‘くまのかたこと’ カテゴリーのアーカイブ

11月15日

2010年12月30日 木曜日

武蔵野大学で教える従姉の恵子ちゃんから頼まれ、『女三人のシベリア鉄道』について話をしにいく。この人は夫についてアラブのバスラというところに駐在していた。その間も通訳をしたりして、帰国後、日本語教育の専門家になったがんばりやさんだ。
中国や韓国の留学生にも慕われているらしい。かえりに朝鮮人参のお土産をくれた。

彼女の娘は我が母方の一族では一番優秀でハーバード大学を出てマッキンゼーにつとめていた。大きくなってから一回だけ会ったがその成熟ぶりはとうてい日本の25歳の女性とは思えなかった。いまはまたハーバードのケネディスクールとかいう大学院にいるらしい。伯母の近藤富枝は「まゆちゃんも時代がよかったらハーバードくらい行ってたかもね」というのであるが、たしかに父親がAFSの高校留学に反対しなかったら、そういう国際的な人生を選んでいたかも知れない、とは思うのだ。でも今ごろきっとバングラディシュあたりにいるだろうな。とにかく従姉の娘には雅子妃みたいにはならないで、せっかくの頭脳を苦しんでいる世界の人々のために使ってほしい。

白鵬、九州場所で敗れる。あれだけ万全だったのに。でも負けた時の顔が幼稚園児みたいでかわいかった。

11月14日

2010年12月30日 木曜日

千葉の大原の海の見える家を見学に行く。いいなあ。

11月13日

2010年12月30日 木曜日

横浜のフェリス女子大学の150年記念講座で、相馬黒光や明治に新しい生き方をした平塚らいてうや伊藤野枝のことを話す。その足で鎌倉の友人梅田夫妻の家に行き、海ほたるを通って千葉は岩井の入澤さんの家に泊めてもらう。エイペックで警戒厳しく時間かかるかと思われたが意外にもすいすい。

入澤さんは何でも手早く作ってくれ、ワインを3本空けて本当に楽しい話しだった。ながらくINAXギャラリーで展示や出版の企画にたずさわった方である。そういえば昨日、エイペックにきているオバマ大統領が鎌倉の長谷の大仏を観に行ったそうな。

かまくらや みほとけなれ 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな

与謝野晶子って本当に大胆な歌を詠むなあ。

11月12日

2010年12月30日 木曜日

渋谷に用があっていくと、警官がどっさりいて、なんてことないピアスの男を呼び止めて荷物の検査までしていた。人権侵害としか思えない。

2時に八女市黒木の大島さんや嬉野の小野さんら町並み保存の担当者が、話にきたので、国登録文化財、根津のはん亭でお昼にする。この間、店主高須治雄さんにはお世話になったので前日、本とケーキをお届けしたとき思いついた。

夜は築地で朝日の吉村さん、阪大の武田さん、ノンフィクション作家の与那原恵さんと女子会。よく飲む人たちで楽しかった。佐野洋子さんといい、須賀敦子さんといい、米原万理さんといい、才能のある順番に天に召されていくのかなあ、と前にも与那原さんと嘆いたことだ。

11月11日

2010年12月30日 木曜日

 昼は上広財団の丸山さんを町にご案内したあと古川庵へ。丸山さんはハーバードやエールに谷根千が入っているのならオクスフォードにもあったほうがいい、と12月にイギリスに行くので一セットプレゼントに持っていくと仰って買い上げていただいた(どうしてもそろわなかった号も見つけてくださった)。

夕方、仲のよい写真家の大西暢夫さんが小学館の児童文化賞をとったのでお祝いに行く。佐野洋子さんが亡くなられて淋しい。一回、ギャラリーでお見かけしたくらいだが、エッセイなどは歯に絹着せず気持ちよかった。谷中の岸田衿子さんから佐野さんのことを聞いていたので知らないひとのような気がしない。

