3月1日

谷根千郷土史!『青鞜』創刊号に広告を出している東盛銀行の社長、牧田義雄は明治44年ころ、千駄木林町で楽牛園なる牛乳製造業を営んでいた。広告も地縁に寄るものか、と思ったが、インターネットで見ると、『慶応義塾者出身名流列伝』のPDFにぶつかった。
それによると、牧田義雄は嘉永2年生まれ、掛川藩士石高13石、太田氏の近侍をつとめ、15歳で安井息件の塾に入り、廃藩置県後、洋学の必要を感じて慶応義塾に学び、横浜で英語を学んだ。仕官をすすめられても独立自尊の精神が強く、一頭の牛を飼うことから牧牛業を始め、「三千の乳牛を有して我が国生乳界に重きを為すに至り」とある。それも母牛が病気で死んだり、その頃は牛乳を飲む人も少なく、大変な苦労をしたが、明治18年に帝国大学病院や巣鴨脳病院などで患者の飲用に採用されて広まった。しかし本土で餌の草が取れないので伊豆大島に一大牧場を作る。また本郷区議会、東京府議会の議員を勤め、その硬骨漢ぶりと情誼に厚いことで知られる。
ざっとこういう伝。
興味深いのは千駄木町に掛川藩主・太田氏の館があったことと牧田牧場がその隣接する林町にあることが関係あるのか? 千駄木御林といわれる雑木林を切り開いて牧田牧場ができたのか? 安井息件の墓も近くの養源寺にあるが、それと塾との関係は。牛乳奨励をリードしたのは福沢諭吉だがそれとの関係は、など興味はつきない。