震災日録 12月16日 石巻河北の経験

石巻河北新報の復興写真コンクールの審査。いったい今年はいくつ審査をしたことだろう。でもこれはぜひともいきたかった。見るだけで熱いものがこみ上げる。ホタテをむくおんなたち、牡蛎をあげる漁師の笑顔、モクモクと煙を吐く石巻のシンボル日本製紙、泥のなかの写真を乾かす少女、河北新聞を読んでいるように見える幼児。
石巻河北の桂さんから聞いた話しでは当日、道をゆく人を3階に上がれと呼びかけながら、窓から撮った写真を新聞に載せた。新潟日報の機械を借りて印刷し、女性たちは炊き出しをし、全国の新聞社からは支援物資が届いたという。またいくつも体験を聞いた。「津波で流されてたまたま人のうちの玄関に入り込んだので、すぐ2階に駆け上がって、悪いけど人のアノラックを着込んで屋根から脱出して助かった」「新築したてのうちの2階だけ外れて波間にただよったが、階段の方が浮いていて、気密性が高かったので浸水もないまま、流れてきた他の人も引き上げて11人で漂流して全員助かった」まるで冒険談のようである。夕方、スレートを40年とり続けている写真家の菅野さんにあっていろいろ教えてもらった。そのあと3・11以来会えないでいた結城登美雄さんにあう。「もう一度ここで生きる」がテーマだな、といっていた。
仙台はいつもより早く定禅寺通のイルミネーションをはじめ、復興特需もあって景気はいいようで、繁華街もものすごい人出だった。