八ッ場ダムの遺跡を守るアピールを国交省と文化庁に出しにいく。国交省は手渡しだけ、科学者の会の要望に文書で答えるかどうかもこれから検討する、とのこと。文化庁は一室を取って説明してくれたが、「すべての遺跡をまるごと保存はむずかしい。記録保存も立派な保存。地元がやる気があって、保存の態勢もとれるようなら文化庁としても応援していきたい」とのこと。つまりダム推進の長野原町、群馬県にやる気がないなら無理だ、ということか。
思い出す。東京駅もいまでこそJR東日本ははじめから保存復元の予定だったみたいな顔をしているが、文化庁に保存の相談にいったとき、「いかんともしがたい。市民運動など広範な国民が動かないと文化庁としては残せともなんとも言えない」と言われた。「うちの予算で東京駅前の土地がいく坪買えると思っているの」とも。それで必死になって署名を集めた。
ここからは余談。東京駅の保存が決まったとき、当時の松田会長は「復元なったあかつきには市民運動があって残ったことをプレートに刻まなくては」といってくださったと記憶しているが、それは反古にされて、赤レンガの東京駅を愛する市民の会の事務局を長らく守って来た前野先生や多児貞子さんさえグランドオープンに招かれなかった。これは歴史上ホントウのことだから、JRにいくら嫌われようと書いておかなければ。
公共工事が時代に合わなくなったときはやめる、という『時のアセスメント』を建設省は1999年に言い出した。だけどそれからそれでやめた例はあるのか。アメリカにはサンセット法がある。いったん行政が決めた公共工事を見直す法律はぜひ必要だ。