7月13日 臼井吉見と碌山美術館

臼井吉見、古田晁、唐木順三は筑摩書房を起こし、支えた3人だが、みんな信州の人である。臼井吉見記念館にいって憶い出した。昭和52年は恐ろしい就職難で、女子大生は全く募集がなく、朝日とちくまが重なって私は筑摩を受けたのだった。忘れもしない小川町あたりの古い木造2階屋に願書を取りに行き、小さな会社だな、と思ったのに、中央大学の大教室一杯に学生が試験を受けていて、こりゃだめだな、と思った。しかし最終4人にまでははいって、面接を受けた時の怖かったこと、銀髪の学者みたいなおじさまがずらりと並ぶ。何を話したか覚えていないが、「校正をする気はありませんか」と聞かれ、校正のなんたるかを知らない私は「編集がしたいんです」と答えて不合格。
臼井吉見は編集者と作家、評論家の幅広い仕事をして最後の「獅子座」が未完である。維新の群像を描いた者だそうで是非読んでみたい。それと臼井吉見は福島県双葉中学校の教師をしていたことがあるというのも初めて知った。
そのあと碌山美術館へ行き、4時間、五十嵐学芸員に昔年の疑問をいろいろ聞いてみた。なんで碌山は急死したのか、など勉強になった。山本安曇という鋳造家も安曇野の出身で碌山の彫塑をほとんど鋳造したと言うがこの人のことも気になる。妻と子と昭和20年の3月4日の空襲でなくなっている。とすると谷根千のあたりではないだろうか?