‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

6月3日

2009年6月3日 水曜日

長湯温泉、朝,6時から御前湯が空いているのででかける。前にはいった広い湯より,一階の狭い湯の方がすき。こちらは富田玲子さんの温かい建築。竹田の老舗のお菓子屋さん板井さんの車で、あいにく雨ながら朝路町の朝倉文夫記念館、滝廉太郎記念館、田能村竹田の作品のある郷土資料館などを駆け足で見る。郷土の異人を語るのに「こよなく郷土を愛し」「ならぶもののない」「きわめて独創的な」などほめあげるのはは全国どこででも聞くフレーズだ。もう少し何とかならないか。

6月2日

2009年6月2日 火曜日

朝4時に起きてお父さんに漁に連れて行ってもらう。宮城の塩竈で練習したので,去年より少し、さそう、引き,てごたえ、返しなどのこつがわかる。それでもキスに餌ばかりとられ,お父さん「私だったら一時間で30ピキは釣るよ」という。一ダース釣ったら帰りましょう,というのに,10尾であきらめることにした。根がかりといって針が岩にかかること数回、お父さん「地球を釣ったね。針は消耗品だからいいんだ」と面倒くさがらずにまた付け替えてくれる。こういうのを大名釣りというのだそうだ。あさはリュウキュウといって昨日のイサキの刺身を醤油とみりんに付けたのを食べる。おいしい。みそしるもおいしい。「疲れたら一週間くらい居っていいよ」。いろいろあって長湯に行くことにし、犬養という駅で落としてもらう。そこで一時間待って竹田ゆきの電車に乗った。旧知の但馬や菓子店の夫人が長湯まで送ってくださった。長湯丸長旅館、こじんまりしていい宿。窓の向こうの景色が何となく懐かしい。藤森照信さんがつくったラムネ湯に行く。お茶目な建築。

6月1日

2009年6月1日 月曜日

「南の風」で寄田君たちとランチ。ここは由布院の時代を背負う若手のたまり場。田井さんの息子若きシェフ、旅館わらび野の若主人、馬車を動かす佐藤君、みんなしっかりしてイケメン。この言葉嫌いなのだけど,彼らはハンサム、美男子、ッて言葉はにあわずじつにカジュアルでさわやかなのだ。午後。佐伯にむけて出発。蒲江の後藤千香子さんのお父さんの海辺の小屋へ向かう。ついたら今日は漁はもうすんだとのこと。「朝グループできた連中にもたっぷり釣らせてあげた」。かっこいいお父さん、大きなイサキをさばいているところだった。これは刺身。側も鱗をこそげてかぼすとマヨネーズでしゃれた一品。お母さんはもう、はいはいとお父さんに合わせて動き、キュウリもみに鯵の細切りを入れていい味がついたのをだしてくださる。金婚式を迎えたご夫婦もいい味。メインはもちろんキスの天ぷら。これ,天ぷら粉と卵を酒で練る。「わたしがやるとほかのは食べられんよ」とお父さんご自慢。ご近所の漁師さんの夫婦も二組見えて、持ち寄りの小味の南蛮がまたおいしいのだ。プルーンを入れて甘くしたのもあった。よその料理をいただくと勉強になる。

5月31日

2009年5月31日 日曜日

今日のしごとは午後の松川賞シンポジウム。ことし大賞はなく,明治大学付属の応援団を描いた「団旗のもとに」が準大賞。慶應FSCの学生がとったユーモアもありのびやかな作品だったが、しかしシンポに出た面々はほとんど三宅流「面打ち」の支持者だったので会場にはわかりにくかったのかも。と、その場にいたヤマサキにもいわれた。全作品を見た審査員も、5本しか見なかったわれら大賞審査員にも同等の表決権があるのでこういうことになったという説明をしなければいけない。ラストは羽田澄子監督「嗚呼、満蒙開拓団」。慰霊団の度に同行して撮影という安上がりな方法だが、やはりうまい。ナレーションもよく練られている。シンポに羽田さんがこられず、由布院周辺の満蒙引き上げの方が来てお話しされた。それがよかった。しかし映画祭に参加してうんちくを傾ける映画好きの方々が、近くにこうした記録すべきことがあるのに映画を撮らないで、イベントだけやっているのはどうももったいないと思う。由布院で会う人はみんな忙しそうで、モリさん、そのうち東京でゆっくり、というけど、なら私は由布院に来る必要はないではないか。どこに行ってもイベントが多すぎる。そして記録はない。

