‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

7月7日

2014年10月8日 水曜日

森喜朗氏が「異議を唱える専門家に説明せよ」といったからか、JSCは日本建築家協会に呼びかけ、安藤忠雄氏を呼んで新国立競技場計画の説明会を開いたが、市民、メディアに開かれていない密室での会合はおかしいとして、槇文彦さんや松隈洋さんは出席を要請されたが出なかった。出た人の話では、安藤さんが「何でもいってください、話を聞く」といってしゃべり続け、あとは「JSCに説明しなさい」と振って、JSCがだらだら説明して、あまり質問もできないうち時間切れになったとか。専門家とは建築家だけなのか? 私はそう思わない。

7月5日

2014年10月8日 水曜日

3時より、「国立さんを囲む会」。神宮外苑に数百人の人が集まり、新国立が建つとどこまで来るか、風船を上げて示した。自然集合自然解散、シュプレヒコールなしという穏やかな意思表示。この日、友人の寄田さんが国立競技場周辺を馬車でまわってくれた。親子連れや私たちの仲間が乗り、カンパも13000円集まった。由布院からも佐藤宏信さんが手伝いにきてくれた。しかし馬車を走らすのに、「山田風太郎さんと明治天皇が相談して雲の上から幻灯辻馬車を使わした…」と冗談をツイッターしたら、お前は天皇を礼賛するのかときた。「神宮外苑は東京の聖地」と横断幕にかいたら「国立競技場は権威の象徴、解体して集合住宅を作り、直ちにオリンピックを返上せよ」と反論がくるし。

ところで、神宮の森は林学者本多静六の構想したもの。由布院を保養温泉にしたらいいと提言したのも本多。日比谷公園計画にも関わっている。由布院の小林華弥子さんにメール。

「本多静六の養父は本多晋(すすむ)といって埼玉の宿場の名主かなんかで、彰義隊の副隊長になるのですが、足をけがして外出中、上野の山に入れなくなって、上野戦争に参加できなかった。それで維新後は上野の東照宮の宮司になって、戦死した仲間を弔う一生を送ります。その人が見込んだのが本多静六で娘の婿に迎えるのです。私は本多静六についても調べて書いたことがあり、そのとき息子さんにお会いしました。その方も立派な人でした」

7月3日

2014年10月8日 水曜日

いつもの編集者の仲間と中華料理。おわりにサプライズで、私の還暦を祝って、花束と赤いザクロのような石のネックレスをいただく。いつも地味な色の服を来ているからか、赤いアクセサリーは元気が出る。ザハ・ハディッドのインタビュー本が筑摩書房から届く。

7月2日

2014年10月8日 水曜日

松山に移動。子規博物館の学芸員の上田さんたちに市の中心部の子規の生家や河東静渓の家、夏目漱石の愚陀仏庵などを案内してもらう。位置関係を知ることは大事なのだ。その後、新潮社の木村さんと秋山好古・実之の生家を訪ねたり、ターナー島のある三津浜周辺を車で見て歩く。空港でじゃこ天でビール。帰京。

7月1日

2014年10月8日 水曜日

内子で岡田文淑さんの『反骨の公務員、町をみがく』(亜紀書房)の出版記念会。たくさんの方が見える。岡田さんはとても元気そうで、奥様も喜んでくださった。泊まった宿で版元の足立恵美さん、新潮社の木村由花さんもまじえ、二次会。

会には由布院の中谷健太郎さんや、石見銀山の松場登美さん、五十崎の亀岡徹さんなど、まちづくりのスーパースターも参加され、なかなかにぎやか。

今回の本、自分で書くより手間がかかったが、ようやく岡田さんの仕事をまとめることができよかったと思う。

6月30日

2014年9月10日 水曜日

一日休む。美由紀さんの畑と新しい家を見せてもらう。夕方は山椒郎という新江さんの新しいお店に。中谷さんご夫妻、梅田さんご夫妻と一緒で、窓からの由布岳を眺めながら、おいしいお料理とお酒をいただいた。

6月28日-29日

2014年9月10日 水曜日

由布院でいつも至福の文化記録映画祭。田名加旅館も居心地抜群である。朝ご飯もおいしいし。一緒に泊まった中公の安倍七重さんを外からの鍵で露天風呂に閉じ込めてしまった。

