9月27日

息子と小樽を歩き回る。朝ご飯は小樽ピロシキで小腹を満たし、のち鱗友市場で法華定食を食べた。「日帰りさんま」をすすめられた。刺身だが甘い。朝に釧路辺りで上がったさんまをもう持ってきてさばいている。それから小樽の海辺の作業所に住んでいるH先生を訪ねる。澄んだ海、ウェットスーツで今もはいれる。この前は大きなタコが捕れた、とか。札幌もいいが、小樽もいいなあ。息子は辰野金吾、曽弥達三、佐立七次郎の建物をみんな見ると張り切る。でも蟹工船の舞台、北海製罐の無骨な建物が一番気に入ったらしい。
小樽運河保存のマドンナ、今は亡き峰山富美さんにお寿司をご馳走になりながら「小林多喜二がそこの新聞社で働いていた時、私も目の前の銀行に勤めていました」と聞いた事が忘れられない。そして峰山さんの夫で考古学者、巌さんが彰義隊幹部小林覚五郎の孫だという話にのけぞった事も。
夜、前夫の恩師、原山勉先生に会う、とはわたしもずうずうしいな。これは原山学級一回生の札幌市長上田文雄さんのはからいである。原山先生が早稲田を出られて、帯広の中学で教育実習をしたときの生徒が上田さん、たった2週間しか教わらなかった原山先生を恩師として今も慕っておられる。上田さんは弁護士で市民運動から市長になったという変わり種。カンツオーネ歌手でもある。いいなあ、中学でこんな先生に出会えたら。夫が帰省すると私まで原山先生のうちで飲んでいた。30代と全くお変わりなくて、今なおかっこ良かった。先生は前向きで明るいのが最高だ。
息子と小樽を歩き回る。朝ご飯は小樽ピロシキで小腹を満たし、のち鱗友市場で法華定食を食べた。「日帰りさんま」をすすめられた。刺身だが甘い。朝に釧路辺りで上がったさんまをもう持ってきてさばいている。それから小樽の海辺の作業所に住んでいるH先生を訪ねる。澄んだ海、ウェットスーツで今もはいれる。この前は大きなタコが捕れた、とか。札幌もいいが、小樽もいいなあ。息子は辰野金吾、曽弥達三、佐立七次郎の建物をみんな見ると張り切る。でも蟹工船の舞台、北海製罐の無骨な建物が一番気に入ったらしい。
小樽運河保存のマドンナ、今は亡き峰山富美さんにお寿司をご馳走になりながら「小林多喜二がそこの新聞社で働いていた時、私も目の前の銀行に勤めていました」と聞いた事が忘れられない。そして峰山さんの夫で考古学者、巌さんが彰義隊幹部小林覚五郎の孫だという話にのけぞった事も。
夜、前夫の恩師、原山勉先生に会う、とはわたしもずうずうしいな。これは原山学級一回生の札幌市長上田文雄さんのはからいである。原山先生が早稲田を出られて、帯広の中学で教育実習をしたときの生徒が上田さん、たった2週間しか教わらなかった原山先生を恩師として今も慕っておられる。上田さんは弁護士で市民運動から市長になったという変わり種。カンツオーネ歌手でもある。いいなあ、中学でこんな先生に出会えたら。夫が帰省すると私まで原山先生のうちで飲んでいた。30代と全くお変わりなくて、今なおかっこ良かった。先生は前向きで明るいのが最高だ。