7月22日 小さく世を渡りたい

鷗外も好きだし、漱石も好き。愛情の質は異なるのだけど。鷗外はなんといっても完璧な明治人で、夫としても父親としてもやさしいし、練れた人だ。教養は高いし、文章はゾクゾクするほどすっきりしてかっこいい。かたや漱石は神経衰弱で、夫としては病気が出ると突然殴る蹴る、DVもいいとこ。でも江戸っ子でさっぱりしているし、若い友人たちにはやさしい手紙を描く。いま国難の時、生きていたら鷗外は国家の一員としてなにか積極的な役割を果たさざるべからず、しかし漱石は声高に原発反対ともいいそうにない。「懐手をして小さく世を渡りたい」ひと。でも身近な青年たちを十人以上は励まし、才能を伸ばしているのだ。やっぱり10万人集会より道な地域活動が大事だと考える私としては、漱石の生き方はこれから、よく考えるほうがいいと思う。「菫ほどな小さき人に生まれたし」というのは環境に負荷をかけない生存の指針である。