9月3日

石垣へ。9時45分の船で行き、竹富から西表に戦後入植した大谷用次さんの話を聞きに行く。石垣ターミナルに近い、まだまだ赤瓦のある一角。石垣は都会、タクシー、スーパー、市場、ライブハウス、イタリアン、エステなどもある。
用次さんは100歳、台湾の鉄道で働き、テニヤンに移住、息子さんは満州引き上げの5歳の坂本真典さんにそっくり。同じ話ばかり繰り返して、と息子さんはいうが何度も繰り返す話はそれだけご当人にとって印象が強いのだ。

マンゴーやバナナをだしてくれた。西表行きは2時40分なので、八重山そばを食べ、石垣ラー油を手に入れ、「海坊主」でコーヒー。
西表までは快適、左手に黒島、新城が見える。桟橋で竹盛旅館の用一さんが迎えにきてくれる。用次さんの三男で、子どものいない竹盛三洋さんにもらわれた。三洋さんは西表島で戦後、マラリア撲滅の第一線にたった人だった。おばさんが用次さんの妹で女丈夫。

旅館は大富の集落の中にあり、子どもが一人しかいないので、部屋が余っていて竹富や波照間からの人を泊めるうちに旅館となってしまったらしい。食事よし、気分よし、人柄よし、インターネットも使え、朝はデロンギのコーヒーメーカーでおいしいコーヒーを飲ませてくれた。広々とした部屋を専有して食事付きで7000円。また来たい宿。
夕方、高嶺方次さんの話を聞く。やすみや食堂をしていた。次男はサトウキビ栽培。
竹富に復員したが土地がなく、マラリアのある土地に行くか、といわれたがこれしかないと決断。
夜、宿の主人用一さんの話を聞く。笑顔がすてきな私より一つ上。戦後、水も食料も不足しがちな竹富島は復員兵や台湾からの引き上げ組みで人口が急増、生産力を上回ったので移民が奨励され、西表の大原近くを開拓入植した。竹富からきたときはこの辺はジャングル、天の川、のちに大富川という井戸を作った。橋はなくて泳ぐか、がんがん舟にのった。学校を整備した。共同売店を作った。班に分けた。公民館を作った。保健所を拠点にマラリア撲滅、いまでも住民は仲よく、子ども文庫など住民たちであらゆる活動をしている。公民館に入植記念碑あり。これこそほんとうのまちづくりだ。
夜は竹富を舞台にした「ツルカメ助産院」と母のいのちを助けてくれた順天堂・天野先生の「プロフェッショナル」を見て寝た。家にテレビがないので、旅に出るとテレビっこになる。