〇伯母、近藤富枝死去

伯母が亡くなりました。94歳になる手前でした。
母方の生まれた家は錦物問屋、日銀のあたりで商売していたとか。本家の長男水島三一郎は学者になって家を継がず、分家の当主水島亀之助は昭和恐慌で没落しました。そのため一家離散、母と伯母は一緒に育っていません。伯母は祖父母に育てられ、東京女子大を卒業後、文部省で教科書を編纂していました。伯母がのちに「王朝継ぎ紙」を復活させようと展覧会を開いた時、同級生が激励に来ました。中央公論の島中夫人、岩波書店の岩波夫人、城塚登夫人、福田恒存夫人などが同級生でした。そして瀬戸内寂聴さん。
伯母に連れられ、「青鞜」をテーマにした舞台を見に行き、出家なさる前の瀬戸内晴美さんに紹介されたことがあります。
伯母は戦時中、男のアナウンサーが払底したので、NHKに移って、天皇の玉音放送の時は、その場にいたと言います。空襲の中を通い、陸士の軍人だった伯父と結婚しましたが、戦後は軍人に仕事がなく、千葉で農業をしたり、田端で毛糸屋をしたり大変でした。家庭を捨てて作家になった瀬戸内さんを羨ましく思いながら、伯母は防衛庁戦史室に務めた伯父について転勤をし、子供二人を育てました。「私の8月15日」という朝日新聞の随筆募集で一等となり、昭和40年代は婦人雑誌のリポーターとなって活躍。着物を着て炭鉱事故や飛行機事故の取材に行きます。「飛行機乗るのが怖くて、どうしよう」という電話がかかっていたのを思いだします。
伯母の大学時代のノートを見たことがありますが、十二単を自分で描いて彩色したり、ものすごい勉強ぶりでした。一家離散した姉妹は長じて出会い、親戚づきあいも濃くなり、伯母は自分に似ている姪として可愛がってくれました。鎌倉の谷戸にある不思議な家を見て、私が「かくてもあられけるよ」と言うと「徒然草だね」と手を打って喜びました。万葉や源氏や文学は伯母に教わりました。母は歯医者でもっと合理的な考えをする人でした。
私は政治学に進み、伯母は生涯文学にどっぷり浸かって、耽美派でした。最初に書いた本が「永井荷風文がたみ」というので、荷風命でした。それから水島家と親戚にあたる「本郷菊富士ホテル」を書き、それが評判を呼んで「田端文士村」「馬籠文学地図」を書き、文壇資料三部作として今も中公文庫で生きています。他にも地味ながらいい本をたくさん書いたのですが、文壇に属さず、本人も「偉い人のお髭の塵を払うのはやなこった」という江戸っ子気質のため、エラくはなりませんでした。でも好きな着物について書き、東本願寺三十六人集に感動したことから王朝継ぎ紙を復興させ、自宅で源氏物語を講義し、武蔵野女子大の教授を務め、弟子たちに囲まれ、幸せな人でした。昨年、昭和の生き証人として13回もテレビで戦争の悲惨を語ったのが、晩年の花でした。
今年の2月に私が伯母の話も聞いておこうと、ビデオを回した時はまだ元気でしたし、長患いもせず、苦痛なく旅立ったのは羨ましい限りです。「一葉のきもの」という本を共著で出せたのも嬉しかったですが、その時も着物や髪型、装飾品、下駄に至るまで、伯母の知識に太刀打ちできませんでした。その知識の受け売りで、私はBritish Columbia、ミシガン、オーバリン、南カリフォルニア大学で講演して回ったのですからいい気なものでした。その時の編集者、渡辺史絵さんがその後も、伯母と付き合って10冊近い本を河出書房新社から出してくださいました。「着物で読む源氏物語」はじめ、名著だと思います。皆様のご厚情に感謝します。
王朝継ぎ紙は娘陽子、武蔵野大学での仕事は姪の堀井恵子、文筆業はまゆちゃんが次いでくれるのよね、と伯母は言いましたが、資料の集め方、文章の書き方を教えてくれたのは伯母でした。極貧の中で子供を産もうか生むまいか迷った時「産まないで女性史なんかできない。子供は小指1本で育てなさい。そして後の9本で仕事をするのよ」と励ましてくれた伯母を忘れません。
追記 1、NHKには男たちが戦地から帰ってきたら女はいられる雰囲気でなかったそうです。守らされるのは銃後だけ。
2、おじ近藤新治は「うちの夫はどこで亡くなりましたか」という問い合わせに防衛庁戦史室で答え続けた人です。のちに土門周平の名で文章も書いたリベラリストです。「朝まで生テレビ」で政治家たちの甘い主張を軍史家として反論しました。
3、伯母は私などよりはるかに文学、美術、建築を愛していた文学者です。朝の「連ドラの主人公」という訃報には憤りを覚えます。
文壇三部作、「花陰の人」で矢田津世子を見出し、「鹿鳴館貴婦人考」は維新の顕官の妻は旧幕臣の娘という仮説を立てました。これは山田風太郎さんより先です。縁あって母校東京女子大の土地を譲られ、信濃追分に家を持ってからは立原道造に入れ込んで「信濃追分文学譜」を書きました。晩年では「きもので読む源氏物語」「荷風と左団次」は大変良い本です。

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