もうしわけなし。ことしの映画ではなんといっても「ある精肉店のはなし」であろう。町の中の生業、屠畜という仕事、差別、祭り、家族いろんなテーマが重層的に説得的に描かれる。

兄弟もだが、おばあちゃん、むすめさん、およめさんのなんと魅力的なこと。そして監督の最初はおずおずしたカメラワークが最後はぐっとよっていく。対象との距離と理解の関係。そしてトークの纐纈監督の人柄に会場は魅了されたと思う。「祭りの馬」「オオカミの護符」も十分力作なのだけど、これだけ文化人類学的傑作がならぶと重すぎて、最後の映画ではみんなぐったりしていた。松川賞は二作とも疑問。「オイシサをつくる」、さすが松川八洲雄、まるでナレーションの緊張度と美しさが違う。脱帽。

6月27日

2014年9月10日 水曜日

小諸より上野に帰り、羽田から由布院へ。夕方までに到着して記録文化映画祭。旅先でも国立問題でメール。原科先生へ。

「国立競技場計画の事業評価」というタイトルは魅力的ですね。

JSCの人はいつも「国権の最高機関である国会が決議して決めたことですから」というのを金科玉条にしています。鈴木知幸さんに言わせるとラグビー議連決議などはなんの拘束力もないといいますが、これをきっかけとしたそのあとの衆参の国会決議がすべての元となっているのです。森喜朗にまんまと載せられた。安藤忠雄やJSCを責めるより、国会決議と議員たちを問題にしなければなりません」

旧知の寄田君たちとあい、初日夜からステアに。このバー、帝国ホテルだか横浜のニューグランドだかにいたお二人がすごい渋いいい雰囲気。香草がたくさんはいったモヒカント?だかのしゃっきりするカクテルをいただく。

6月26日

2014年9月10日 水曜日

朝、福岡のもと谷根千のスタッフだった藤原馨さんが還暦のお祝いにメリルのとてもきれいな色の靴を贈ってくれる。うれしい。

IOCアダムスさんと話した清水伸子さんの感想。

「都市にオリンピックにあわせるのか、オリンピックに都市をあわせていくのか、またオリンピックをどのように運営していくのかが課題といったお話が記憶に残りましたが、でも、全体のトーンとしてはゲームはIOC、施設は開催国との切り分けでという逃げを感じました」

小諸の藤村文学賞の選考、例年のように中棚鉱泉旅館にて。

もと建築家協会会長の藤本昌也さんより、朝日のコラムを「よく整理されて主張もストレートでよかった。新しい視点ですね」と携帯電話をいただく。仲間たちからは「あの比率ではザハの競技場の大きさが出ていない。いまの競技場の方が大きく見える」と行った意見が出た。

藤村文学賞、ことしは高田宏先生がお見えにならず、私が座長に。しかしとてもいい結果になったと思う。ほっとして湯につかる。この中棚荘は20年以上前、小諸義塾と藤村のことを調べに3人の子を連れて自費で取材に来たことがあった。それからずいぶんきれいに改築してしまったが昔の風情も玄関の当たりに残っている。木村熊二が過ごした家の岡の上にある。

ここもサービスといい、料理といい、値段のリーズナブルさといい、私の全国温泉ベストテンに入るのだ。たまに思い出しておこうかな。

6月25日

2014年9月10日 水曜日

朝日新聞に私の書いた「引き返す勇気をもとう」のコラムと再考を求める社説が載る。

日経新聞の井上記者から1964年東京オリンピックの検証記事を送ってもらう。お礼メール。

「記事、興味深く拝見しました。『ハエ取りデー』すごいですね。私も十歳だったので、家の表にあったゴミ箱が廃止され、裏に隠す青いポリ容器に変ったこと、後楽園の戦争罹災者バラックが排除されたこと、寺の前にいた傷痍軍人がいなくなったこと(最近、大島渚の「忘れられた皇軍」でなぜかわかりました)、みんなオリンピックだったのですね。国威発揚だけでなく、国内をファッショ的にまとめあげるのにもスポーツが使われました」

IOC委員が日本に来ている筈。帝国ホテルかな。今日の19時、突然新日本スポーツ連盟より、IOCと懇談するが行くか、との打診ある。英語の堪能な清水伸子さんにどうにか連絡をつけ、行っていただくことに。