1月3日

読みのこした去年の週刊「金曜日」を読む。昼すぎ、上野の噴水前での炊き出し
に行く。見物でもないし、支援でもない。人手は足りていてお手伝いにすらな
らない。
長年関わっている方達も、山谷争議団の当事者もいる。仲間たち、と呼びかける。
それを取り巻く人びと。私ももちを搗かせてもらった。それを丸め、上にもつ煮込みを
かける。
準備が終わったらどっと人がテーブルに寄った。おいしそうに食べ出した。
「あなたもどうぞ」と一杯もらったが、昼前に食べたばかりだし、近頃、菜食に
近くなっているのでせっかくだがテーブルにそっと載せた。
すぐ誰かが平らげてしまったようであった。
寒空で水族館劇場の「放浪記」があった。薄着で裸足で、ほんと役者魂である。
「放浪記」は都市の底辺で生きていた林芙美子が「私はふるさとを持たない」と
叫ぶ。集まった人びとはどのようにこのセリフを聞くのだろうか。何人かの人と
たわいない言葉を交わした。
夜遅く、サトコが帰って来た。「お餅にもつをかけるのはちょっと」というと、
「そう、なれればおいしいよ。毎年そうだし。今年のはとくにおいしかった」という。
下町の労働者の中で暮らそうとして暮らせなかった伊藤野枝にちかい敗北感を感じた。