ほんとうは安曇野の臼井吉見さんのれんげ忌に招かれて来たのであった。もとは安曇平といったのに「安曇野」と呼ばれるようになったのは臼井さんの「安曇野」が原因。中学の時に一部を読んだが、荻原碌山に始まり、相馬黒光、愛蔵、中村彝、中原悌二郎、戸張孤雁などの芸術家群像が出て来る。地元には「安曇野を読む会」などもあってもう2度めを読みはじめていると言う。なんだか私より詳しい人の前で釈迦に説法といった話になった。碌山のお墓、荻原家、相馬家などを訪ね、いろいろ勉強になった。また東京駅の保存のときに高峰三枝子さんが映画のロケをいていたら飯沼飛行士の帰還にあって東京駅は忘れられない、といっていた飯沼飛行士も安曇野の出身で記念館があった。そしていろんなことがわかったのだが、そのことはどこかに書きたい。