午前中、一人で大好きな北大植物園に。ここでもバチラー邸があって知里幸恵の続き。幸恵のしたの弟は知里真志保といってアイヌで初めて一高から東京大学に入り、言語学者として北海道教授となった。これも金田一春彦の援助もあっての事だが、事はそう簡単ではない。一高の寮でも知里真志保にひどいことをいう学生がいて傷ついた。そのことは同級生の杉浦明平が書き残している。
ああ、杉浦さん、インタビューに知多半島のお家にうかがった。本郷での生活、立原道造との友情、いろんな話を聞いたテープは版元で消えた。活字になったのは本当に少し。残念だ。
知里真志保の事も聞けばよかった。遠いところをきてくれたからとメロンを二ついただいた。東大を出て故郷で農業をやり、地方で議員となってその地方政治の構造を批判した。読み直さなくてはならぬ。
知里真志保のことを狷介で複雑という人は多い。友人たちと衝突し、師である金田一京助をも遠慮なく切ってのけた。和人の女性三人と結婚。52歳で死去。幸恵と同じく心臓に弱みがあったという事だ。でも最後の妻でアイヌ文化研究家である萩中美枝さんの回想を読むと18年上の夫が可愛くてたまらなかったようである。
午後1時、札幌駅で待ち合わせ、堀川淳子さんと塚田先生と小樽を歩く。手宮車庫では義父がここで貨物係をしていた事を想像した。石川副館長は当館の目玉は保線の道具です。といった。特注の美しい道具たち。国鉄職員が誇りを持って保線をしていたころはいまのようなJRの不始末はなかったのではないか。夜、ナルトでお寿司と鶏の唐揚げというスバラシイ組み合わせでビール。駅前のドーミーイン・プレミアム・小樽、とってもいい宿。夜は夜鳴きそば付き、天然温泉付き。でも朝食に1500円はもったいないので、食べなかった。
午前中、一人で大好きな北大植物園に。ここでもバチラー邸があって知里幸恵の続き。幸恵のしたの弟は知里真志保といってアイヌで初めて一高から東京大学に入り、言語学者として北海道教授となった。これも金田一春彦の援助もあっての事だが、事はそう簡単ではない。一高の寮でも知里真志保にひどいことをいう学生がいて傷ついた。そのことは同級生の杉浦明平が書き残している。
ああ、杉浦さん、インタビューに知多半島のお家にうかがった。本郷での生活、立原道造との友情、いろんな話を聞いたテープは版元で消えた。活字になったのは本当に少し。残念だ。
知里真志保の事も聞けばよかった。遠いところをきてくれたからとメロンを二ついただいた。東大を出て故郷で農業をやり、地方で議員となってその地方政治の構造を批判した。読み直さなくてはならぬ。
知里真志保のことを狷介で複雑という人は多い。友人たちと衝突し、師である金田一京助をも遠慮なく切ってのけた。和人の女性三人と結婚。52歳で死去。幸恵と同じく心臓に弱みがあったという事だ。でも最後の妻でアイヌ文化研究家である萩中美枝さんの回想を読むと18年上の夫が可愛くてたまらなかったようである。
午後1時、札幌駅で待ち合わせ、堀川淳子さんと塚田先生と小樽を歩く。手宮車庫では義父がここで貨物係をしていた事を想像した。石川副館長は当館の目玉は保線の道具です。といった。特注の美しい道具たち。国鉄職員が誇りを持って保線をしていたころはいまのようなJRの不始末はなかったのではないか。夜、ナルトでお寿司と鶏の唐揚げというスバラシイ組み合わせでビール。駅前のドーミーイン・プレミアム・小樽、とってもいい宿。夜は夜鳴きそば付き、天然温泉付き。でも朝食に1500円はもったいないので、食べなかった。