「海にそうて歩く」番外編6 金華山‐鮎川まで

どうにか空が持って雨が降らずに女川までついた。鹿又旅館の入り口は立派だったが通された部屋は暗い。古くても由緒があればいいが、戦後の鉄筋の薄汚れ、雨のしみなどが出ているのは悲しい。暗くて仕事ができないので部屋を替えてくれと言ったら替えてくれた。台風でキャンセルが出たらしい。
マグロの刺身、かにと鯛のしゃぶしゃぶ、鳥の唐揚げ。まあ贅沢を言わなければいい量。夜、足りなくなった原稿用紙を買いにいく。台風の目前で文房具店はしまっており、強風の中を傘をさして遠くまで歩く。波がうねる。
ひとは昔海からきた。海に帰りたがるのは本能であり、浄い。高村光太郎の詩が刻まれていた。
一夜明けて台風一過。空は真っ青。9時発の金華山行きに乗る。マルナか汽船に行って切符を買うが、係の女性が聞いたことに応えもせず、うるさそうに、そこに全部書いてありますよ、と言う。いい服を着ているから社長夫人かも知れない。
江島ゆきのフェリーもある。いいところですか、と待っている人に聞いた。「いいですよ。民宿もあります」と老婦人。「急に行ったって泊まれないよ」と船員。髭のハンサムな男が2人男の子を連れてやって来た。島に別荘を持っているのだそうな。コウトウですか、エジマですか、と聞くとエノシマですという答え。
金華山行きは大揺れ。波の上、波の下、ジェットコースターみたいにスリルがあってみんなキャーキャー言う。この様子を見るだけでもおかしい。右手に女川原発が見えた。なるほど人目に付かないリアス式の山陰につくるもんだ。
しかし金華山には神社があって鹿がいるだけだった。観光地であるがほかになにもない。土産やで帆立焼を頼み、ビール。うらうらと時を過ごす。民宿をやっているが客が来ないので叔母さんと嫁さんでワカメや昆布を一生懸命売っている。お嫁さんは都会的な美人である。どんな気持ちでこの島に嫁いできたのだろう。
11時の鮎川行き帰りの船はもっと立派だった。ほんの15分。上がると小駆動の男がマイクでがなり立てる。『五百名様収容の大レストラン』だと力説するが、船で着いた客は2、30人、なんの役にも立たない。ホエールランドとやらを観に行く。動物愛護で操業を禁止された船が廃船のように陳列されている。なかでは捕鯨の禁止がいかに不当か、せめて毎年50頭は取らせろ、などと書いてある。
フィルムをみると鯨は昔、手足を持つほ乳類だった。赤ちゃんはオッパイを飲み、海の上に顔を出して空気を吸う。実におもしろい生物だ。シロナガスクジラは私の体重の2500倍あり太っていることを瞬時忘れられた。

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外は食堂が並び、混雑。ウニ丼、いくら丼、アワビ、ミンククジラなどの字が躍る。くじらの珍宝子というのが陳列されていたっけ。
鯨の寿司を出すという店を教わり、歩く。桟橋を少し外れるともう人はいない。ひっそりして懐かしい町並みに小倉寿司はあった。
「今年は冷害、地震、台風とさんざんですわ。うちも大きな鏡が両側からの圧力で割れ、扉にとんで突き刺さり、あのときお客さんがいたらとぞっとしました」
鯨の寿司は上に白い脂身をお札のようにのせて海苔でまいてあり、さっぱりしておいしかった。
「調査捕鯨で50頭取ったぶんが少し回って来たんです。だいたいは自衛隊とか学校給食とか役所関係で消費したようですが」
イクラ、ウニ、タコ、アワビ、ハモ。
「うちのハモ、食べてみませんか?」
と押し付けがましくない応対がいい。
あっという間にバスが来た。
鮎川から石巻までは一瞬だった。ずっと居眠りしたのである。バスが揺れてはっと目が覚めると、他の客も久しぶりの日差しに疲れたのか、みんな寝ている。降りる段になって千数百円の払い、1時間半乗った実感がやっとわいた。

石巻は大都会、ここにもおいしい寿司屋があるらしいが、観光は断念して奥松島に早く行ってのんびりしたい。どこで降りるのか、まったく見当つかず。民宿桜荘に電話すると降りる駅は野蒜だった。センゴク線ですね、というと、センセキ線です、と私はまたよみ間違えた。
桜荘に4時につき、右も左も海と小島という絶景の集落を散歩する。かづま石とやらいう小石を混ぜ込んだ美しい青みがかった石の家が多い。1階を石造りにして、2階に下見の木の家をのせている。「波除ですか」と聞くと左官仕事をしていた老人が「いやおしゃれのつもりでしょう」といった。この前の地震でひび割れを起こしたところを直しているらしい。「これからスレートや瓦はやめてトタン板の屋根が増えるでしょうな」たしかに軒がわらがずれたり、落ちかけたりしている。
桜荘の料理はすごかった。これだけ有名な民宿はひとが溢れているかと思ったが、地震で鳴瀬町の名がでたためキャンセルもあるらしい。「とくに県内の方がね。地震は全国どこでも起きることなのに」と無念そう。

奥松島桜荘は無事だと風の便りに聞いた。また行ってみたい。

今日飛び込みできた客は名古屋の呉服屋さん、気ままな1人旅。
「テッレビや雑誌で言ううまい店だのいい宿だのの99%はウソ。ええころかげんなことをいうもんだで」彼によると阿倍も福田も竹中もええころかげんなことしかいわないそうで。「でもここの刺身はこりこりしてほんもんやな」とご満悦だった。
一段落したご主人の話。
「このあたり120戸ありますが、本当に漁師だけで食べているのはそうありません。仙台も石巻までも1時間かからないから勤め人が増えて、前は海苔やってた人が60人いましたが、いまは13名です。いまは牡蛎が多い。私は5人兄弟の長男で、会社勤めしながら朝仕事にアワビをとったりを続けていました。あわびはここを境に6、7月いっぱい。寒いときは水の透明度が増します。冬は餌の食いが悪くてしょっぱい。密漁の監視もします。農業は米だけで黒米、赤米、古代米を作っています。
「民宿は親の代から30年、季節季節13品は出ますし、特別料理など頼まなくても充分ですよ。漁師のこだわりで地物の白身魚を出しています。勤めていた頃は景気が良かったから民宿だけで保つかと思ったが、思い切ってやめないと民宿に全力投球できないので。さいわいこどもたち3人とも石巻商業で野球をやって素直に育ちました。宮城は育英、東北、仙台商業と競合が多くて3回戦ボーイだけど、いまだに友だちが多くて毎年みんなで旅行したり飲んだりしているようですよ。
お客さんは週末に集中していますから、たしかに早く予約をいただくとラクですね。手伝いを多く頼んで、宿はいつも清潔にしています、気を付けないと一晩でクモの巣が張ったりするからね。舟盛りとか作って出せばもうかるけど、そういうのはあんまり。
なにが出ますか、という人がいるけど、ナニがデルかわかりません。ウニも市場で買ったのは薬かかっているでしょ。あくまで海の都合ということで」
ホントウに食べきれないくらい、そして一品ずつがおいしかった。
翌朝、結城登美雄さんが奥さんの運転で迎えに来てくれる。旧知の主人は牡蛎もって行きませんか、とくれた。
私たちはそこから長面浦の坂下清子さんのところで和船を見せてもらったり、熊谷産業にいって北上川の河口の萱場をみたりしたのである。石巻の陶器屋さん観慶丸は1階が波がはいったがまだあると思う。