2月26日

私が信頼しているコンサルタントの賛同者より。
「思えば、今から40年近く前に、川原湯温泉湯元旅館主が町長となって、八ッ場ダムの調査の依頼を受けた経験があります。当時、福田派と中曽根派がそれぞれの立場から沼田ダム推進と八ッ場ダム推進の立場になり、川原湯温泉地域は、福田派に付くという政治的な環境もありました。
東京都は利根川フルプラン(水供給計画)にもとづいて、八ッ場ダムを整備しないと、水飢饉が予想され、早期実現を旗印にしており、私たちは、水没する前に地域の資源を整理して、ダム建設による損失などを整理した報告書を提出しました(そのほとんどは農地や農業の衰退による問題が主でした)。調査団を組んで、1週間川原湯温泉に滞在し調査(現地調査及びヒアリング調査)し、最終の日に調査団長(故山崎不二夫東大名誉教授、日本科学者会議代表幹事)等の調査にあわせて調査結果をまとめ報告し、検討した経験があります。
その当時は、地域の方たちはすべて八ッ場ダム建設反対の立場でした。東京都の水飢饉を持ち出しながらも、多摩川等の整備により、八ッ場ダムが出来なくても、乗り越えてきた経過もあります」
今までの経緯ももういちど、検証しなくてはならない。