震災日録 11月1日 なつかしい鳴子の宿みやま

10時泥の新幹線でゆっくり仙台へ。松島の駅で米農家兼ライターの渡辺さんが待っていてくれた。「宮城の米はほとんどひとめぼれになっていますが、僕はササニシキ偏愛です。放射線量をきちんとはかりたいので、県だと20ベクレルまではNDと出てしまうので、3万5千円かけて独自の調査をかけました。セシウムも134が例えば20、135が20とすると両方で40出てしまうわけですからね。全く出なかったので一安心です。でも子供さんのいる家庭になかなか今年も買ってくださいとはいいにくい」。
石巻市尾野崎の坂下さんのうちはとってもきれいになっていた。長面浦という素晴らしい入江で牡蛎の養殖をしている。「隣近所は戻ってくるかどうか迷っているけど、私たちが住むと決めたらすこし考えが変わる人もいると思う」と健さんは相変わらず元気。尾野崎は旧河北町、北上川河口の集落、震災では裏のお寺にみんなで逃げてかなりの人が助かった。「大川小学校へ通っていた子供たちがかえってこないけどもなあ」と清子さん。北上大橋が仮ではあるが開通したのが明るい話題だ。しかし大川小学校を右に見て尾野崎までは左側の田んぼはみんな北上川になってしまっている。右側は全く何も集落がない。一筋の道だけが復旧した。「いいんだ、日本のモン・サン・ミッシェルをめざす」と意気軒昂だ。ここには「北上いきいきクラブ」があってみんな復興へ向けて前向きである。
夜、鳴子温泉にみんなで集まった。ここの川渡(かわたび)温泉みやまの板垣さんもみんなと仲良し。きょうは震災以来みんなで顔を合わせ、この8ヶ月の苦労を話し合った。