11月10日

2010年12月30日 木曜日

岩波のブックレットに私は執筆せずシンポジウム部分だけに参加した。だから表紙の著者の所に名前がないのはいいとして、まったく肩書きもプロフィールも載せていないのである。これでは誰だかわからないではないか、といったら編集者は「校正段階でかなりあふれていたので載せられなかった、再版から載せます」と言ってきたがどうも気分が良くない。また別のひとから木内昇『漂砂をうたう』には森さんの調べたこと、根津の遊郭や金魚屋の話とかずいぶん使ってあるようだけど参考文献に『不思議の町根津』も谷根千もあがっていないのはおかしいのでは、と聞いた。そういえば連載中編集者が資料を買いにきたっけ。たしかに事実には違いないけれど、長年忘れられていた地域史を掘り起こして日の目を見せたのは私たちだ。司馬遼太郎さんや吉村昭さんは郷土史家を大事に遇し、小説やエッセイの中でも礼を尽くしておられる。最近の作家はこんなものか。まだ本も送ってこないし、気分が悪いから買ってまで読む気はしない。この作家、『茗荷谷の猫』でかなり好感を持っていたのになあ。

11月8日

2010年12月30日 木曜日

神戸で待ち合わせ、菊正宗の資料館から有馬の花子宿に泊まる。料理よし、温泉よし、値段納得のよい宿である。老舗御所坊が廃業した宿屋を買って建て直した。ただ木造のせいかかなり冷える。「そうなんですよ。だから冬はすいています」と宿のひとは正直だった。翌日、播州平野で酒米山田錦の農家など取材。夕方、神戸の播州おでんの店で打ち上げ、中国船の衝突事故の映像を流出させたのがこの近くのネットカフェだったと、あとからカメラマンの中川さんからメールがきて驚いた。

11月6日

2010年12月30日 木曜日

今月は「住まいと町並みコンクール」の調査のためいそがしい。関西方面に出張、まずは奈良の大和三山に囲まれたニュータウンの管理を見学、京都泊まり。翌日は京都の御所近くの路地の住み継ぎ方を見た。そこから2時間半かけて和歌山県の九度山の多宝塔を解体修理している息子のところへ様子を観に行った。月曜に休みをとって半日くらい案内してよ、と息子にいうと、「ヤだよ。お母さん案内するより仕事の方が面白い。休みたくない」というので日曜日に30分だけ、現場と飯場を見せてもらった。古い民家にベニヤ板を敷いて寝ているようである。とはいっても難波の駅まで迎えにきてくれたので2時間ほど鈍行で話しながら行った。高野山三宝院に宿泊。旧知の元高野山副町長高橋寛治さんと話す。息子も最終の山から下りるケーブルカーの8時までは高橋さんたちの話を聞けて勉強になったろう。

11月5日

2010年12月30日 木曜日

盛岡。午前中、観光協会の高橋明日美さんに町を案内してもらう。盛岡というと啄木の新婚の家や賢治の本を出した光原社など行ったことがあったが、鉈屋町は知らなかった。生活の見える、観光化する前の気持ちよい町並みである。このくらいでとどまってほしいところである。午後、由緒ある公会堂で基調講演。ずっと客席側で聞いていたものにとっては恥ずかしい。指定されていなくてもされていても住民にとって身近な大事なものはみんな文化財。建築の調査だけでなく、原型復元や整備だけでなく生活の痕跡を大事にして、そこにまつわる物語を引っ張りだして大切にしようと訴えた。夕方の新幹線で帰る。

11月4日

2010年12月30日 木曜日

残念だが丸森を切り上げて盛岡へ向う。町並み保存ゼミ盛岡大会の前日に、つなぎ温泉で理事会が開かれる。そこに混ぜてもらった。大きな旅館だったが宴会料理はなかなか内容が充実していて、おいしかった。それに盛岡のお酒「あさ開」が最高。今回のゼミは行政も力を入れ、産婦人科の先生が実行委員長、この日も御産が終わってから駆けつけていらした。事務局長は鉈屋町で修復、活用の中心となっておられる建築家だ。懐かしいお顔にたくさん会ったが、電池切れで早めに部屋に引き揚げた。