5月30日

2009年5月30日 土曜日

朝、寄田君の牧場を見に行き、ついでに『南の風』の田井さんの奥さんに朝ご飯をご馳走になる。手早くてすごくおいしい。朝、松川八洲雄監督の「飛鳥をつくる」を見る。法輪寺三重塔再建の記録だ。幸田文さんが首を傾げて見守る姿、住職自らやりがんなを使う姿、西岡棟梁の表情、よく撮れている。やっぱりすごい。今日のしごとは松川賞の審査会。もちろん事前に見ているのだけど紛糾の気配あり。思った通り長かった。ゲストで招いてくださるのはありがたいが、やはり自費で来て気楽に映画を見たい。今日は坂田雅子監督「花はどこに行った」を見る。ベトナム戦争に従軍したアメリカ人ジャーナリストの夫の死は枯れ葉剤のせいではなかったか。妻はひとり、ベトナムを訪ね、まだまだ多くの奇形や障害を持つ子供たちに出会う。ベトちゃんドクちゃんばかりが象徴的に語られるがこんなにひどいとは。

5月29日

2009年5月29日 金曜日

遅い時間にして良かった。午前中目一杯原稿書き。一時20分の飛行機で大分へ。森達也さんほかと会ってみんなでバスで由布院へ。今年私一人,広々としたゲストハウスへ泊めてもらうことに。去年までコーディネーターだった清水さんが女性ディレクターと結婚して新婚旅行代わりに新妻を伴っていた。といっても清水さんより強そうな人。今日から映画漬けの3日間始まる。のっけに土本典昭監督の「熱唱,石川さゆりin 水俣」をみて感動。熊本出身の石川のファンの若い患者さんたちが一生懸命、準備をする姿。石川を出演させることを決め、しかし興行はそんな甘いものじゃない、と若者たちに本気で教えるホリプロの社長もただ者ではない。20歳の石川の大人ぶりと色気、情念が美しく昇華して行く感じ。コンサートを最後まで患者の若者たちがやりきり泣けた。土本さんの作品の中でもしかして一番好きかも。

5月27日

2009年5月27日 水曜日

今日は谷根千で一日取材日。テレビ取材のクルー。月刊市川の吉清さん、切り絵の成田一徹さんなど見える。アソカ病院の方々,理事長の近衛正子さんをインタビューした記事を病院の機関紙に転載したとのことでお土産にパンを一杯持って見える。パンも作っているのだそうだ。近衛正子さんは近衛文隆氏の妻で,近衛文麿公のお嫁さん、夫がシベリア抑留の後,ついに帰れず、しかし抑留者家族の会をつくって励まし合い、わが夫は靖国ではなくてみ仏として私のそばにいる、といいきっていらっしゃる。九条武子にもみられる真宗大谷派の奉仕の精神で戦後をつよく生きてこられた方。一時,千駄木にお住まいで、隣家が友だちだったので、私はボールをとりにお屋敷の中にはいったことがある。

5月18から26日

2009年5月26日 火曜日

丸森。真理ちゃんのお父さん,本当に立派な方。清廉という言葉そのもので、この父にして真理ちゃんありか。釣りに行ったり,ブナの林を歩いたり、本を読んだり楽しい8日間。アイナメを釣ってアクアパッツアをつくった。

5月17日

2009年5月17日 日曜日

谷根千を映像で記録する会、今日から始まる。こんな力のある方達がそばにいたのなら、もっと早く来てほしかった。いままでは加藤周一,小田実さんなどの講演を記録していたという。

午後一時から日暮里辺りを丁寧に歩いていたら谷中銀座辺りで日が暮れる。安くビール一杯飲めるとこ、で一寸亭で打ち上げ。みな宇井純さんの公害原論などに学生時代かかわったという。そういうネットワークがいまだに生きている。いったん帰ってユタカと飲みに行く。滋賀での宮大工修業一年のあいだに随分酒を覚えたらしく、焼酎や洋酒の銘柄にくわしい。「おやじがさ、仰木さんの三回忌に突然現れて、ひこべえに相談にこいよなんていってさ。あれはずかしかった。ずっと来なかったくせに、あれはないだろう」息子は父に厳しく、娘は母に厳しい。「映画館」へ流れて、ユタカと職人気質の店主の話が弾んでいた。

5月10日から14日

2009年5月14日 木曜日

一年中で一番いい気候。輝く森の中にいない手はない。丸森で苗の植え付け。小屋で読んだ本、「ヘンリーソローの暮らし」「ガヴァネス」「星新一」「おそめ」「ひたくれないの人生」「海軍主計中尉小泉信吉」「女流」「明治料理起源」など。