9月24日

旭川の気になっている知里幸恵の住んでいた場所、近文の北門中学校前庭には知里幸恵の碑があった。校舎内に記念室もあって校長先生が懇切に説明してくれた。
旭川に第七師団が出来るので、アイヌの集落が立ち退きにあい、このへんにまとめられたのだという。アイヌ、沖縄、在日、ハンセン氏病者に対する差別と迫害は日本人である以上、考えなければいけないアポリアである。
旧土人法がようやくアイヌ文化振興法になったため、政府は過剰に補助金をつけて、前にいった白老のアイヌ集落も再訪するととんでもなく立派な施設になっていた。そうなっても土建業者ばかりがもうけるのではないか、当の人々の暮らしはよくなるのだろうか? 被災地と同じく、補助金を悪用したり、当てにしたりする人も増えているようで、横山むつみ館長も絶対不正には使わない、という事を強調していらした。私が飛行機にのったときの席の半券をなくしてしまったので、とても困らせてしまった。荷物を預けたときの半券でどうにかなるかな。
というわけで今回、片道は知里幸恵記念館に、片道は28日にお話しする札幌のNPOに負担していただく。講演を複数やって双方から旅費をもらうような講演者に私はなったことがない。
旭川市の博物館にも充実した展示があるのに、観覧者は私達だけだった。川村カ子ト記念館も見応えがあった。ここの方も私達は補助金をもらわないで運営しています、というその言葉に誇りを感じた。その近くのスープカレー、おいしかった。
その足で岩見沢の義父母の家へ。90の父と85の母、離婚する時「まゆみさんもいったんはうちに縁があった人なんだから、いつでも遊びにきてくださいよ」といってもらい、いつも鮭やいくらやジャガイモやアスパラガスを送り続けてくれた両親だ。夫と別れても親である事には変わりがない。仕事のついでにしかよれないのが申し訳ないが。私が大尊敬の義父の半世紀をスマホで録音。早く父を亡くし、小樽の手宮の貨物係を皮切りに、木材会社を立ち上げた立志伝中の人物だ。
旭川の気になっている知里幸恵の住んでいた場所、近文の北門中学校前庭には知里幸恵の碑があった。校舎内に記念室もあって校長先生が懇切に説明してくれた。
旭川に第七師団が出来るので、アイヌの集落が立ち退きにあい、このへんにまとめられたのだという。アイヌ、沖縄、在日、ハンセン氏病者に対する差別と迫害は日本人である以上、考えなければいけないアポリアである。
旧土人法がようやくアイヌ文化振興法になったため、政府は過剰に補助金をつけて、前にいった白老のアイヌ集落も再訪するととんでもなく立派な施設になっていた。そうなっても土建業者ばかりがもうけるのではないか、当の人々の暮らしはよくなるのだろうか? 被災地と同じく、補助金を悪用したり、当てにしたりする人も増えているようで、横山むつみ館長も絶対不正には使わない、という事を強調していらした。私が飛行機にのったときの席の半券をなくしてしまったので、とても困らせてしまった。荷物を預けたときの半券でどうにかなるかな。
というわけで今回、片道は知里幸恵記念館に、片道は28日にお話しする札幌のNPOに負担していただく。講演を複数やって双方から旅費をもらうような講演者に私はなったことがない。
旭川市の博物館にも充実した展示があるのに、観覧者は私達だけだった。川村カ子ト記念館も見応えがあった。ここの方も私達は補助金をもらわないで運営しています、というその言葉に誇りを感じた。その近くのスープカレー、おいしかった。
その足で岩見沢の義父母の家へ。90の父と85の母、離婚する時「まゆみさんもいったんはうちに縁があった人なんだから、いつでも遊びにきてくださいよ」といってもらい、いつも鮭やいくらやジャガイモやアスパラガスを送り続けてくれた両親だ。夫と別れても親である事には変わりがない。仕事のついでにしかよれないのが申し訳ないが。私が大尊敬の義父の半世紀をスマホで録音。早く父を亡くし、小樽の手宮の貨物係を皮切りに、木材会社を立ち上げた立志伝中の人物だ。