震災日録 2月18日 北上川河口に茅刈り

タクシーの運転手さんのはなし。「私は鹿又というところで、波は床下までしか来なかったけど、全壊地区の指定です。渡波の方ですね。うちの被害は自動車を二台、これは津波の保証がついていなかった。ほとんどの人はそうでしょう。あと300万かけてつくった墓が倒れ、もう直しました。で総額1000万くらいかなあ。家族は無事だった。娘は女川町立病院で看護師をしていますが、あの高さなら大丈夫だろうと思った。1階はあそこまで水ついたんだもんねえ。無事がわかってからは毛布だの運びましたよ。女川の駅なんてレールはないし、駅のトイレ一つしか残っていないよ。
私は地震の直後、おばあさんを乗せて、孫が心配だからって、すいすい走ったんですが、帰りはもう渋滞でした。それで車を高台に置いて逃げました。あのおばあさん、どうしたかなあ。山から見る津波はまるで映画みたいで、なんとも言えないものだった。3日目に水が引いて、瓦礫の中を4時間かけて自宅まで歩いた。途中となりのご主人とあって家はあるよ、と聞かされて地獄から天国にいっちゃった。下水とか、浄化槽とか、回り回った津波が吹き上がってきたみたい。
宮城交通も車13台ながされて、寝台車も、車椅子用のも流された。タイヤも700本ながされて。社員にも被害でました。お客さんは逃がしたけど、自分は車から出られなくてなくなった同僚もいる。社長は毎日、泥のかい出しやっていて、私も別に閑だし、3月23日からまた営業再開。それから4、5、6月は富士保険の調査で貸し切りだったからよかったねえ。社長も現金持っていくと喜ぶものねえ。
でも仕事がない人はパチンコ。石巻に2軒しかないからいつ行っても混んでますよ。
スナックも少ないから。義捐金貰ってそのままタクシーに乗ってパチンコ行く人とかいるけど、1年も休んじゃったらもう働けないんじゃないですか?
仙石線もいつ復旧するかわからないから。大工の手間は上がってます。みんな我先に直したいから、石巻の大工じゃとうてい足りなくて内陸部からも来てますが、そのために仮設のホテルが建ってるくらい。いま壊すとタダでこわしてくれる。だから作る方と壊す方と両方ですね。仮設がおわったら、市営住宅。市立病院や学校も建て直さねばならないし」
豊葦原みずほの国に生まれきて米が食えないとは嘘のよな話。せっせと鎌で萱を刈る。葦は悪し、と忌んで、吉に通ずる葭と言い換えられた。それが屋根に上がると茅になる。葭は丸く中空で、平たく中空なのは荻という別の植物。そうか、それで萩原さんと荻原さんの区別がわかった。