3月2日

西川さんの「谷中の家」でこのところ月一原発映画祭をやっている。地域から地道に原発問題を考えていく試み、映画を見て、関係者の話も聞いて、カフェタイムに質疑応答をする。きょうはもと福島民友記者だった医療ジャーナリストの藍原寛子さんが福島の子どもたちのいま、を写真や動画を交えて語ってくれた。2012年5月くらいから。「校庭で表土を削るそばでマスクの子どもたち」「削った土はフレコンバッグに入れて地下にあるいはシートをかぶせてそのまま」「福島大付属幼稚園は園児が急減」「朝鮮初中学校の児童・生徒は新潟にそっくり避難」「保養は障害児の受入れほとんどなし」「地元スーパーの放射線測定も地元メディア取りあげず」「毛髪や乳歯の保存運動はじまる」「原発賠償で古民家はほとんど価値ゼロの評価」といった知らない事実、視点をずいぶん得ることができた。
会場からは「なぜ福島の人はおとなしいのか」「あんな目にあったのに福島で自民党がなぜ勝つのか」という声も。これに対し福島出身者から「戊辰でやられ、自由民権で弾圧され、抵抗すると偉い目に会うということが染み付いている土地柄。長いものにはまかれろ、太いものにはからまってろ、ということで今まで来た。贈収賄事件も多い」という意見も。
私も「子どもたちは避難させるべきだと最初思ったが、そういうと反発される。保養と言い替えても親の理解や余裕で保養に行ける子と行けない子がいる状況はどうしたらいいのか」と聞いてみた。藍原さんの答え。「福島の人々はものすごく傷ついているので、ちょっとしたことに人生全部を否定されたように感じて反発する。まずこの土地はいいところだったんだよ、ということを認め、そこから話を始めないと」。司会の植松明子さんより「伊達市は学校全体で新潟へ移動教室を広め、これなら親が避難するかしないか、という苦しい判断をしなくてすむ。こういう取り組みが広がっていけば」。私の行く石巻でもみな「ここはとてもいいところだったんだよ」という。それを聞くことから話が始まるのに、原発については「早く避難してほしい」という気持ちが先に立つ。「そこにいるあなた、ここにいるわたしを承認する」「分断の世界から立ち去る」というのが藍原さんの提案。わたしは苦しいけど差別や分断があることを認めてそれと向き合うことが大事だと考えるが。
劇団銅鑼の40周年『からまる法則』を見に行く。六本木俳優座劇場で満員。
うーむ、一言で感想を云えないような。