日

2013年9月24日 火曜日
朝の列車で東京へ。たまった仕事を片付け掃除と洗濯。台風一過の青空ひろがる。
夕方BPOの会議。肖像権と著作権、情報公開法と秘密保持法などについて放送関係の先生にいろいろ教わり、勉強になる。しかしこの忙しさはまさに心を滅ぼすほど。スケジュール闘争で、あしたのスピーチの用意。

朝の列車で東京へ。たまった仕事を片付け掃除と洗濯。台風一過の青空ひろがる。

夕方BPOの会議。肖像権と著作権、情報公開法と秘密保持法などについて放送関係の先生にいろいろ教わり、勉強になる。しかしこの忙しさはまさに心を滅ぼすほど。スケジュール闘争で、あしたのスピーチの用意。