震災日録 12月19日 学校と津波

谷根千プレゼンツのカフェコパン、朝はおかゆ屋さん。中華粥のどんぶりかと思ったら瓢亭の朝がゆのような上品なおかずも多いものであった。これで500円では足が出ちゃう。昼間はひたすらパソコンに向い、夜7時にまたカフェコパンへ。タイカレー、真理サラダ、ヤマサキ製の豚肉の醤油煮などでビールを飲む。うろうろさん、守本君、赤坂さん、島さんはじめ地域の仲間に会えて幸せ。ヒコベイたちのライブも楽しかった。気を使わなくてよい仲間に忌憚ない話をしながら飲む、こんな幸せなことがあるだろうか?
今日は「世界」や「スバル」「こころ」などの校正。間違いがあってはいけないので北上河口の大川小学校について調べる。もう書きたくないくらい哀しいが、児童108名中、75名が犠牲に、3人行方不明、教師12名中11名死亡、スクールバスの運転手さんもなくなる。なくなった先生方個人個人を非難する気はない。生き残った先生は児童を裏山へ誘導し、命を助けたともいえるし、校長が親戚の結婚式でいなかったのも、とがめられるべきことではない。しかしやはりたくさんの児童の犠牲は無念であり、いろいろ疑問は残る。二度と起こさないために書いておきたい。

*石巻教育委は北上川河口にちかいところでどうして津波を想定しなかったのか。
*オシャレでもなぜ川の状況が見えないような校舎を設計したのか。川より低いところに建てたのか。校庭からも校舎にさえぎられて川は見えなかった。
*2時48分に地震が起きて、なぜ3時35分まで避難を開始しなかったのか。
*点呼を取っている暇は何故あったのか、子どもを保護者に渡すことや点呼に追われるより先にまず高台へ誘導するべきではなかったのか。
*なぜ津波警報が出ているのに高台でなく川の方、橋のたもとを目指したのか。
*裏山は倒木で危ないと判断したというが、私が何度も見たかぎり、倒木もなく、私でも上がれそうな山だった。日頃からシイタケの原木などを置いて児童は山にはいっていたという。なぜ階段など津波にそなえて上がり口をつけておかなかったのか。
*近くの集落から避難してきた住民が「だいじょうぶ」と判断ミスを誘うようなことを言ったという話もある。こういうとき、管理職は地元住民にどういう対応をすべきか。住民対応より児童を守るのが第一にすべきことではないか。
*住民は学校に避難した場合、どう行動すべきか。自分で自分の身を守るのはもちろんのこと、勝手な意見を言わずに校長に従うか、校長を手助けするほうがいい。指揮系統のみだれは避けたいところである。
*しかし事故後の校長や市教委の対応も遅いし誠意がないように感じられる。

二度と起きないように、全員助かった学校の教員の判断と比較検討すべきだろう。インターネットなどに寄れば越喜来小学校では校長が揺れがおさまってからでは間に合わないと揺れているうちから避難を開始、73人全員無事。岩泉小では10分避難開始の判断が送れていたら危なかったと回想、268人全員無事。釜石東中では生徒の自主判断で年少者を助けながら高台から高台へと避難して562人全員無事。広い平野の中にある山元小では高台まで避難する暇はないと判断し屋上で90人全員無事。これらにならって私たちも五感を磨きたい。

谷中コミュニティセンターの防災立て替えでお世話になっている防災都市計画の吉川仁さんから。
「最近の防災のキーワードは「避難」です。が、世間的には、避難=安全なところに移動、という風潮が広まっています。だれかが安全な場所を用意してくれる!?。そうではなくて、自分(たち)で命を守る判断と行動ができる、ということが重要なんではないか、と思っています」
そうだ、安全な場所は誰かが教えてくれるわけではない。