2月25日

平塚らいてうは岸田衿子さんに似ている。似ていると言われませんか、と聞いたら「そういわれたことがあるわよ」と微笑んだ。衿子さんも岸田国士のお嬢さんとして父の弟子たちに大事にされ、鷹揚で、声は小さく、人の前で話すのは嫌いで、徹底的にセルフオリエンティッドの神秘的な人だった。でもどこまでも続く話はとっても面白いし、人の見方はなかなか辛辣で、正確だった。
八ッ場ダムのことは「これ以上山や谷を傷つけてほしくない」という衿子さんの遺言なのでやっているだけ。
『青鞜』平塚らいてうは戸籍上ははる。明子、はる、ハル、などの表記が入り乱れ、困る。他の人も子がついたりつかなかったり。
子というのはドイツ語でいうchenであって、女性につけるムスメっこといった感じの愛称というか蔑称というか。明治では戸籍名に子がつくことは少ないが、原稿を公表するときや、あらたまって手紙を書くときは子をつけるようになった。
与謝野晶子も戸籍は「志よう」で、原稿署名もしょう、あき、晶子などが入り乱れるが、既に文学史上定まっている与謝野晶子、岡本かの子の子を取るわけにもいかずなやましい。名案ないですかね?