震災日録 3月7日 いまさらでも福島の子どもたちを避難させたい。

昨日はねられなかった。「ふくしま集団疎開裁判」に関するホームページや映像を見、いままでそれほど関心をもたなかったことを恥じた。映像ドキュメントの仲間たちは早くから郡山や福島に取材にいき、映像化して流していたのが。http://www.eizoudocument.com/0632sokaisaiban.html

これは郡山の14人の子どもが集団疎開をもとめて郡山市を提訴したもの。郡山の3月以降の放射性物質の積算量は7.8~17.2mSv、これはチェルノブイリで子どもたちの疎開の基準とされた5mSvをはるかに超える。それでも疎開先のゴメリ市では、数年後から子どもたちの体に異常が現れ、通常10万人に数名しかあらわれない甲状腺異常が1996年には10人に1人見られるようになったという。しかし文科省は20mSv以下なら教育活動をすると言明、また福島県が山下某という「100mSv以下なら大丈夫」論者をお抱えにしていることからも、行政は率先して子どもの健康を守ろうとはしていない。下の郡山市の学校のうち、アカマルはチェルノブイリなら強制移住地域となるはずの放射線量。

http://fukusima-sokai.blogspot.com/2012/01/no-yes.html

わたしは夢を見た。それは中学校のときに林間学校で行った長野の美しい高原。
国の研修施設で、たまたまそこに坂田文部大臣がきて草の上で逆立ちをしてみせてくれた。あのときまだ50そこそこだったのかな、そのまわりに小学生、中学生が集まって拍手をしている。文部大臣ははりきって額に汗をかきながら逆立ちのまま手で歩いた。どこから来たの? と私がきくと白いカーディガンの女の子が『郡山から』といって恥ずかしそうに、でもにこにこしながら、広い草の上をかけだして行った。みんな楽しそうに草の上で遊んでいた。
ここで目が覚めたのだが、国立の青少年施設、泊まるところも食堂も、教室研修室、体育館ところによってはプールのある施設はたくさんある。そこに郡山、福島はじめ高線量の地域の子どもたちを国が責任を持って集団疎開させる。最初は希望者からでもよい。そこでは近隣からの食料や炊き出しの協力も受け入れ、ボランティアの学生を派遣し、勉強を見てもらう他、それぞれの生き方や進路や受験に付いても話し合う場を作る。疎開によって差別もされず、進学に不利益をもたらさない疎開を国は最大限の誠意をもって行うべきだろう。私は国家公務員上級職の研修に講師で行ったことがあるが、ここなんか一人ずつ個室の高級ホテル並だった。緑の多い広い敷地のあの施設も疎開に使えばよい。エリートに育った青年を優遇するより、これからの命と健康を大事にしなければ、なんのための子ども手当、何のための少子化対策。