震災日録 12月18日 花巻の雪景色

朝、目が覚めるとまだ群青色の町に橙色の灯火がちらつき、白いものが舞っている。
一晩のうちに森も家も雪化粧してこの世のものとも思われない美しさ。花巻は何度か来ているが、新渡戸稲造記念館は行ったことがなかったので、時間を節約するためにタクシーで行って見た。新渡戸稲造は五千円札の顔でもあったのに今ひとつ業績がわからない。花巻は祖先の地、10代でサッポロ農学校に入り、クラークの薫陶を受け、東京大学にはいり、アメリカに留学、かえって一高や東京帝国大学の教授となり、ジュネーブの国際連盟次長をつとめた。若いころはほっそりと美しい。ボストンの名家のクエーカー教徒、メリーと結婚、一男が生まれるが1週間でなくなった。後藤新平とも関係がある。『武士道』を書く。そんなことがわかった。
ついでに宮澤賢治の施設にも行く。雪の道を掃いていたおじさんは「宮澤家はものすごい金持ちで、特にお母さんの実家は今の新花巻の駅のあたりを全部持っていた。土地ではけちの宮澤商店で知られていて、そうでないと金なんかたまりっこない。富士銀行の頭取した人もいたし、いまの代でも花巻の商工会議所の会頭をしています」とか。タクシーの運転手さんは「大きい声では言えないけど、花巻はあんまり被害がなかったし、仙台のこどもたちはいつも会津に修学旅行に行くのが、みんな花巻に来てくれて観光客は多かった。東京からは福島またいでまできませんけどね。それと保険会社が沿岸部の実況を検分しに毎日タクシーを使ってくれて、うんとよかったね」といっていた。
仙台文学館で円朝の言葉、最終回。仙台駅は混んでいてはやてが取れずにやまびこで帰る。途中、はやて2台に追い抜かされちょっとシャク。